忙しい男

菅井群青

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泣く背中

二人の待ちぼうけさん

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 待ち合わせ場所は初めて訪れた場所だった。バーが多くある通りのようで仕事帰りの会社員たちが大勢いた。

「待ちぼうけさん! こっち!」

 飲み屋街の通りにある黒っぽい建物の前で彼女は待っていた。その店は彼女の行きつけらしい。屋号はアルファベットの筆記体で描かれていて一見お洒落な隠れ家レストランのようだ。彼女はその店のドアを開けると慣れた様子で奥へと進む。広く無いと思っていた店は鰻の寝床のように奥に長い間取りになっていた。まばらにカップル客が座り、時折笑い声が上がる。落ち着いた雰囲気のいいバーだった。照明も暗めで心地のいいBGMが流れている。

「こっち……」

 部屋の隅にある席に座ると彼女は酒を注文した。俺はウーロン茶を注文すると彼女は目を丸くした。

「飲まないの? 断る口実じゃなかったの?」

「いや、本当に朝が早いから……」

 それから二人は簡単な自己紹介をした。彼女は保奈美といい、都内で保育士をしているらしい。仕事の話をする保奈美の表情は柔らかくなり保育士らしい母性を感じた。

「遼は大工だからそんないい体つきなのね、納得」

 あっという間に保奈美は呼び捨てで遼のことを呼んだ。今時の若者らしく距離感の詰め方も早い。遼は訂正するのを諦めて気にしない事にした。

「……で? 何か話したいんだよな?」

「あぁ、それね……あの日待っていた人のことなんだけど──なかなか会えないの相手で、待つのが疲れちゃったの」

「彼氏だろ? 遠距離恋愛か?」

「ん……正確には他人の物、かな?」

 保奈美は泣くように笑った。自分でも罪の意識はあるらしい。疲れ切ったような……それでも諦められないような嫌なループに嵌っていた。

「いや、既婚じゃないんだけどさ、もうすぐ結婚するらしいんだ……分かってて……繋ぎ止めたのは私……」

「そうか、辛いだろうな、愛してるなら」

 遼の言葉に保奈美は顔を上げた。責められると思っていた。バカな恋をして、叶わない恋をするからだと言われると思っていた……。友人ですら嫌な顔をしたのに遼は気持ちを汲んで同調してくれた。それだけなのに背中を支えてくれたようで胸が熱くなる。

 保奈美は生ビールを勢いよく飲み干すとお代わりを注文する。なぜか遼の分も一緒に注文した。

「いや、おい……俺酒飲めないって!」

「ごめん、でも……付き合ってほしい」

 保奈美の声は震えていた。遼は大きく息を吸うと小さく頷いた。

「一杯だけだ、それで帰る」

 それからお互いの話をした。話は互いの恋人の話になった。

 紗英が仕事で忙しく思うように会えないこと……男のくせにと思われたくなかったこと。紗英のことが大切で嫌われたくないことを話した。

 保奈美は好きな人にもう会わないと言われたこと。電話にも出てくれなくなったこと。どうしようもなく行き場のない思いが自分に返ってきて自暴自棄になりそうなことを話すと思わず涙が溢れてしまった。

 話進めていくうちに遼はビールをまたお代わりしていた。飲み始めると酒が秘めた気持ちを吐露する薬になった。

「遼も、我慢しすぎなんだって、だーかーらーこうして酒が入るとその、なんだっけ? あぁ、紗英さん、紗英さんへの気持ちでつぶれそうになってるんだってば」

「分かってるって……分かってるんだって」

 二人とも空きっ腹にアルコールが入りほろ酔い状態になった。気遣いも何もない。脳裏に浮かんだ言葉が出る。

「あーそうだ、解決方法あるよー。遼と私が付き合えばいいじゃん、私を好きになれば?」

「は? 無理、紗英がいい」

 遼は即答した。保奈美に話をして自分がいかに紗英が好きなのかを再認識した。保奈美は一瞬あんぐりと遼の顔を見ていたが頰を膨らますと遼の肩を殴る。

「わかんないでしょ……ほら──」

 保奈美が振り向いた遼の唇にキスをした。遼は唇に感じる熱に驚き瞼を閉じる。酔っているからだろう。一瞬何をされているか分からなくなる。
 保奈美の手が頰に触れた時にようやく脳が覚醒して遼は保奈美の肩を押す。

「やめろ……ダメだって、俺は、紗英がいい。紗英しか、無理だ」

「ふぅん、そっか……ま、ホッとしたよ──男もこうして愛を貫く人がいるんだって教えてくれてありがとう」

「…………」

「もう、二度と連絡しないよー。今度恋する人は……遼みたいにかっこよくて、優しくて、一途に愛してくれる人がいいな、そんな人に、愛されたいな……はは……」

 保奈美はそう言って笑った。

 俺たちは店の前で別れた。

「バイバイ」
「元気でな」

 最保奈美は最後に振り帰り遼に大きく手を振っていた。その顔は最初あった時より幼く見えた。街は平日だからだろう……道を歩く人の数が随分と少なくなった。遼は電車の時刻を携帯電話で確認しているとメールが来た。紗英からだった。いつもは待ち遠しくてすぐに開封するメールも、今晩は少し怯んだ。後ろめたい気持ちになった……。メールのボタンを押すと紗英らしい柔らかな文面が目に入ってきた。

──お疲れ様、怪我しないように気をつけてね。季節の変わり目はぼうっとしちゃうことも多いからね。


 メールの内容に遼は顔を歪める。紗英はここにいないのに、遼は抱えた罪を全て見透かされたような気がした。

 ごめん、紗英……ごめん。

 それしか言えない。やはり保奈美の誘いに乗るべきではなかったと後悔したが、一つだけ……遼が得たものがあった。それは本心を伝えても情けなくもないという事だった。保奈美の話を聞くうちに寂しいと言うのが情けないのか……寂しいと言えないのが情けないのか分からなくなった。それは大きな変化だった。
 保奈美は正直に相手の男に伝えていた。その姿を見て、羨ましいと思った。

──ちょっと飲んでるんだ。また連絡する。

 心配をかけないようにメールを返信した。嘘はつきたくはなかった。

──オッケ! 楽しんできてね

 紗英のメールを確認すると遼は夜の街を歩き始めた。遼の頭の中は紗英でいっぱいだった。
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