期待外れな吉田さん、自由人な前田くん

松丹子

文字の大きさ
67 / 85
第三章 アラサー女子よ、大志を抱け!

67 優しいキスが呼び起こす欲情。

しおりを挟む
「何か飲む?お茶煎れようか」
 部屋に上がってもらったものの、なんだか気分は落ち着かずにそわそわする。前田が私の部屋にいる。ただそれだけでちょっと気恥ずかしい。
 部屋は1LDKだけど、部屋とダイニングは仕切り戸になっていて、広く感じたい私はそれを片側に寄せているから、実質広いダイニングとキッチンという見た目だ。ーーってことで、すぐベッドが見えるのよね、という落とし穴。今日くらい戸を閉めておけばよかったかなという気になる。
「綺麗にしてるね」
「そ、そうかな」
 散らかった部屋は落ち着かない、と気づいたのは前職にいた頃だ。ほとんど毎日終電帰り、服やら何やらで散らかした部屋は、居心地のよさから程遠かった。そんなときマサトさんたちの家を訪問して、無駄なものを何も置かないという徹底ぶりに感動した。アヤノさんは物を増やすたちだそうだが、マサトさんは結構なミニマミストだ。気に入った物を、必要最低限持つ。そんな訳で、個別のスペースには口出しをしない決まりらしいが、共用スペースはほとんど何も置いていない。
 その影響を受けた結果、我が家にはテレビもない。見たいものはネットで見ればいいからね。おかげで部屋が広々と感じられるし掃除もしやすい。
「適当に座って」
 前田は頷いてリュックを下ろし、座卓横のクッションの横に腰掛けた。ぼんやりそのクッションを見やり、自分の膝上に乗せる。
 何その姿、可愛い。
 イチイチときめく無駄な心臓を叱咤して、私はマグカップを二つ出した。ときどき弟が来るので用意していたものだ。さすがに元カレが使ったやつは早々に捨てた。だっていつまで持ってても悔しいだけだし。
「冷たいのがいい?あったかいのがいい?」
「どっちでも」
 前田は答えながら、部屋をぼんやり見回している。変な物を出していないのは先ほど帰ってきたときに確認済みだ。
「ごめんね、テレビもなくて」
 無音状態が緊張を招き、私は少し高めのトーンで話す。前田は、ああ、と言った。
「そっか。なんか広々してるなと思ったら、テレビがないのか」
 納得して、テレビ台の代わりに置いてある小さな本棚に目をやる。
「……オタクっぽい本全然ないね」
「だってオタクじゃないもん」
「そうだったね」
 話していたが、あれ、と何かに気づいて本棚に寄っていく。
「これだけ異色」
 取り出したのは弟がいつだか置いて行った漫画だ。
「弟のだよ。そういえば返し忘れてた」
「ふぅん」
 言いながら前田は漫画を開く。
「俺もこれ、全巻持ってる。好きなゲームも一緒だし、弟さんと話合いそう」
「あー、そうかもね」
 私は言いながら、水出し緑茶を座卓に運んだ。
「どうぞ」
「うん」
 前田の返事は気がない。どうやら本気で漫画を読み始めたらしい。キラキラした目でコマを追っている。
 あぐらをかいて漫画を楽しげに読む前田の横顔を見ながら、私は冷たい緑茶を口にする。静かな中に前田がページをめくる音がときどき響く。音を立てて集中を削ぐのも気が引けて、私のマグカップは机の上には置かず、自分の膝上と口元を往復した。
「はっ」
 しばらくしたとき、前田が顔を上げた。
「……ごめん。久々に見たから」
「うん、いいよ別に」
 気まずそうに私の顔を仰ぎ見る前田にマグカップを差し出す。前田はそれを受け取ったが、漫画の間に差し込んだ指先はそのままだ。
 私は笑った。
「いいよ、読んでても」
「うん、いや、でも」
 前田は漫画と、そこに差し込んだ自分の指先と、私の顔を見比べて困惑した。
 読みたい。けど、私とも過ごしたい。
 言葉にしなくても気持ちが分かるときはあるみたいね、と心中思ってくすくすと笑うと、前田は居心地悪そうに緑茶を口にした。
「じゃあ、後で読む?」
「そうする」
 前田はほっとしたような顔をした。私はしおりになりそうなものを探し、手近にあった付箋を一枚渡す。
 前田は挟んでいた指をどけて付箋を挟むと、満足げに漫画を閉じて座卓に向き合った。私はまたくすりと笑う。
 私たちの間に、また沈黙が下りる。
 ーーで、どうする?どうしたらいい?
 前田は経験値がどうの、とか言ってたけど、私だって、経験豊富な訳じゃない。いや、確かに中学の頃から彼氏はいたことがあって、何人かお付き合いしたけど、つき合い方は友達のそれと大して変わらなかった。ーーそれは私に色気がなかったからかもしれないけど、相手に色気を感じなかったからでもあるんだと、前田といて気づく。
 座卓を挟んで座り合い、黙って緑茶を飲む様はまるで老夫婦みたいだけど、老夫婦にはない微妙な緊張感が漂っている。
「……隣に行ってもいい?」
 結局、耐えかねたのは私の方だった。
 前田はうん、と頷く。
 座卓の上にコップを置いたまま、するすると座卓沿いに近づき、前田の横に腰掛ける。
 前田は黙ったまま、緑茶を口にしていた。
 コップを持たない手は、膝上のクッションの上にある。
 その手に、おずおずと手を重ねた。
 ちらりとこちらに目をやった前田が、手を浮かせて私の指と絡める。
 すらりとした指が、私の指と絡み合う。
 ーーそれを見るだけで、ゾクリとする。
 今の私、絶対、顔、真っ赤だ。
 俯いたまま、もう片方の手をその手に添え、前田の片手を包み込んだ。
 組んでいない手で、前田の手の甲を撫でる。
 私のそれよりも、筋張った甲。肌は白いけれど、男の人なんだなぁ、と思う。
 組んだ前田の親指が、それに応えるように私の親指のつけねを撫でた。
 ゾクゾクと、また指先から胸へ快感が抜ける。
 ーー変になっちゃいそう。
 多分、生理的な涙が、目を潤ませた。
「ーー吉田さん」
 声に、目を上げる。
 前田の顔が近くにあった。
 静かに、ゆっくりと、唇が触れ合う。
 高鳴り続ける心臓は、もうそう気付かないほど長いこと私の胸を叩きつづけている。
 唇がゆっくりと離れた。目を開いた前田の頬が赤い。ーーでも、きっと私の顔の方が真っ赤だろう。だってこんなに熱いもの。
「可愛い」
 マグカップを置いた前田の手が、私の頬に伸びた。
 いつだかは、触れるか触れないかの距離で止まった手が、柔らかく私の頬を包む。
「もう一回、していい?」
「いちいち、聞かないで」
 私が必死で答えると、前田は笑った。静かに顔が近づく。私も目を閉じてそれに応えた。
 ただ、触れるだけのキス。時々離れて互いの目に気持ちを確認しては、また触れ合いを繰り返す。
 そこに時々、わずかな水気を含んだ音が混ざる。それが気恥ずかしくて、でも、身体は何かを期待するように、どんどん熱くなっていく。
 ちょっと離れていた二人の距離は、気付かない内に段々と近づいていた。
 前田が私の肩に触れる。私の目を覗き込む。その目は、しっかり男の目をしていた。きっと前田のこの目を見たことがある女は私だけだろう。そう思うだけで身体に痺れが走る。
 前田が照れ臭そうに笑った。
 眼鏡の奥でとろけた目に、私はくぎづけになる。
 ーー前田。
 もっと、私を求めて。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

花の精霊はいじわる皇帝に溺愛される

アルケミスト
恋愛
崔国の皇太子・龍仁に仕える女官の朱音は、人間と花仙との間に生まれた娘。 花仙が持つ〈伴侶の玉〉を龍仁に奪われたせいで彼の命令に逆らえなくなってしまった。 日々、龍仁のいじわるに耐えていた朱音は、龍仁が皇帝位を継いだ際に、妃候補の情報を探るために後宮に乗り込んだ。 だが、後宮に渦巻く、陰の気を感知した朱音は、龍仁と共に後宮の女性達をめぐる陰謀に巻き込まれて……

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

俺に抱かれる覚悟をしろ〜俺様御曹司の溺愛

ラヴ KAZU
恋愛
みゆは付き合う度に騙されて男性不信になり もう絶対に男性の言葉は信じないと決心した。 そんなある日会社の休憩室で一人の男性と出会う これが桂木廉也との出会いである。 廉也はみゆに信じられない程の愛情を注ぐ。 みゆは一瞬にして廉也と恋に落ちたが同じ過ちを犯してはいけないと廉也と距離を取ろうとする。 以前愛した御曹司龍司との別れ、それは会社役員に結婚を反対された為だった。 二人の恋の行方は……

男に間違えられる私は女嫌いの冷徹若社長に溺愛される

山口三
恋愛
「俺と結婚してほしい」  出会ってまだ何時間も経っていない相手から沙耶(さや)は告白された・・・のでは無く契約結婚の提案だった。旅先で危ない所を助けられた沙耶は契約結婚を申し出られたのだ。相手は五瀬馨(いつせかおる)彼は国内でも有数の巨大企業、五瀬グループの若き社長だった。沙耶は自分の夢を追いかける資金を得る為、養女として窮屈な暮らしを強いられている今の家から脱出する為にもこの提案を受ける事にする。  冷酷で女嫌いの社長とお人好しの沙耶。二人の契約結婚の行方は?  

幸せのありか

神室さち
恋愛
 兄の解雇に伴って、本社に呼び戻された氷川哉(ひかわさい)は兄の仕事の後始末とも言える関係企業の整理合理化を進めていた。  決定を下した日、彼のもとに行野樹理(ゆきのじゅり)と名乗る高校生の少女がやってくる。父親の会社との取引を継続してくれるようにと。  哉は、人生というゲームの余興に、一年以内に哉の提示する再建計画をやり遂げれば、以降も取引を続行することを決める。  担保として、樹理を差し出すのならと。止める両親を振りきり、樹理は彼のもとへ行くことを決意した。  とかなんとか書きつつ、幸せのありかを探すお話。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 自サイトに掲載していた作品を、閉鎖により移行。 視点がちょいちょい変わるので、タイトルに記載。 キリのいいところで切るので各話の文字数は一定ではありません。 ものすごく短いページもあります。サクサク更新する予定。 本日何話目、とかの注意は特に入りません。しおりで対応していただけるとありがたいです。 別小説「やさしいキスの見つけ方」のスピンオフとして生まれた作品ですが、メインは単独でも読めます。 直接的な表現はないので全年齢で公開します。

イケメンエリート軍団??何ですかそれ??【イケメンエリートシリーズ第二弾】

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 そのイケメンエリート軍団の異色男子 ジャスティン・レスターの意外なお話 矢代木の実(23歳) 借金地獄の元カレから身をひそめるため 友達の家に居候のはずが友達に彼氏ができ 今はネットカフェを放浪中 「もしかして、君って、家出少女??」 ある日、ビルの駐車場をうろついてたら 金髪のイケメンの外人さんに 声をかけられました 「寝るとこないないなら、俺ん家に来る? あ、俺は、ここの27階で働いてる ジャスティンって言うんだ」 「………あ、でも」 「大丈夫、何も心配ないよ。だって俺は… 女の子には興味はないから」

わたしの愉快な旦那さん

川上桃園
恋愛
 あまりの辛さにブラックすぎるバイトをやめた。最後塩まかれたけど気にしない。  あ、そういえばこの店入ったことなかったな、入ってみよう。 「何かお探しですか」  その店はなんでも取り扱うという。噂によると彼氏も紹介してくれるらしい。でもそんなのいらない。彼氏だったらすぐに離れてしまうかもしれないのだから。  店員のお兄さんを前にてんぱった私は。 「旦那さんが欲しいです……」  と、斜め上の回答をしてしまった。でもお兄さんは優しい。 「どんな旦那さんをお望みですか」 「え、えっと……愉快な、旦那さん?」  そしてお兄さんは自分を指差した。 「僕が、お客様のお探しの『愉快な旦那さん』ですよ」  そこから始まる恋のお話です。大学生女子と社会人男子(御曹司)。ほのぼのとした日常恋愛もの

処理中です...