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3章 神崎くんと私
23 invitation
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大学卒業後は、新しい環境に慣れるのに必死で、あっという間に3年目を迎えてしまった。
年一回は暑気払いを兼ねて集まろう、と相ちゃんが飲み会を企画してくれるのだが、私はなぜかその度に鼻かぜを引き、2度とも参加できずじまいでいる。
卒業後、唯一みんなと会えたのは、相ちゃんとえみりんの結婚祝いで集まった半年前だけだ。
そう、驚いたことに、相ちゃんは卒業から1年半後、えみりんと結婚した。えみりんとえみりんママの希望により海外で親族のみの挙式にしたため、秋口いきなり届いた結婚報告にみんなでびっくりした。
そこで急遽、早めの忘年会を兼ねて集まることになったのだ。
一体いつからそういうことになったのか、みんなで問いただすと、どうも2年の中頃から、段々二人で食事に行ったりするようになったらしい。就活の頃には精神的に参ってしまいそうだったえみりんを相ちゃんが支え、実際につき合い始めたのは卒業する頃、と言った。
在学時にゆるゆるだった相ちゃんのシャツは、ピシッとノリがきいていた。
「私も支えがほーしーいー」
それを聞いたサリーがぐでっと机に突っ伏して言った。彼女は商社に勤めているが、その優秀さゆえか、仕事がどんどん増えていく、と毎回会う度に嘆いている。精神的に、さすがのサリーも消耗しているらしい。そして美人なのになかなか彼氏ができない。デートはたまにしているようなのだが。
「俺でよければ」
「うわ全力でお断り」
ケイケイの相変わらずのノリをサリーが一蹴して、みんなが笑った。
その頃は私も、遅ればせながら初めての彼氏ができて、半年ほどたっていた。浮き立つ気持ちも落ち着いてきて、こんなもんか、と思い始めていた頃でもある。ーー結局、その1か月後には振られたのだが。
そんなことを思い出したのは、幸弘と早紀に呼ばれたからだ。香子に話したいことがある、と言われて、相応の覚悟をしながら都内のレストランに向かうその途上である。
みんなで集まる機会が減ったとはいえ、早紀とサリー、3人での女子会は、年2回ほどのペースで続けていた。ゴールウデンウィーク前後に一度食事をし、秋口には一泊二日の小旅行に行く、というのが恒例化している。
幸弘とはめっきり会うことがなくなったが、早紀から様子は聞いていた。大学在学中からのつき合いが続いていて、仕事の合間を縫って会っていることも。
だから、話したいこと、と聞いたとき、思いつくことは一つしかなかった。
とうとうこの日が来たかという安心と喜び。それと同時に感じた疼きに、私は気づかずにいられなかった。
ーー言わなくてよかったの。
また、サリーの言葉が蘇る。今ならその意味が分かるような気がしていた。
ーー言っておけばよかった。
じわりと湧き上がる苦笑を噛み殺しながら、私は電車に揺られていた。
レストランは、ちょっとおしゃれな落ち着いた雰囲気のお店だった。春の埃っぽい風にあてられたコートを脱いで中に入り、予約名を告げると、中に通される。半個室の予約席に先に来ていたのは幸弘だった。
「悪いな。遠いところまで来てもらって」
「ううん」
幸弘の実家と私の実家は近くだが、就職後、幸弘は職場に近い都内に一人暮らししている。早紀もまだ実家から通っているものの、やはり都内の私立学校なので引っ越そうか迷っていると言っていた。
「先、飲み物頼めよ。どうせ俺たち飲まないし」
「飲めない二人を前にして一人で飲むほど、のんべえじゃないよ」
私は笑った。幸弘も笑う。その笑顔は、少しだけ大人びた顔になった。
「サリーはすげぇ忙しいみたいだな。なかなか予定合わなくて、今度改めて会うつもり」
「そうだよね。ほとんど終電帰りみたいだし。家には寝に帰るだけって言ってたもん」
元々、夜の弱いサリーだ。眠気が限界になったら帰るの、と言っていた。元々細めの身体が就職後益々細くなったような気がしているのだが、本人曰く、朝昼しっかり食べれば夜は抜いても大丈夫、とのことだ。会えば相変わらずエネルギッシュなのだが、少し心配ではある。
「お待たせ。ごめんね」
ピーコートを持った早紀が現れた。学校の先生らしい上品ないで立ちだ。薄黄のニットの首元には、銀色のリングが揺れていた。照明を反射して、並んだ石がキラキラと輝く。
「ううん、今来たところ」
早紀は微笑んで、奥に寄った幸弘の隣に腰かけた。その自然さに、私は不思議な感慨が沸く。
「とりあえず、飲み物頼もうぜ」
メニューを机に置いた幸弘に、私が言う。
「お子様用のシャンパンとかないの」
「お前なー」
幸弘が笑った。
「ジンジャエールにでもするか」
「じゃあ、私も」
「私も」
乾杯は、しゅわっと行きたいよね。
ーー曖昧な気分も、少しは飛ばしてくれるような気がするから。
運ばれてきたドリンクを持って、お疲れー、と乾杯する。レストランはイタリア料理がメインだった。サラダやピザを頼み、パスタは後で頼むことにして、それぞれの近況や、サークルの仲間のことをあれこれ話す。
「--さて」
幸弘がタイミングをうかがっているのを察して、私は居住まいを正した。
「そろそろ、今日のメインを聞かせていただきましょうか」
半分ほど飲んだジンジャエールのグラスを、両手で抱えて言う。
幸弘と早紀がちらりと目線を合わせた。
「結婚するんだ。11月に挙式する」
幸弘が言うと、早紀は照れくさそうにうつむいた。
私は、ほっとした。自分の顔に自然に浮かんだのが、笑顔だったから。
「おめでとう」
できるだけ丁寧に、私は言った。二人の表情がほころぶ。
「ありがとう」
二人も心から言った。
「サークルの仲間を式に呼びたいと思っていて。余興で、みんなで久しぶりに歌えないかな、って」
「いいね、それ。喜んで協力するよ」
「ありがとう」
二人は嬉しそうに笑っていた。私も笑顔で話した。日取りや会場、曲目や練習方法など。
話しながら、気づいていた。ほとんど温かく満ち足りた心の中で、一か所だけが温まりきらない。そのことがじわじわと苦しく感じられた。
余興にあたっては、私の他、サリーと相ちゃん、神崎くんが幹事を引き受けた。
とりあえず、幹事だけで早めに一度会おうと、休日の午後に都内の相ちゃんの家に集まることになった。相ちゃんの自宅にしたのは、えみりんも様子を知りたがっていたことと、経験者として参考になる話も聞けるだろうと思ったからだ。
神崎くんは午前中に仕事があって遅れると言われたので、私とサリーが駅で待ち合わせ、相ちゃんと合流して先に家へ向かった。
「久しぶりー」
「久しぶり。お邪魔します」
出迎えてくれたえみりんは、在学中よりも柔らかい顔をしていた。私とサリーは買ってきたお菓子を渡す。
「ざっきーは15時頃着くって。よかったな、久々に会えて」
相ちゃんがえみりんに言うと、えみりんもそうね、と頷いた。
半年前の二人のお祝い会は、遠方の出張が重なって神崎くんは不参加だったので、私も丸2年ぶりに会うことになる。
指折り数えてそう言うと、えみりんと相ちゃんは同じように顔をしかめた。
「もしかして、と思うけど……コッコ」
えみりんが疑わしそうな表情で言う。
「結局、あんたたちって、何もなかったの?」
「何もって、何が?」
私が聞き返すと、相ちゃんが頭をかかえた。
「マジかー」
「マジです」
我がことのように答えたのはサリーだ。私は苦笑する。
「あのときみんな変だったよね。まるで神崎くんが私のこと好きみたいに」
「あれ、それには気づいてたの」
「うん、そうらしいよ」
相ちゃんとサリーが確認し合う。
「ざっきー今どうなんだろうね。彼女とかいんのかな」
「あんまり自分のこと話さないタイプだし、いまいち分かんないよね。周りは放っとかないと思うけど。来たら聞いてみようよ」
えみりんと相ちゃんが話しながらお茶を淹れてくれた。
「仲良し夫婦ですなー」
サリーが言う。相変わらずおやじっぽい。
「えみりんも元気そうでよかった。新生活には慣れた?」
私が言うと、えみりんはにこりと微笑んで頷き、何かを問うように相ちゃんを見た。相ちゃんが頷くと、えみりんが安心したように言った。
「二人には言っても大丈夫だと思うから、一応、言っておくね」
えみりんが腰かける。
「まだ安定期も先なんだけど、実は妊娠して」
あまりに平然と言ったので、私とサリーは反応が遅れた。
「え、ええっ、おめでとー!」
「うん、ありがとう」
えみりんはにっこりした。
「昨日、検診で心音確認できたところなの。予定日が12月末だから、式のときには妊娠後期で、ちょっとどうなるかはっきりしなくて」
だから、今のうちにできる協力はしたいの、とえみりんが微笑んだ。きれいになったなぁ、と思わず私は思う。元々可愛い子だったけれど、あのときの小悪魔的な毒気がだいぶ抜けたような気がする。
「えみりん、ママになるんだー。すごーい」
「まだ実感ないけどね」
「つわりとかは?大丈夫なの?」
「うん、軽い方みたい。時々すっごく眠くて起き上がれないけど」
「一日中寝てるときもあるよね」
相ちゃんが言いながらえみりんの隣に腰かけた。二人が並んで座る姿はいたって自然で、これが夫婦ってもんなんだなぁと思う。幸弘と早紀がそうであったように。
いつか私も、こうして自然と寄り添える誰かと出会えるのかな。
にわかには想像できない。
「仕事はどうしてるの?」
「行ってるよ。行くと疲れるんだよね。相ちゃん、家事も一通りできるからほとんどお願いしちゃってる」
「週末まとめてやってるけどね。だって、妊娠も出産も代われないから。代われるのって家事くらいでしょ」
「理想的!」
「プレパパの鑑!」
私とサリーが拍手すると、相ちゃんはどーもどーもとノリよく応えた。相ちゃんのスマホが着信を告げる。
「あ、ざっきーだ」
相ちゃんが電話に出て、迎えに行く、と玄関に向かいながら言う。
「乗り継ぎがうまくいって、早めに着いたみたい。行ってくる」
「行ってらっしゃーい」
女3人に見送られて、相ちゃんは家を出て行った。
「えみりんはママになり、早紀も結婚かー」
「なんかどんどん変わっていっちゃうね」
「次は香子が結婚するでしょー」
「なんでよ」
私が笑う。さっき、誰かの隣で自然に座っている自分が想像できないと思ったばかりなのに。
「分かるよ、きっと。もう少ししたら」
サリーが言った、その目はいつもよりも真剣で、温かな色をしていた。
「また、神崎くんがどうのとか言うつもり?」
私が苦笑する。えみりんが笑った。
「そんなことあったら、素敵ねぇ」
「やめてよ、えみりんまで」
私は手を振って言うと、淹れてもらったお茶を飲んだ。
しばらくすると玄関先で音がし、男二人が話す声が聞こえた。リビングにつながるドアが開いた瞬間、声がクリアになる。
「いらっしゃい」
えみりんが言った。
「お邪魔します」
ノーネクタイの神崎くんは、スーツのジャケットを抱えて微笑んだ。
「眼福、眼福」
神崎くんのスーツ姿にサリーが言うと、神崎くんは笑った。
「俺がイケメンかどうかはともかく、ネクタイは先に外しといたよ」
サリーと私も思わず、懐かしい、と笑う。
「何、それ」
えみりんが首を傾げると、サリーが言った。
「就活の頃、イケメンが人前でネクタイ緩めるのは禁止行為だって言ったの」
「ああ、それは正しいかも」
えみりんも口元に手をあてて笑った。
「えみりん、ご懐妊おめでとう。さっき相ちゃんから聞いたよ」
相ちゃんに促されて席に座りながら、神崎くんはえみりんに言った。
「ありがとー。ところでざっきーは今、フリー?」
神崎くんは椅子に座り損ねそうになった。
「さすが、特攻隊長」
サリーが大ウケしている。神崎くんは苦り切った笑顔で言った。
「そういうことを、既婚の妊婦に聞かれるとは思ってなかったよ」
「あら。既婚の妊婦だから聞けるんです。分かってないわねぇ」
えみりんがさも当然のように言った。
「で、お答えは」
「突っ込むねぇ」
神崎くんの表情は苦いままだ。
「え、もしかしているの?彼女」
「うーん。いるといえばいるし、いないといえばいないし」
神崎くんが答えづらそうにしていると、サリーが口元を手で覆った。
「なんてこと!イケメンなのに初心が売りだったざっきーが、チャラ男になってしまった!」
「人聞きの悪いこと言わないでよ」
神崎くんがサリーをなだめる。
「だって……人間関係なんて、そう単純じゃないでしょ」
神崎くんの表情は、ずいぶん大人びていた。
大学時代の友達に会うと、思わず大学時代の自分に戻ってしまうように思うが、やっぱりもうあの頃とは違うんだなあ、と改めて感じながら、私は言った。
「さて、雑談はともかく、みんな集まったことだし、11月に向けての話をしましょうか」
サリーが不満そうに唇を尖らせた。
「雑談かなぁ。私的には今日の目的の一つだったんだけど」
私はそれを聞いて、もしかして、と思った。
私にあれこれ言っていたけど、本当は、サリーこそ神崎くんのことがーー
「ねえ香子。あんたなんか勘違いしてるでしょ。今何考えたか言ってごらん」
「え、何でもないよ。何も考えてないよ」
私が慌ててしらを切ると、サリーが半眼のままにらみつけて来る。
「怒らないから言ってごらん。もしかして、私がざっきーに気があるんじゃ、とか思ったんでしょ。怒るよ」
「怒るんじゃん」
私とサリーのやりとりに、相ちゃんは笑った。
「サリーも平常運転だな。会社で相当うっぷんがたまっていると見た」
「たまってますともー。みんなの幸せにあやかりたいよぅ」
サリーが手を合わせて、なんまんだぶなんまんだぶ、と唱える。それ仏教だから。とみんながツッコミを入れて、ようやく話し合いが始まった。
年一回は暑気払いを兼ねて集まろう、と相ちゃんが飲み会を企画してくれるのだが、私はなぜかその度に鼻かぜを引き、2度とも参加できずじまいでいる。
卒業後、唯一みんなと会えたのは、相ちゃんとえみりんの結婚祝いで集まった半年前だけだ。
そう、驚いたことに、相ちゃんは卒業から1年半後、えみりんと結婚した。えみりんとえみりんママの希望により海外で親族のみの挙式にしたため、秋口いきなり届いた結婚報告にみんなでびっくりした。
そこで急遽、早めの忘年会を兼ねて集まることになったのだ。
一体いつからそういうことになったのか、みんなで問いただすと、どうも2年の中頃から、段々二人で食事に行ったりするようになったらしい。就活の頃には精神的に参ってしまいそうだったえみりんを相ちゃんが支え、実際につき合い始めたのは卒業する頃、と言った。
在学時にゆるゆるだった相ちゃんのシャツは、ピシッとノリがきいていた。
「私も支えがほーしーいー」
それを聞いたサリーがぐでっと机に突っ伏して言った。彼女は商社に勤めているが、その優秀さゆえか、仕事がどんどん増えていく、と毎回会う度に嘆いている。精神的に、さすがのサリーも消耗しているらしい。そして美人なのになかなか彼氏ができない。デートはたまにしているようなのだが。
「俺でよければ」
「うわ全力でお断り」
ケイケイの相変わらずのノリをサリーが一蹴して、みんなが笑った。
その頃は私も、遅ればせながら初めての彼氏ができて、半年ほどたっていた。浮き立つ気持ちも落ち着いてきて、こんなもんか、と思い始めていた頃でもある。ーー結局、その1か月後には振られたのだが。
そんなことを思い出したのは、幸弘と早紀に呼ばれたからだ。香子に話したいことがある、と言われて、相応の覚悟をしながら都内のレストランに向かうその途上である。
みんなで集まる機会が減ったとはいえ、早紀とサリー、3人での女子会は、年2回ほどのペースで続けていた。ゴールウデンウィーク前後に一度食事をし、秋口には一泊二日の小旅行に行く、というのが恒例化している。
幸弘とはめっきり会うことがなくなったが、早紀から様子は聞いていた。大学在学中からのつき合いが続いていて、仕事の合間を縫って会っていることも。
だから、話したいこと、と聞いたとき、思いつくことは一つしかなかった。
とうとうこの日が来たかという安心と喜び。それと同時に感じた疼きに、私は気づかずにいられなかった。
ーー言わなくてよかったの。
また、サリーの言葉が蘇る。今ならその意味が分かるような気がしていた。
ーー言っておけばよかった。
じわりと湧き上がる苦笑を噛み殺しながら、私は電車に揺られていた。
レストランは、ちょっとおしゃれな落ち着いた雰囲気のお店だった。春の埃っぽい風にあてられたコートを脱いで中に入り、予約名を告げると、中に通される。半個室の予約席に先に来ていたのは幸弘だった。
「悪いな。遠いところまで来てもらって」
「ううん」
幸弘の実家と私の実家は近くだが、就職後、幸弘は職場に近い都内に一人暮らししている。早紀もまだ実家から通っているものの、やはり都内の私立学校なので引っ越そうか迷っていると言っていた。
「先、飲み物頼めよ。どうせ俺たち飲まないし」
「飲めない二人を前にして一人で飲むほど、のんべえじゃないよ」
私は笑った。幸弘も笑う。その笑顔は、少しだけ大人びた顔になった。
「サリーはすげぇ忙しいみたいだな。なかなか予定合わなくて、今度改めて会うつもり」
「そうだよね。ほとんど終電帰りみたいだし。家には寝に帰るだけって言ってたもん」
元々、夜の弱いサリーだ。眠気が限界になったら帰るの、と言っていた。元々細めの身体が就職後益々細くなったような気がしているのだが、本人曰く、朝昼しっかり食べれば夜は抜いても大丈夫、とのことだ。会えば相変わらずエネルギッシュなのだが、少し心配ではある。
「お待たせ。ごめんね」
ピーコートを持った早紀が現れた。学校の先生らしい上品ないで立ちだ。薄黄のニットの首元には、銀色のリングが揺れていた。照明を反射して、並んだ石がキラキラと輝く。
「ううん、今来たところ」
早紀は微笑んで、奥に寄った幸弘の隣に腰かけた。その自然さに、私は不思議な感慨が沸く。
「とりあえず、飲み物頼もうぜ」
メニューを机に置いた幸弘に、私が言う。
「お子様用のシャンパンとかないの」
「お前なー」
幸弘が笑った。
「ジンジャエールにでもするか」
「じゃあ、私も」
「私も」
乾杯は、しゅわっと行きたいよね。
ーー曖昧な気分も、少しは飛ばしてくれるような気がするから。
運ばれてきたドリンクを持って、お疲れー、と乾杯する。レストランはイタリア料理がメインだった。サラダやピザを頼み、パスタは後で頼むことにして、それぞれの近況や、サークルの仲間のことをあれこれ話す。
「--さて」
幸弘がタイミングをうかがっているのを察して、私は居住まいを正した。
「そろそろ、今日のメインを聞かせていただきましょうか」
半分ほど飲んだジンジャエールのグラスを、両手で抱えて言う。
幸弘と早紀がちらりと目線を合わせた。
「結婚するんだ。11月に挙式する」
幸弘が言うと、早紀は照れくさそうにうつむいた。
私は、ほっとした。自分の顔に自然に浮かんだのが、笑顔だったから。
「おめでとう」
できるだけ丁寧に、私は言った。二人の表情がほころぶ。
「ありがとう」
二人も心から言った。
「サークルの仲間を式に呼びたいと思っていて。余興で、みんなで久しぶりに歌えないかな、って」
「いいね、それ。喜んで協力するよ」
「ありがとう」
二人は嬉しそうに笑っていた。私も笑顔で話した。日取りや会場、曲目や練習方法など。
話しながら、気づいていた。ほとんど温かく満ち足りた心の中で、一か所だけが温まりきらない。そのことがじわじわと苦しく感じられた。
余興にあたっては、私の他、サリーと相ちゃん、神崎くんが幹事を引き受けた。
とりあえず、幹事だけで早めに一度会おうと、休日の午後に都内の相ちゃんの家に集まることになった。相ちゃんの自宅にしたのは、えみりんも様子を知りたがっていたことと、経験者として参考になる話も聞けるだろうと思ったからだ。
神崎くんは午前中に仕事があって遅れると言われたので、私とサリーが駅で待ち合わせ、相ちゃんと合流して先に家へ向かった。
「久しぶりー」
「久しぶり。お邪魔します」
出迎えてくれたえみりんは、在学中よりも柔らかい顔をしていた。私とサリーは買ってきたお菓子を渡す。
「ざっきーは15時頃着くって。よかったな、久々に会えて」
相ちゃんがえみりんに言うと、えみりんもそうね、と頷いた。
半年前の二人のお祝い会は、遠方の出張が重なって神崎くんは不参加だったので、私も丸2年ぶりに会うことになる。
指折り数えてそう言うと、えみりんと相ちゃんは同じように顔をしかめた。
「もしかして、と思うけど……コッコ」
えみりんが疑わしそうな表情で言う。
「結局、あんたたちって、何もなかったの?」
「何もって、何が?」
私が聞き返すと、相ちゃんが頭をかかえた。
「マジかー」
「マジです」
我がことのように答えたのはサリーだ。私は苦笑する。
「あのときみんな変だったよね。まるで神崎くんが私のこと好きみたいに」
「あれ、それには気づいてたの」
「うん、そうらしいよ」
相ちゃんとサリーが確認し合う。
「ざっきー今どうなんだろうね。彼女とかいんのかな」
「あんまり自分のこと話さないタイプだし、いまいち分かんないよね。周りは放っとかないと思うけど。来たら聞いてみようよ」
えみりんと相ちゃんが話しながらお茶を淹れてくれた。
「仲良し夫婦ですなー」
サリーが言う。相変わらずおやじっぽい。
「えみりんも元気そうでよかった。新生活には慣れた?」
私が言うと、えみりんはにこりと微笑んで頷き、何かを問うように相ちゃんを見た。相ちゃんが頷くと、えみりんが安心したように言った。
「二人には言っても大丈夫だと思うから、一応、言っておくね」
えみりんが腰かける。
「まだ安定期も先なんだけど、実は妊娠して」
あまりに平然と言ったので、私とサリーは反応が遅れた。
「え、ええっ、おめでとー!」
「うん、ありがとう」
えみりんはにっこりした。
「昨日、検診で心音確認できたところなの。予定日が12月末だから、式のときには妊娠後期で、ちょっとどうなるかはっきりしなくて」
だから、今のうちにできる協力はしたいの、とえみりんが微笑んだ。きれいになったなぁ、と思わず私は思う。元々可愛い子だったけれど、あのときの小悪魔的な毒気がだいぶ抜けたような気がする。
「えみりん、ママになるんだー。すごーい」
「まだ実感ないけどね」
「つわりとかは?大丈夫なの?」
「うん、軽い方みたい。時々すっごく眠くて起き上がれないけど」
「一日中寝てるときもあるよね」
相ちゃんが言いながらえみりんの隣に腰かけた。二人が並んで座る姿はいたって自然で、これが夫婦ってもんなんだなぁと思う。幸弘と早紀がそうであったように。
いつか私も、こうして自然と寄り添える誰かと出会えるのかな。
にわかには想像できない。
「仕事はどうしてるの?」
「行ってるよ。行くと疲れるんだよね。相ちゃん、家事も一通りできるからほとんどお願いしちゃってる」
「週末まとめてやってるけどね。だって、妊娠も出産も代われないから。代われるのって家事くらいでしょ」
「理想的!」
「プレパパの鑑!」
私とサリーが拍手すると、相ちゃんはどーもどーもとノリよく応えた。相ちゃんのスマホが着信を告げる。
「あ、ざっきーだ」
相ちゃんが電話に出て、迎えに行く、と玄関に向かいながら言う。
「乗り継ぎがうまくいって、早めに着いたみたい。行ってくる」
「行ってらっしゃーい」
女3人に見送られて、相ちゃんは家を出て行った。
「えみりんはママになり、早紀も結婚かー」
「なんかどんどん変わっていっちゃうね」
「次は香子が結婚するでしょー」
「なんでよ」
私が笑う。さっき、誰かの隣で自然に座っている自分が想像できないと思ったばかりなのに。
「分かるよ、きっと。もう少ししたら」
サリーが言った、その目はいつもよりも真剣で、温かな色をしていた。
「また、神崎くんがどうのとか言うつもり?」
私が苦笑する。えみりんが笑った。
「そんなことあったら、素敵ねぇ」
「やめてよ、えみりんまで」
私は手を振って言うと、淹れてもらったお茶を飲んだ。
しばらくすると玄関先で音がし、男二人が話す声が聞こえた。リビングにつながるドアが開いた瞬間、声がクリアになる。
「いらっしゃい」
えみりんが言った。
「お邪魔します」
ノーネクタイの神崎くんは、スーツのジャケットを抱えて微笑んだ。
「眼福、眼福」
神崎くんのスーツ姿にサリーが言うと、神崎くんは笑った。
「俺がイケメンかどうかはともかく、ネクタイは先に外しといたよ」
サリーと私も思わず、懐かしい、と笑う。
「何、それ」
えみりんが首を傾げると、サリーが言った。
「就活の頃、イケメンが人前でネクタイ緩めるのは禁止行為だって言ったの」
「ああ、それは正しいかも」
えみりんも口元に手をあてて笑った。
「えみりん、ご懐妊おめでとう。さっき相ちゃんから聞いたよ」
相ちゃんに促されて席に座りながら、神崎くんはえみりんに言った。
「ありがとー。ところでざっきーは今、フリー?」
神崎くんは椅子に座り損ねそうになった。
「さすが、特攻隊長」
サリーが大ウケしている。神崎くんは苦り切った笑顔で言った。
「そういうことを、既婚の妊婦に聞かれるとは思ってなかったよ」
「あら。既婚の妊婦だから聞けるんです。分かってないわねぇ」
えみりんがさも当然のように言った。
「で、お答えは」
「突っ込むねぇ」
神崎くんの表情は苦いままだ。
「え、もしかしているの?彼女」
「うーん。いるといえばいるし、いないといえばいないし」
神崎くんが答えづらそうにしていると、サリーが口元を手で覆った。
「なんてこと!イケメンなのに初心が売りだったざっきーが、チャラ男になってしまった!」
「人聞きの悪いこと言わないでよ」
神崎くんがサリーをなだめる。
「だって……人間関係なんて、そう単純じゃないでしょ」
神崎くんの表情は、ずいぶん大人びていた。
大学時代の友達に会うと、思わず大学時代の自分に戻ってしまうように思うが、やっぱりもうあの頃とは違うんだなあ、と改めて感じながら、私は言った。
「さて、雑談はともかく、みんな集まったことだし、11月に向けての話をしましょうか」
サリーが不満そうに唇を尖らせた。
「雑談かなぁ。私的には今日の目的の一つだったんだけど」
私はそれを聞いて、もしかして、と思った。
私にあれこれ言っていたけど、本当は、サリーこそ神崎くんのことがーー
「ねえ香子。あんたなんか勘違いしてるでしょ。今何考えたか言ってごらん」
「え、何でもないよ。何も考えてないよ」
私が慌ててしらを切ると、サリーが半眼のままにらみつけて来る。
「怒らないから言ってごらん。もしかして、私がざっきーに気があるんじゃ、とか思ったんでしょ。怒るよ」
「怒るんじゃん」
私とサリーのやりとりに、相ちゃんは笑った。
「サリーも平常運転だな。会社で相当うっぷんがたまっていると見た」
「たまってますともー。みんなの幸せにあやかりたいよぅ」
サリーが手を合わせて、なんまんだぶなんまんだぶ、と唱える。それ仏教だから。とみんながツッコミを入れて、ようやく話し合いが始まった。
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ウェディングドレスはどんなものを?
誰よりも理想を思い描き、
いつの日かやってくる結婚式を夢見ていたのに、
ある日いきなり全てを奪われてしまい…
そこから始まる恋の行方とは?
そして本当の恋とはいったい?
古風な女の子の、泣き笑いの恋物語が始まります。
━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━
恋に恋する純情な真菜は、
会ったばかりの見ず知らずの相手と
結婚式を挙げるはめに…
夢に描いていたファーストキス
人生でたった一度の結婚式
憧れていたウェディングドレス
全ての理想を奪われて、落ち込む真菜に
果たして本当の恋はやってくるのか?
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