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.第1章 憧れ
10 日常
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ゆんちゃんは「次」なんて言ったけれど、奇跡的な偶然が、そう度々起こるわけもない。
その日のそわそわ感は、一週間もしない内にすっかり日常に飲まれてしまった。
月曜から金曜は、車で学校に出勤。ホームルーム、授業、ホームルーム、部活、会議、残業、そして車で帰宅。
休日も丸一日休めることなんてほとんどなくて、午前か午後のどちらかは学校にいる。
残りの時間は、家事もしくは休息――そこにヤスくんからの電話があった日には、休んだ気すらせずまた翌週を迎えるのだけど、幸い、その週末には何の連絡も無かった。
それが、今までの私の日常。その一週間も、それとさして変わらない、いつも通りの毎日が過ぎようとしていた。
金曜の夕方、基礎練習が終えた時間を見計らって、職員室から体育館へと足を運んだ。
アップはメニューが決まっているから、基本的には子どもたちに任せてある。その間に職員会議や事務作業を済ませるのが常だ。
アップが終わったことを確認すると、サーブ練習や模擬試験(ゲーム)をさせ、定時が来ればミーティング。
その後、生徒の帰宅を促して、体育館を施錠。それで、顧問の一日の仕事は終わりになる。
その日もそんなルーティンを済ませようとしていたのだが、施錠が終わっても、二年の女子が四人、体育館前にたむろしているのを見つけた。
その中には、ムードメーカー・平峯もいる。
「ほら、暗くならないうちに帰りなさい。だいぶ日が短くなってるから」
私のかけ声に、生徒たちは顔を見合わせたかと思えば、いそいそと近づいて来た。
さようなら、と言われるかと思いきや、平峯がじっと私を見上げてくる。
「せんせ。卒業アルバム、見つかった?」
「……卒業アルバム?」
眉を寄せると、「前、約束したじゃん!」と平峯が唇を尖らせる。
「あの消防士さんが載ってるやつだよ!」
私は思わず、あっという顔をした。
そういえば、そんなことを言われていた。はっきり約束したわけじゃないし、どうせ気分屋の彼女のことだ、すぐ忘れるだろうとたかをくくっていて、私の方こそ忘れてしまっていたのだ。
「消防士って、あのイケメンのでしょ?」
「見たい見たい!」
生徒たちはわいわいと盛り上がる。どうにも嫌な予感がして、じりじりと離れ始めた。
「……寄り道せずに帰りなさいよ」
さりげなく立ち去ろうとしていた私の腕を、生徒たちが「待って待って」と掴む。
立ち止まると、子どもたちは目を輝かせて私を見上げてきた。
「じゃあさ、なんか、うちらががんばったら、ご褒美ってことで、どう!?」
「ご、ご褒美……」
うなずいてもいないのに、少女たちは「それいいね!」とますます盛り上がる。
「じゃあ、公式戦で勝ったら!」
「勝つって、チームで?」
「いや、誰かが一回戦突破したら」
「目標、低っ!」
あー、あー、もう。
水を差すのが大人げなく思えるくらい、彼女たちは楽しげに話している。
「じゃあ、じゃあ……公式戦で、地区大会突破したら!」
「県大進出?」
「それいーね! がんばる! がんばろー!」
だから、私は何も言ってないってば!
そう言いたいのに、生徒たちはもう決めてしまったものらしい。
「がんばろー!」「おー!」と拳を握る姿はキラキラしていて、生命力に溢れていて、なにより可愛らしい。
ときめきも、目標も、はち切れんばかりの生命力も、すべて、私が失ってしまったものだ。
呆れ半分、なんともいえない切なさと愛おしさが湧き上がった。
いつの間に、私はこうじゃなくなってしまったんだろう。
少女から、女に――と言うよりも大人に、なったと感じるのはきっと年齢だけでないだろう。
自分がいつ変わってしまったのか、自分でも分からない。
鼻につんと沁みた苦い感情をごまかして、ため息をついた。
「……わかったよ。探しておく」
生徒たちがさらにはしゃぐ。
「やったー!」
「超やる気出た!」
「せんせー、約束だよ!」
「さよならー!」
思い思いの言葉を口に、生徒たちが笑顔で手を振った。私もそれに応えて、校舎へと続く渡り廊下を歩き出す。
何を話しているのかは分からない、楽しげな話し声がだんだんと遠ざかって行く。
ときどき笑い声のまざるそれが、自分の回想のように懐かしく聞こえた。
校舎に足を踏み入れながら、たった今引き受けた約束のことに思いを馳せる。
――卒業アルバムかぁ。
どこにやっただろう。実家の部屋を頭に思い浮かべたけれど、ここ、と言いきることができない。
捨ててはいないし、母が捨てるとも思えないから、少なくとも実家のどこかにはあるはずだ。
探しに行く時間がいつ取れるか、自分でもよく分からなかった。そもそも、私の部屋は妹のクローゼット状態になっているから、気軽に入れる場所でもない。
とりあえず、母に連絡しておこう。
そう決めたところで、ふと迷った。
でも――勝手に見せてもいいものかな。
私は別に構わないけど、橘くんにとってはどうか分からない。嫌な気持ちにさせたりしないだろうか。
それに、アルバムには人気投票や、みんなの一言、みたいなページもあった。プライバシーの侵害だと言われれば、反論はしにくい。
そもそも――これではまるで、生徒のやる気を出させるために、橘くんのことを利用したみたいだ。
ぽつん、ぽつんと浮かぶ迷いの先には、複雑な感情もあった。
卒業アルバムを見せることで――私の中だけにいた橘くんを、他人に知られてしまうような抵抗感。
再会した橘くんの笑顔を思い出し、ふっと息苦しくなった。
――橘くん。
当時の面影を残したまま、すっかり男性になってしまった橘くん。
もう、どこか気弱な橘くんはいなくて、そこにいるのはひとりの屈強な若手消防士だった。
私がお世話した橘くんは、もういないのだ。
再会した喜びが落ち着いた今や、そんな寂しさがじわりと胸に広がる。
風が吹いて、頬を撫でて行く。湿度の低い空気は、長引いた残暑の終わりを告げていた。
彼と再会した日は、季節と共に去って行く。
そうだよね。
心の中でひとりごちた。
どうせ、私たちはただの、小学生時代の同級生。再会したこと自体が奇跡的なラッキーだったのだから、さすがにもう、会うことなんてないはず。
それなら、卒業アルバムを生徒に見せたところで、文句を言われることも――そもそも、見せたことを知られる機会だって、ないだろう。
橘くんの日常と私の日常は、重なり合うことはない。
今までも――これからも。
知らないうちに足元へ向いていた視線を、無理矢理引き上げた。
階段を昇る足元を、どこからか吹いたすきま風が撫でていく。もう、一週間もすれば秋が来る。一ヶ月もすればきっと、再会した喜びも忘れているだろう。
その日のそわそわ感は、一週間もしない内にすっかり日常に飲まれてしまった。
月曜から金曜は、車で学校に出勤。ホームルーム、授業、ホームルーム、部活、会議、残業、そして車で帰宅。
休日も丸一日休めることなんてほとんどなくて、午前か午後のどちらかは学校にいる。
残りの時間は、家事もしくは休息――そこにヤスくんからの電話があった日には、休んだ気すらせずまた翌週を迎えるのだけど、幸い、その週末には何の連絡も無かった。
それが、今までの私の日常。その一週間も、それとさして変わらない、いつも通りの毎日が過ぎようとしていた。
金曜の夕方、基礎練習が終えた時間を見計らって、職員室から体育館へと足を運んだ。
アップはメニューが決まっているから、基本的には子どもたちに任せてある。その間に職員会議や事務作業を済ませるのが常だ。
アップが終わったことを確認すると、サーブ練習や模擬試験(ゲーム)をさせ、定時が来ればミーティング。
その後、生徒の帰宅を促して、体育館を施錠。それで、顧問の一日の仕事は終わりになる。
その日もそんなルーティンを済ませようとしていたのだが、施錠が終わっても、二年の女子が四人、体育館前にたむろしているのを見つけた。
その中には、ムードメーカー・平峯もいる。
「ほら、暗くならないうちに帰りなさい。だいぶ日が短くなってるから」
私のかけ声に、生徒たちは顔を見合わせたかと思えば、いそいそと近づいて来た。
さようなら、と言われるかと思いきや、平峯がじっと私を見上げてくる。
「せんせ。卒業アルバム、見つかった?」
「……卒業アルバム?」
眉を寄せると、「前、約束したじゃん!」と平峯が唇を尖らせる。
「あの消防士さんが載ってるやつだよ!」
私は思わず、あっという顔をした。
そういえば、そんなことを言われていた。はっきり約束したわけじゃないし、どうせ気分屋の彼女のことだ、すぐ忘れるだろうとたかをくくっていて、私の方こそ忘れてしまっていたのだ。
「消防士って、あのイケメンのでしょ?」
「見たい見たい!」
生徒たちはわいわいと盛り上がる。どうにも嫌な予感がして、じりじりと離れ始めた。
「……寄り道せずに帰りなさいよ」
さりげなく立ち去ろうとしていた私の腕を、生徒たちが「待って待って」と掴む。
立ち止まると、子どもたちは目を輝かせて私を見上げてきた。
「じゃあさ、なんか、うちらががんばったら、ご褒美ってことで、どう!?」
「ご、ご褒美……」
うなずいてもいないのに、少女たちは「それいいね!」とますます盛り上がる。
「じゃあ、公式戦で勝ったら!」
「勝つって、チームで?」
「いや、誰かが一回戦突破したら」
「目標、低っ!」
あー、あー、もう。
水を差すのが大人げなく思えるくらい、彼女たちは楽しげに話している。
「じゃあ、じゃあ……公式戦で、地区大会突破したら!」
「県大進出?」
「それいーね! がんばる! がんばろー!」
だから、私は何も言ってないってば!
そう言いたいのに、生徒たちはもう決めてしまったものらしい。
「がんばろー!」「おー!」と拳を握る姿はキラキラしていて、生命力に溢れていて、なにより可愛らしい。
ときめきも、目標も、はち切れんばかりの生命力も、すべて、私が失ってしまったものだ。
呆れ半分、なんともいえない切なさと愛おしさが湧き上がった。
いつの間に、私はこうじゃなくなってしまったんだろう。
少女から、女に――と言うよりも大人に、なったと感じるのはきっと年齢だけでないだろう。
自分がいつ変わってしまったのか、自分でも分からない。
鼻につんと沁みた苦い感情をごまかして、ため息をついた。
「……わかったよ。探しておく」
生徒たちがさらにはしゃぐ。
「やったー!」
「超やる気出た!」
「せんせー、約束だよ!」
「さよならー!」
思い思いの言葉を口に、生徒たちが笑顔で手を振った。私もそれに応えて、校舎へと続く渡り廊下を歩き出す。
何を話しているのかは分からない、楽しげな話し声がだんだんと遠ざかって行く。
ときどき笑い声のまざるそれが、自分の回想のように懐かしく聞こえた。
校舎に足を踏み入れながら、たった今引き受けた約束のことに思いを馳せる。
――卒業アルバムかぁ。
どこにやっただろう。実家の部屋を頭に思い浮かべたけれど、ここ、と言いきることができない。
捨ててはいないし、母が捨てるとも思えないから、少なくとも実家のどこかにはあるはずだ。
探しに行く時間がいつ取れるか、自分でもよく分からなかった。そもそも、私の部屋は妹のクローゼット状態になっているから、気軽に入れる場所でもない。
とりあえず、母に連絡しておこう。
そう決めたところで、ふと迷った。
でも――勝手に見せてもいいものかな。
私は別に構わないけど、橘くんにとってはどうか分からない。嫌な気持ちにさせたりしないだろうか。
それに、アルバムには人気投票や、みんなの一言、みたいなページもあった。プライバシーの侵害だと言われれば、反論はしにくい。
そもそも――これではまるで、生徒のやる気を出させるために、橘くんのことを利用したみたいだ。
ぽつん、ぽつんと浮かぶ迷いの先には、複雑な感情もあった。
卒業アルバムを見せることで――私の中だけにいた橘くんを、他人に知られてしまうような抵抗感。
再会した橘くんの笑顔を思い出し、ふっと息苦しくなった。
――橘くん。
当時の面影を残したまま、すっかり男性になってしまった橘くん。
もう、どこか気弱な橘くんはいなくて、そこにいるのはひとりの屈強な若手消防士だった。
私がお世話した橘くんは、もういないのだ。
再会した喜びが落ち着いた今や、そんな寂しさがじわりと胸に広がる。
風が吹いて、頬を撫でて行く。湿度の低い空気は、長引いた残暑の終わりを告げていた。
彼と再会した日は、季節と共に去って行く。
そうだよね。
心の中でひとりごちた。
どうせ、私たちはただの、小学生時代の同級生。再会したこと自体が奇跡的なラッキーだったのだから、さすがにもう、会うことなんてないはず。
それなら、卒業アルバムを生徒に見せたところで、文句を言われることも――そもそも、見せたことを知られる機会だって、ないだろう。
橘くんの日常と私の日常は、重なり合うことはない。
今までも――これからも。
知らないうちに足元へ向いていた視線を、無理矢理引き上げた。
階段を昇る足元を、どこからか吹いたすきま風が撫でていく。もう、一週間もすれば秋が来る。一ヶ月もすればきっと、再会した喜びも忘れているだろう。
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