君の恋人

risashy

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 京島がバタンと扉を閉めると、しん、とロッカールームに沈黙が落ちる。ここは陸上部のロッカーだ。部員しか来ない。

「……お前で、最後?」
「あぁ。全員帰った。でも朝賀がいなかったから、ここかと思って」
「俺のこと待ってたのか」
「……うん」

 俺と一緒に帰ろうとしてくれたのだろうか。二人で帰ろうと思ってくれたことに、性懲りもなく喜んでしまう。
 京島は俺たちに何を話せと言うのだろう。茅野に言うべきことなんて、何もない。今日はとりあえず帰って、京島にはまたメッセージでも送っておこう。

「じゃあ、帰——」
「良かったな、朝賀。良い子と出会えて」

 唐突に落とされた爆弾だった。一瞬、何を言われたのか分からなかった。三秒ほど経ってようやく昼休みのことを思い出した。茅野が何について寿ことほいでいるのかを悟って心が軋む。
 もしかしてこの話をするために、わざわざ俺を探していたのだろうか。

「何ともなってねぇって言っただろうが」
「女の子らしくて、明るそうな子だった。二人で浴衣を着て並んでる写真はお似合いだった」

 こんな話を茅野としたくない。俺はさっきの京島みたいに大きなため息をつきたくなったが、何とか我慢した。

「なぁ茅野、今度の模試受けるのか?」
「朝賀はああいう子が好みだったんだな」

 何とか話を変えようとしたのに、まるっきり無視されて、苛立ちが募る。
 好みのはずがないだろう。何もないって言ってるだろうが。何で三上の話をお前としなければならないんだよ。

「あー、腹減ったな。コンビニでも寄るか」
「いつも笑顔でよく話す子らしい。俺とは大違いだ」

 俺が何としても別の話題に変えたいのと同じく、茅野もまた、他の話をするつもりがないらしい。
 お前は何が言いたいんだ。昼休みから何時間経ったと思ってんだ。意味が分からない。腹が立ってきた。

「お前が俺じゃ無理なのも納得だ」

 やけに自嘲じみた口調だった。
 プチっと、ぎりぎりで保っていた何かが切れた音が頭の中で聞こえる。

「ふざけんなよ、お前」

 何なんだよ。何考えてんだ。友達になろうと、あの日話したことを忘れたのか。俺がどんな思いで毎日過ごしていると思う。どんな気持ちでお前を見ていると思ってる。他でもないお前が、無神経にそれを台無しにするな。もう頭がおかしくなりそうだった。

「ふざけてない」

 茅野がじっと俺を見据えて言った。俺は怒りに任せて叫ぶ。

「お前が無理だったんだろ!」
「何を言ってるんだ。お前が別れようって言ったくせに! もう忘れたのか」
「はぁ?」

 思わず茅野に睨むと、茅野の顔にも苛立ちが現れる。いつも無表情な茅野のこんな表情は初めてだ。青い目の眦に涙が浮かんでいて、俺はぎょっとする。

「友達でいたいって言ったのはお前だろ、朝賀」
「なっ、に言ってんだよ。形はそうだけど、実際は」
「実際ってなんだ。お前が別れようって言ったんだろう。俺はあんなに、あんなに頑張ったのに。お前が好きだって言ってくれたから俺は頑張った。なのにお前が無理だったんだ!」
「その頑張るっていうのがおかしいんだよ。付き合うってそういうことじゃないだろうが! 何も分かってないくせに知ったようなこと言うな!」

「分かってないのはお前だ。頑張ることの何が悪いんだ。好きだと言ってもらえて、恋人になったんだから、頑張るのは当たり前だろ!」

 ぎりぎりで留まっていた茅野の涙が、ついに決壊し、ぽろりと頬を伝う。

「朝賀にもっと好きになって貰えたら嬉しいし、一緒に楽しい時間を過ごしたい。俺と恋人になって良かったって思ってもらいたい。だから頑張ったし、楽しかった。お前といると心臓がバクバクして大変だった。朝賀はいつも余裕で、周りに沢山人がいて、俺以外に世界がある。だから俺は、俺は、好きだって言われたときは驚いたけど……そんなお前の恋人にして貰えて、本当に嬉しかった」

 こんなに長い文章を話す茅野は初めてだ。そこに乗せられた強い感情に、俺は圧倒される。しかもそれは想像もしていなかった種類のもので、俺は呆然として、言葉を失った。

「お前が別れようって言うから。友達でいたいって言うから、別れてやったんだ。そうすればお前は俺から離れないって言うから。だから、そうしてやったんだ!」

「かやの」

「俺はお前にとって誰よりも親しい人間になりたかった。男も女も関係ない、一番に……でも、恋人が無理でも、友達としてそうあれるなら、仕方がない。それでもいいと思った」

 はぁ、はぁ、と肩で息をしながら声を詰まらせる。

「でもっ、無理だ。お前に、かっ彼女ができたら耐えられない。もうとっくにお前の気持ちが前と変わったのは分かってる、それでも……」

 大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれていく。長いまつ毛が伏せられ、揺れている。
 はっとした俺はハンカチを取り出して、際限なく頬をこぼれる涙をふいた。

「優しくするなっ」
「茅野」

 茅野が俺の手を掴み、払われた。涙を拭くことは拒否される。

「やめろ……」

 俺は構わず無理やり茅野の体を引き寄せた。

「ごめん、茅野。ごめん……俺、まだ好きだ」
「えっ」
「お前が好きだ。本当に、好きだ。茅野。ずっと。今も」

 今を逃せばもう茅野とはこれきりの気がして、俺はその言葉を一つ一つ大事に伝える。茅野は俺の腕の中で戸惑いの色を浮かべていた。

「あの子は」
「だから、何とも思ってない。正直、ちょっとうざかった。夏祭りの間も、ずっとお前のこと考えてたし」
「な、なんで……」

 茅野は心底訳が分からない、という口調になった。

「じゃあっ、なんで、別れようって」
「お前が、無理して付き合ってると思った。それに……お前、俺が怖いんだろ」
「怖い? 何でだよ。そんなこと思ってない!」
「でもあれ以来……俺が近付いたらビビってただろうが」

 ずっと後悔しているあの日の出来事。茅野は思い出したのか、少し視線を泳がせて少し頬を染めると、キッと俺を見た。

「あの時は、お、お前が、急に発情したからびっくりしたんだよ! 別に、嫌とか、怖いとかは思ってない」
「発情ォ!? なっ、お前、言い方ぁ!」
「そうとしか言えないだろうが! 勉強してたら押し倒されて、急にあんなキスされて、ヤれるかとか聞かれたら、驚く! 俺は経験がないんだから!」
「そんなん、俺だって童貞だわ!」
「しっ、知るか! それに……、男同士のやり方も詳しくは知らないし、俺の部屋には、その、何の準備もなかった。だからヤれるかと聞かれたらあの日は無理だった。そのことを何て言えばいいのか考えてたらお前は冗談だとか言って帰るし……お前、忘れろとか言うけどな、忘れられる訳ないだろ!」

 俺がどんな気持ちだったと思ってる、と恨めしそうに茅野が言う。

「……ごめん」

 確かに茅野の言うことは正論だった。俺は一方的に行動して、茅野の気持ちを決めつけて、逃げていたのだ。最悪すぎる。

「でも、そうか。朝賀は童貞だったのか」
「うるさい」
「俺と同じだな」

 お揃いだ、なんて言いながら、茅野は悪戯っぽい笑みを浮かべた。体を寄せ合いながら、何て話をしているんだろう。急におかしくなってきて、二人で笑った。
 俺はなんだかたまらない気持ちになり、茅野の頭を自分の胸に押し付けた。

「なぁ茅野。お前、俺のこと好きなの?」
「ここまで言わせて、今さら何だ。好きに決まってる……」
「でも、初めて言われた」

 思わず拗ねた子どものような声を出してしまった。茅野は呆れ顔になる。

「……付き合おうって言ったのは俺だ。分かるだろ」
「言葉で好きだって言ったのは俺だけだ。ちゃんと言ってくれないと分かんねぇよ」

「そうだったか。そうだな。……朝賀、大好きだ」

 茅野は花が綻ぶような笑みを見せた。耳を震わせる心地いい声に、酔わされるように頭の芯がぼんやりとする。俺の背中に茅野の手が回され、撫でるように触れる指から熱が伝わって、体中が熱くなった。大人しく俺の腕に収まる茅野の、何もかもが愛おしくてたまらない。

「俺も大好きだ、茅野」
「うん」
「今まで傷つけて、ごめん」
「うん」
「もう一回、付き合って……」
「……うん」

 茅野の頬に手を添えて、そのまま唇を重ねた。
 お互いに何度も重ね合って、次第に深くなっていく。あの戯れのようなキスが嘘みたいだ。茅野の瞳に決壊しそうな水の膜が張っている。互いの舌を絡ませて、溶け合うように境目がなくなっていく。

 これ以上はまずいと、ようやく唇を離す。茅野は、はぁ、と俺の肩に顔を乗せ、すりすりと額を押し付けてきた。

「何か、すごい……」
「安心したか?」

 きっと今の俺は意地の悪い顔になっていると思う。茅野はふふ、と笑った。

「そうだな。好きな人とのキスなんだぞ。すごく気持ちよくて、安心するに決まってる」

 茅野は「でも」と続ける。

「ドキドキする。もうやばい。心臓に悪い……」

 その表情に、俺の心臓の方が暴れ出した。きっと俺は一生、こいつには敵わないと思った。

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