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番外編
木村の独り言
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俺はとある雑貨店で働いている男だ。
勤務態度は至って真面目だ。黙々と在庫確認をこなし客の要望に応えシンプルな包装も行う。気軽な気持ちで始めたアルバイトだったが、居心地がよくこのまま正社員として雇ってもらえればと微かな希望を持ちつつ働いている。
俺は淡白な人間だ。自分でその辺は重々理解しているつもりだ。そんな俺がずっと気になる存在がいる。
同僚の田中里美だ。
田中さんは俺よりも年上だが随分と幼く見える。出会った時に満面の笑みで迎えてくれたのが印象的だった。決して惚れているわけではない。
彼女の表情が気になるだけだ。
田中さんはいつも笑顔だ。どんな時でも笑顔で客に接する。でもいつからだろう、裏のスタッフルームにいる時や仕事終わりの別れ際に一瞬切なそうに笑う時があることに気づいた。無意識だろうが、その時に左の薬指にはめた指輪を撫でていることが多い。
ある晩店を出る前に店長の伝言を伝えるのをうっかり忘れていた。スタッフルームに戻り居残りをしていた田中さんに近づく。
「田中さ──」
ロッカーの前で電話をしている彼女は電話をしながら、笑っていた。俺は、声が出なくなった。
田中さんは涙を流しながら、笑っていた──。
「いいよ、気にしないで……しょうがないもん私も丁度友達から誘われてたし……」
声はいつもの明るい田中さんだ。笑顔もいつもの接客で見せる爽やかな笑顔だ。それなのに、その瞳から流れ落ちる涙に俺は何も言えず店を出た。
田中さんは随分と長く同じ人と付き合っていると店長から聞いていた。聞きたかった情報ではないが店長の痴話会話を無視するわけにもいかず相槌を打っていた。
「なかなか会えていないんじゃないかしらね……忙しい人みたいよ」
「あーそうなんっすね」
「……木村くん興味ないの隠さないよね」
店長が横目で俺を見るがその瞳は楽しそうだ。
忙しい?
なるほどな……最近上手くいっていないようだ。だから、最近笑顔がつらそうなのか……。無理して明るい声を出しながら泣くほど彼氏のことが好きなのか。やめときゃいいのに、あんな泣くぐらいなら。
ん? 俺、なに他人のこと気にしてんだろう。
木村は一瞬ざわついた心を抑えるようにキーボードを激しく打ち込む。隣にいた店長が「壊したら給料から天引きね」という言葉でようやく力を加減する。
田中さんが笑顔か笑顔じゃないか、泣いているかだなんて、どうだっていいはずだろう……バカだな、俺。
ある日オーナーと店長に呼び出された。スタッフルームに行くと何故か田中さんも居た。俺は雑貨店のレザークラフトの立ち上げを担当することになった。しかもなぜな田中さんも一緒だ。
「よろしくね、木村くん」
「……よろしくお願いします」
溢れんばかりの笑顔で俺に手を伸ばした。その白い手を取ると握手を交わす。初めて出会った時のことを思い出していた。
──なんだ、おれ淡白じゃないのかも。
初めて会った時から、俺、田中さんのこと気に入ってたんだ。好きじゃない……そうじゃない……俺からすれば気に入っているだけでかなり珍しい。全てに無気力無関心な俺を気に掛けさせる存在だ。
立ち上げのためレザークラフトの教室に共に通い、多くの時間を一緒に考え、悩み、解決していった。
田中さんはレザークラフト教室でメガネケースを一生懸命作っていた。メガネをかけているイメージはないのできっと例の彼氏のだろう。まだ続いているのか、しつこいというか、一途というか……。レザークラフト教室で田中さんが先生に質問するのを横で聞いていた。
「緑色に染めることって可能ですか?」
「えぇ、少し時間は掛かるけどそれでよければ──」
「わぁ、ありがとうございます!」
その声と表情に驚いて思わず顔を逸らす。花が咲く笑顔とはこの事だ。
なんだ? 今までで一番いい笑顔だ。店の時とも違う、彼氏の前だけこんな顔してんのか? バカみたいだな、俺。好きじゃない。ただ、気になっただけだ。田中さんにこんな笑顔をさせる彼氏はきっとすごい男に違いない。
ある晩、田中さんと残業中、今夜地上波初放送の映画の話をした。俺は帰ってそれを観るのを楽しみにしていた。なぜか田中さんは録り損なったのがショックで泣き始めた。店の前で別れてマウンテンバイクを漕ぎ出したが、途中で気になり店へと折り返した。田中さんの姿を店の近くで見つけたが佇んだまま動かない。
「お……っと、あれが彼氏か?」
彼氏らしき男が柔らかく微笑み田中さんに近づく。田中さんは俯いたまま動かない。後ろ姿なので表情が見えない。
泣いているのか? 笑っているのか?
彼氏はそのまま田中さんを包んだ。その表情に俺は見とれてしまった。本当に、愛おしくて仕方のない表情をしていた。そっと頭を撫で背中に腕を回し抱きしめて微笑む──。
なんだ、幸せじゃん、田中さん。
男の俺からみてもあの彼氏の思いが伝わってくる。俺は笑った。本当に心の底から。
よかった。これでまたいい笑顔を見ながら仕事ができる──。
「さて、映画でも見ようっと──びゅーんっと……」
木村はマウンテンバイクに跨り颯爽と坂道を下っていった。
勤務態度は至って真面目だ。黙々と在庫確認をこなし客の要望に応えシンプルな包装も行う。気軽な気持ちで始めたアルバイトだったが、居心地がよくこのまま正社員として雇ってもらえればと微かな希望を持ちつつ働いている。
俺は淡白な人間だ。自分でその辺は重々理解しているつもりだ。そんな俺がずっと気になる存在がいる。
同僚の田中里美だ。
田中さんは俺よりも年上だが随分と幼く見える。出会った時に満面の笑みで迎えてくれたのが印象的だった。決して惚れているわけではない。
彼女の表情が気になるだけだ。
田中さんはいつも笑顔だ。どんな時でも笑顔で客に接する。でもいつからだろう、裏のスタッフルームにいる時や仕事終わりの別れ際に一瞬切なそうに笑う時があることに気づいた。無意識だろうが、その時に左の薬指にはめた指輪を撫でていることが多い。
ある晩店を出る前に店長の伝言を伝えるのをうっかり忘れていた。スタッフルームに戻り居残りをしていた田中さんに近づく。
「田中さ──」
ロッカーの前で電話をしている彼女は電話をしながら、笑っていた。俺は、声が出なくなった。
田中さんは涙を流しながら、笑っていた──。
「いいよ、気にしないで……しょうがないもん私も丁度友達から誘われてたし……」
声はいつもの明るい田中さんだ。笑顔もいつもの接客で見せる爽やかな笑顔だ。それなのに、その瞳から流れ落ちる涙に俺は何も言えず店を出た。
田中さんは随分と長く同じ人と付き合っていると店長から聞いていた。聞きたかった情報ではないが店長の痴話会話を無視するわけにもいかず相槌を打っていた。
「なかなか会えていないんじゃないかしらね……忙しい人みたいよ」
「あーそうなんっすね」
「……木村くん興味ないの隠さないよね」
店長が横目で俺を見るがその瞳は楽しそうだ。
忙しい?
なるほどな……最近上手くいっていないようだ。だから、最近笑顔がつらそうなのか……。無理して明るい声を出しながら泣くほど彼氏のことが好きなのか。やめときゃいいのに、あんな泣くぐらいなら。
ん? 俺、なに他人のこと気にしてんだろう。
木村は一瞬ざわついた心を抑えるようにキーボードを激しく打ち込む。隣にいた店長が「壊したら給料から天引きね」という言葉でようやく力を加減する。
田中さんが笑顔か笑顔じゃないか、泣いているかだなんて、どうだっていいはずだろう……バカだな、俺。
ある日オーナーと店長に呼び出された。スタッフルームに行くと何故か田中さんも居た。俺は雑貨店のレザークラフトの立ち上げを担当することになった。しかもなぜな田中さんも一緒だ。
「よろしくね、木村くん」
「……よろしくお願いします」
溢れんばかりの笑顔で俺に手を伸ばした。その白い手を取ると握手を交わす。初めて出会った時のことを思い出していた。
──なんだ、おれ淡白じゃないのかも。
初めて会った時から、俺、田中さんのこと気に入ってたんだ。好きじゃない……そうじゃない……俺からすれば気に入っているだけでかなり珍しい。全てに無気力無関心な俺を気に掛けさせる存在だ。
立ち上げのためレザークラフトの教室に共に通い、多くの時間を一緒に考え、悩み、解決していった。
田中さんはレザークラフト教室でメガネケースを一生懸命作っていた。メガネをかけているイメージはないのできっと例の彼氏のだろう。まだ続いているのか、しつこいというか、一途というか……。レザークラフト教室で田中さんが先生に質問するのを横で聞いていた。
「緑色に染めることって可能ですか?」
「えぇ、少し時間は掛かるけどそれでよければ──」
「わぁ、ありがとうございます!」
その声と表情に驚いて思わず顔を逸らす。花が咲く笑顔とはこの事だ。
なんだ? 今までで一番いい笑顔だ。店の時とも違う、彼氏の前だけこんな顔してんのか? バカみたいだな、俺。好きじゃない。ただ、気になっただけだ。田中さんにこんな笑顔をさせる彼氏はきっとすごい男に違いない。
ある晩、田中さんと残業中、今夜地上波初放送の映画の話をした。俺は帰ってそれを観るのを楽しみにしていた。なぜか田中さんは録り損なったのがショックで泣き始めた。店の前で別れてマウンテンバイクを漕ぎ出したが、途中で気になり店へと折り返した。田中さんの姿を店の近くで見つけたが佇んだまま動かない。
「お……っと、あれが彼氏か?」
彼氏らしき男が柔らかく微笑み田中さんに近づく。田中さんは俯いたまま動かない。後ろ姿なので表情が見えない。
泣いているのか? 笑っているのか?
彼氏はそのまま田中さんを包んだ。その表情に俺は見とれてしまった。本当に、愛おしくて仕方のない表情をしていた。そっと頭を撫で背中に腕を回し抱きしめて微笑む──。
なんだ、幸せじゃん、田中さん。
男の俺からみてもあの彼氏の思いが伝わってくる。俺は笑った。本当に心の底から。
よかった。これでまたいい笑顔を見ながら仕事ができる──。
「さて、映画でも見ようっと──びゅーんっと……」
木村はマウンテンバイクに跨り颯爽と坂道を下っていった。
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