期待外れな吉田さん、自由人な前田くん

松丹子

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第三章 アラサー女子よ、大志を抱け!

59 短気な私にじれじれなのは性に合わない!

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 そんなわけで、前田と私は晴れてーー図らずも上司公認のーー彼氏彼女になりました。多分。そうだと思う。
 で、確認した訳じゃないけれど、前田は今まで彼女がいたことはなくて、恋人がいるなんてリア充爆発しろみたいな感じで来ていたんだと思う。
 だから、というべきか否か、想いが通じ合って(……と、私は思ってるんだけど)一ヶ月過ぎても、私たちのつき合い方は中学生のカップルとさして変わらない。違うところといえば、夕飯にアルコールが入るかどうか、という程度だ。
 そもそも、出勤時間からして分かるように、前田はやや遅めの勤務時間を選び、私は(社内にしては)やや早めの勤務時間を選んでいるので、生活スタイルが全然違う。そのため平日は仕事以外で会うことは基本的になくて、まあ、たまーに、気が向いたら、金曜の夜外で食べる?みたいな感じだ。それも、私は残業上がり、前田はこれから残業するから食事摂っとくかみたいなやつで、一人で飲む気にもならないので普通に夕飯だけ食べて別れる。
 でもって、前田はその白い肌からよく分かるように、ほぼ完全にインドア派である。デートと言えば、土日のどちらか一方、ランチの頃から終電の前まで一緒にいるーーが、元々感性が違うので結構ぶつかる。いや、私が一方的に腹を立てるに近いのだけれど。ちなみにこの間は映画の感想の食い違いで喧嘩した。スパイ映画だったが、前田は主役のイケメン俳優の自由奔放っぷりに呆れて「あんな男に惹かれる女の気持ちが分からない」とのたもうた。あんたは女心が分からなすぎる!と反論すると、めんどくさそうに目を向けられた。
 あるとき、休日は何して過ごしてるの、と聞くと、
「一週間録りためたアニメ見ながらプログラミング。またはゲーム」
 と返ってきた。
 私は思わず、額を押さえた。
「ーーって、仕事でプログラミングして、家でもプログラミングするわけ?」
 問うと、不思議そうな顔をされた。
「仕事は仕事のプログラミングでしょ。家では趣味のプログラミング」
 訳が分からーん。
 まあそんなこんなで、前田を理解するのは早々に諦めた。私に理解できなくとも、それが本人なりのストレス発散なのだろうから、あまり趣味の時間を奪う気にもならない。前田が一人暮らしであれば家に押しかけてもいいのだが、実家暮らしであれば足を運ぶことも不可能ーー
 っていうか、キスだって公園のベンチでのあれだけだ。私がさりげなさを装って手を繋いでも、さりげなく外されている。何なの。ホント何なの。
 ということで、この清らかな関係にフラストレーションが溜まりはじめたのは私の方だった。
「前田。来週金曜日、早めに上がれる?」
 相変わらずの清いデートの別れ際、私がキリリと問うと、前田は目をぱちくりした。
「……まだわかんないよ。一週間、始まってもいないのに」
「いや、まあそうだけど」
 私は唇を尖らせた。
 二人でいても、甘い雰囲気になることはほとんどない。だからといって前のようにずっとぶつかり合っているわけでもない。でも、何となく、前田がそういう空気を避けているように感じて、不満なのだ。……ちょっとだけ。
 俯いた私の顔を見て、前田は少し困ったようだった。無愛想で不器用な割に、前田は私の感情の動きをよく汲み取る。このときも、私の気分がちょっと下がり気味なのは感じとったんだろう。
「……俺といても、つまんないよね」
 思わぬ言葉に目を上げる。前田は視線を背けて、言葉を探しているようだった。
「ごめん。なんかーーどうしたらいいのか、よくわかんなくて。俺、吉田さんみたいに経験ないから」
 って私がビッチみたいな言い方するな。
 と内心思ったけど、本人はそういうつもりじゃないんだろう。恋人だけでなく、友人としても、異性と話すことや遊びに行くこと自体慣れていない、ということなんだろう。ーー言葉は足りないけど、それくらいは分かるようになってきた。
 私が何も言わずにいると、前田は首の後ろに手を置いて、わずかに俯いた。
 伏せられた目、長いまつげ。
 ちょっとだけ打ち萎れた犬みたいに見えて、きゅんとする。
「そんなことない」
 私は言った。静かに発した声は思いの外、力強くなった。前田はちらりと目を上げる。
「私はーーいつでも」
 その目を見返して言葉を続けようとしたけど、気恥ずかしくなって俯く。
「いつでも、もっと一緒にいたいと、思ってる」
 言い終わるや否や、ぶわ、と顔が熱くなった。
 うっわ。すっごいこっぱずかしいこと言ってる、私。
 取り繕おうと顔を上げ、笑ってごまかそうとしたら、
 ーー前田の笑顔に射抜かれた。
 眼鏡の奥の目が、あまりに甘く優しくて、目を離せなくなる。
「ありがとう。ーー嬉しい」
 囁くように静かに答えた前田の声に、身体中をぞくぞくと甘い感覚が走り抜けた。
 きっと前田は、気づいてない。
 自分の振る舞いが、どれだけ私に響いているか。
 気づいていない。悔しいくらいに。
 私は下唇を噛み締めた。
 真っ赤な顔のまま、両手で前田の片手を取る。長く綺麗な指を撫でる。片手は親指から。片手は小指から。
 ーー綺麗な手。
「……吉田さん?」
 声に目を上げた。目と目が合う。私は自分の目が潤んでいるのを感じた。前田はちょっとうろたえてから、空いている手を私の頬に添える。顔が少しずつ近づきーー
 ブーッ、ブーッ、ブーッ
 前田の終電の時間を知らせるアラームが、私のスマホから響いた。
 ーーこんな、とき、にっ!
 一度、終電に間に合うかどうかの瀬戸際で全力疾走を強いてからは、走らなくて済む時間に私がアラームをセットしているのだ。
 崩折れそうになった膝を、どうにか踏ん張る。先ほど潤んでいた目は明確に涙に変わりそうだった。
 アラームが鳴り始めると同時に咄嗟に手を引いた前田は、自分のスマホで時間を確認した。
「そっか、時間か」
 残念なようなーーちょっとだけホッとしたような響きを感じて、私は前田を睨みつける。
「前田っ」
「何、っん」
 手を引き、強引にその唇を奪った。
「ーー吉田さんて」
 唇を離した後、前田は口元に手を添える。
「ちょっと、強引だよ」
 ーーとか言いながら、嬉しそうじゃない。
 私はふんと鼻を鳴らした。
「いいでしょ、彼氏彼女なんだから」
 前田は一瞬目を見開いてから、気恥ずかしそうに目を反らした。
「……ちょっとじゃなくて、だいぶ、強引」
 私は前田の丸くなった背中を叩いた。
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