期待外れな吉田さん、自由人な前田くん

松丹子

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第三章 アラサー女子よ、大志を抱け!

63 違う星に住むふたり。

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「……いいよ、別に食べやすいように食べて」
 前田がスパゲッティをうまくフォークに巻付けられず、格闘している様子を見ながら声をかけた。
「もしかして、元々は左利き?」
 前田は目をしばたかせながらすくいあげたスパゲッティを口に運んだ。
「何で分かったの?」
 前田は書くのも食べるのも右手を使っている。
「弟、一卵性双生児なんだけど、片方左利きで」
 生活するのに不便がないよう、食事や筆記は右を使うように母が徹底したのだが、
「どうしても、難しかったのが、スパゲッティとナイフで」
 力の加え方が難しいらしい。元々右利きの達哉は難無くこなせたが、左利きの勝哉は結局お手上げ状態だった。
「ふぅん」
 前田はわずかに不思議そうな響きを込めて、相槌を打つ。
「弟さんのこと話すときは、お姉さんの顔になるんだ」
 私は笑った。
「そんな顔してた?」
「してた」
 言いながら前田はまたスパゲッティをすくい、口に運ぶ。
「……そういえば」
 私もスパゲッティを口に運びながら、今まで聞くタイミングを逃していたことを思い出した。
「マサトさんに何言われたの?ファミリーデーのとき」
 前田は動きを止める。皿の上に注いでいた視線をちらりと上げた。
「……教えない」
「何で」
「……」
 前田は黙ったまま、大皿のピザに手を伸ばした。取りやすいように少し寄せてやると、一ピース取り上げて口に運ぶ。
「……もしかして、私に好きって言ったきっかけだったり?」
 前田は何も言わずにピザを口に詰め込んだ。もぐもぐもぐ、と膨らんだ頬が動く。ハムスターみたい。昔飼っていた小動物を思い出しつつ微笑んだ。
 前日に私から突然キスしたとはいえ、あの状況で気持ちを言葉にするのは前田にしてはかなり大胆だった気がする。
 だから、何かきっかけがあったのでは、と思っていたのだがーー
「あいつに聞けば」
 ごっくん、とピザを嚥下した後、前田は不機嫌に言った。私は苦笑する。
「前田、マサトさん嫌い?」
「嫌いとか好きとかじゃなくて、俺が今まで生きてきた中にああいう人はいなかった」
 そうかもね。と私は納得する。自分の世界にこもり、それで良しとするのが前田の生き方だ。マサトさんは磁石みたいに人を引き付けるけど、あえて自分から近づこうとはしない。多分、空間を共にしても、対極に位置する二人だろう。
 ーーと、二人が端と端で世界を作る様を想像して笑った。
「吉田さんは、好きなんでしょ。ああいう人が」
「好きっていうかーー」
 私は笑いかけて、思いの外真剣な色味を帯びた前田の目に笑顔を引っ込めた。
「……どうしたの」
「……別に」
 前田は言いながら、またピザを一切れ、口に押し込む。もぐもぐもぐ。
「別に、じゃないでしょ。不機嫌になっといて」
「なってないよ。これがデフォだよ」
「なってるよ」
 確かに表情は変わらない。けど、眼鏡の奥の目の色は、割とコロコロ変わるのだ。ーー自分でも気づいていないのだろうけど、注意深く見ている私にはさすがに分かるようになった。
「マサトさんと前田は別でしょ」
「一緒にされても困る」
「まあそりゃそうだ」
 納得すると睨まれた。何よ、一緒にするなって言ったのそっちでしょ。
「マサトさんは、アイドルみたいなもんだよ。テレビ越しじゃないだけで」
 前田は黙ってグレープフルーツサワーを飲む。グラスを置くと、しゅわしゅわしゅわ、と泡が音を立てた。
「ーー俺にとっては」
 前田はピザで汚れた指をおしぼりで拭いながら言った。
「吉田さんだって、それに近い」
 前田は神経質なくらい強く、自分の指先を拭う。
「赤くなっちゃうよ」
 片手を伸ばしてその手を覆うと、ようやく手を止めた。
「学校でも、いるでしょ。クラスで、主役になる奴と、モブキャラが」
 前田は顔を反らしながら言った。無表情な横顔が、ダウンライトの明かりを受けてわずかに橙色に染まっている。
「吉田さんは主役級だけど、俺はモブキャラだ」
 私の手が覆った下の前田の両手が、おしぼりを置いて組み合う。左右の手が、互いを確認するかのように。
「それ、誰が決めたのよ」
 私は唇を尖らせた。
「誰が決めた訳でもないよ。自然とそうなるだけだ」
 頑なな言葉と組まれた両手。私は腰を浮かして両手を伸ばした。えいやっ、と自分の世界で組まれたその両手を解き、自分の指を絡める。
 前田は戸惑った目をこちらに向けた。
「モブキャラなんていない。みんなそれぞれ主役なんだから」
 睨みつけるように言うと、前田は吐息をついた。
「……ポジティブだなぁ」
「それが持ち味だもの」
「そうだけど」
 前田は私に取られた両手に目を落とした。互いの温もりが伝わる両手。
「前田は私が好きなんでしょ」
 私もつられて、視線を手に落とした。
「私も、前田が好きなんだから、それでいいじゃない」
 一緒にいたい。ただ、それだけだ。
 ーーただ、それだけ。
 前田の指先が動いて、恐る恐る、私の手の甲を撫でた。
 ぞくり、と、甘い快感が、手先から肩先、背筋を通り、下腹部に落ちる。
 ーーそれだけ、なんて嘘。
 欲しい。ーー前田が。
 私は上げた視線の先に、前田の照れた微笑みを見て泣きそうになった。
 気持ちに、コントロールが効かない。
 勝手に、暴走しそうになる。
 こんなにーーはしたない女、嫌いにならない?
 私はそろそろと手を解き、前田の右手を両手で覆った。前田の左手がさらにその上を覆う。
「ようやく、好きって言ってくれた」
 前田が呟いた。
「……そっか、そういうことか」
 私は目を上げる。
 眼鏡の奥の優しい瞳が、私を見返した後、気まずげに反らされる。
「あいつが言ったこと」
 って、マサトさんのこと?
「『人のことを恨めしげに見てないで、言葉にしないと何も伝わらないよ』」
 ほぅ、と私は息を吐き出す。
 お節介、と悪戯っ子のような目で笑ったマサトさんを思い出した。
「あの日……中二階から受付にいる吉田さんを見つけて」
 前田は視線を手元に落としたまま、ぽつりぽつりと話した。
「あいつに……今まで見たことないくらい、か……可愛い顔して笑ってたから」
 前田の顔はまた赤くなる。私も照れて俯いた。
「悔しくて……いや、違うな」
 前田は私の手を包む自分の手に、わずかに力を込めた。
「俺には、手に入らないものなのに……それをあっさり手に入れていくあいつが、羨ましくて」
 ーー貴方なんかに、何が分かるんですか。
 マサトさんに返された、静かな怒声を思い出す。
「でも、言葉にしてみたら、手に入った?」
 私が顔を覗き込むと、前田は困惑した表情で顔を背けた。
「だからって、あいつに恩を感じる気はない」
「マサトさんだって、きっと恩を売ったつもりはないよ」
 私は笑った。前田は叱られた少年のような目で私を見返した。
 嘆息すると、前田は居住まいを正して私を見た。私もつられて背筋を伸ばす。
「吉田さん」
「何でしょう」
「言葉にしなきゃ伝わらないなら、言葉にするけど」
 前田の目は真剣である。
「あいつのことは、あんまり話さないで」
 気恥ずかしさに目を逸らしたいという気持ちと、きちんと伝えなければという気持ちが入り混じった視線に、私も同じような目線で応える。
「ーー俺、ヤキモチ妬くから」
 我慢ならず前田が目線を反らして手を離したとき、私も視線を落として手を引っ込めた。
 ーー駄目だ。ニヤニヤしちゃ駄目だ。堪えろ私、堪えろーー
「吉田さん、にやつきすぎ」
 前田は口元を手で覆い、迫力のない視線で私を睨みつけた。
「あ、やっぱり?」
 両手で頬を覆い、私はへらりと笑う。
 ーーで、前田くん。
 その、赤くなった目尻の色気、私にとっては結構凶器なんですけどーー
 それって言葉にした方がいいのかしら。 
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