ズボラ上司の甘い罠

松丹子

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「おはよーございまぁす。あれ、今日、二人出張でしたっけ」
 週明けの朝、気合いを入れてオフィスに入った春菜は、ぽつんと一人だけデスクに座る日高を見つけた。
「そうそう。三原ちゃんと課長ね。午後は戻って来るよ。ちなみに佐藤さん、お子さんダウンして午前中お休み」
 日高が答える。拍子抜けした半面、小野田と会う時間が延びてほっとする。
(どんな顔で会えばいいんだろう)
 思い返してみれば、ただ二人で食事をしただけだ。ーーわずかに抱きしめられたりしたが。そしてちょっと意味ありげな会話を交わしはしたが。
 正直にいえば、そのわずかな接触と思わせぶりな会話が、どの程度春菜と小野田の関係に作用するのかが、いまいち予測できないのだった。
(ま、とりあえず課長が来てから考えよう)
 思った春菜は、集中して仕事に向き合うことにした。

「戻りましたー」
「あ、お疲れさまでーす」
 午後、がちゃりとドアが開いて三原が入ってくる。その後ろに続く長身は小野田だ。春菜は人影を見ながら、動揺しないよう自分に言い聞かせーー
「へ?」
「あっれぇ?」
 日高共々、ぽかんとした顔になった。
「お疲れー」
 にこやかに入ってきたのは、確かに小野田だった。そう、見慣れた小野田であるーー牛乳瓶の底のようねべっ甲フレームの眼鏡、無精髭にゆるゆるのスーツ。
「って、何で戻ってるんですかー!!」
「えー。ちゃんとしてるの疲れちゃったから」
「ってか、そのスーツ捨ててなかったんだ」
「だってまだ着られるし。もったいないじゃない」
「もうだいぶ腿のとことかテカテカですよ。これ捨てても文句言われないレベルでしょ」
「破れたら捨てるよ」
「そこまで来たら、いつどこで破けるかわかんないじゃないですか。そんなチャレンジ精神いらんです」
 春菜と日高の突っ込みにも、通常運転のにこやかな小野田である。さすがに髪はここ三日で切れと言うほど伸びることはないが、寝癖はそのままだ。
(って、午後になってもこの寝癖って、午前中はどれだけはねてたんだろう)
「あああもう」
 ついつい櫛で梳いてあげなければいけない気になるが、さすがに上司相手にそれもかなわない。
「櫛、お貸ししましょうか?まだ寝癖残ってますよ」
「え、いいよ。どうせもう仕事して帰るだけだし」
 いやいやいや。それ。その発言どうなの。
 思わず頭を抱える春菜に、小野田が小さい紙袋を掲げて見せた。
「これ、お土産ー。後でみんなで食べようね。佐藤さん、お子さん大丈夫?」
「はい、ただの風邪みたいで。とりあえず病院行って、寝かしつけてご飯の用意してきました。ご迷惑おかけしました」
「インフルエンザとかじゃなくてよかったね。後でこれ、配ってくれるかな」
「わかりました。ありがとうございます」
 小野田は佐藤ににこりと微笑みかけて、席に着く。春菜はその顔をじっと見て、深々と息を吐き出した。
「年明けの会議室、予約して来ます……」
「行ってらっしゃーい」
 小野田はにこやかに、その他の三人は苦笑して、ひらりと手を振り春菜を見送った。
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