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おまけ りくのもの 前編
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シャイエ地方は国内では寒い地方に分類されている。知識としては、知っていた。雪がいっぱい降るという地はおとぎ話のように遠かった。
それが今、住んでいるというから遠くまで来てしまった。
海から離れて。
窓の外は暗い雲が垂れ込めていた。また降るよとクレアがげんなりした顔をしている。家の中で団らん室というあいまいな名前の部屋はいつも居心地の良い空間だった。子供たちのおもちゃもいつもは散っているのだが、今日は片付いたままだった。
秋の終わりにやってきた客のところだろう。
「やっぱり降った」
窓のそばで外を見ていた彼女が嫌そうにつぶやく。
俺もその隣に立つ。
雪が降る。
音もなく、ただ、降り積もる。白いと思っていたが、意外と降っている時は灰色に見える。積もったものは薄い青。
光を反射して眩しい日もあれば、汚れて黒いときもある。凍った土の上にあって危ないことも。
生まれた場所は暖かく雪は年に数度程度で、それも積もることもなかった。ここは冬になると曇りの日が増え、雪が降り積もる。
きれいに見えたそれが五年もたてば厄介者だと思い知らされる。
隣で寒いと呟くクレアに使っていたショールをかけた。
「ぺんぎん? っていうの? ああいうのみたい」
ぺんぎんとはよちよち歩きの海の向こうの生物と聞いた。本で読んだだけだが、確かにもこもこして足先だけにゅっと出ていたような気がした。
真冬の外出をするときのクレアはそんな感じだった。てとてと歩くのが、危なっかしい。
今も大きすぎる布にくるまれて、かわいい。
「こんな時はアトスの実家にお世話になりたい」
「サーライトは冬は風が強くてあまり船を出せないんだ。その分、みんな出稼ぎに行ったりするから少し寂しくなるよ」
「そっか。
どこかにほどほどに快適な……。あ。王都」
言われてみれば気候は安定している。特別過ごしやすいことはないが、特別ひどい日もない。
「戻る気はあるんだけどな。しばらくは無理だよね……。春までが勝負」
やや疲れたような口調には訳がある。
春に王家の末娘である第三王女が成人する。それにあわせて手袋を仕上げなければならない。
鹿の狩猟を終え、皮を革へ変える作業を経て、ようやく手袋を作る準備が終わった。
とクレアは思っていたらしい。
刺繍の糸も特別なものだった。
無の表情で絹糸を染めていた。俺も手伝いはしたかったのだが、これは秘伝で教えることはできないと断られてしまった。
教えてはくれないが、作業するときにはいっしょにいたので、それが建前であったこともわかる。この先、しばらく成人する王族はおらず手袋も献上することもない。その間に不測の事態で技術が絶えることを危惧したのだろう。
「糸の処理もようやく終わったから、あとは無限の刺繍……」
刺繍が嫌というより、革相手なので指が死ぬということらしい。
これも手伝いはできない。図案はうっかり忘れられたように、ここに置かれていたから知っているが。
「終わったら、しばらく休みにすればいいんじゃないかな」
「王都で好きなものだけにまみれて、好きな小物作って暮らしたい」
その件について何か言う権限はないので、慰めるように頭を撫でた。
「ここが当主として認められる正念場だもんね。
リオネルとミラベルのこと任せてばかりでごめんね」
「俺も最近、義兄さんに任せてばかりだよ」
「意外な才能があったものね。まあ、許してはいないけど」
俺はそれについては何も言えない。長兄であるエルナンさんが継承権を放棄しなければ、クレアと出会うこともなかっただろうし、今もあの場所にいただろう。
義兄は秋の終わりにふらりとやってきた。
これまで2度ほどやってきたが、事前に知らせがあり家族と一緒だった。今回は一人だから気の向くままに旅をしてきたらしい。ただの帰省ではなく、研究の成果を国に戻すための単身赴任のようなものらしい。元々、国の制度で留学していたのだから結果は戻さねばならない、ということらしい。
他国での結果とこの国での結果は同じになるか検証したのちに王立学院に提出する論文を書く予定だそうだ。
少々気難しそうに見えるが、人が良いのか、自分の子供で慣れたのか息子や娘の相手をしてくれる。乳母から助かっていると報告が来るほどだ。
「さてと、ちょっとずつでも始めることにする。
部屋でやるから一時間くらい一人にさせてね」
「わかったよ。がんばって」
「ぼちぼちね……」
そういいながらクレアは団らん室を出ていった。
あ、ショール、と思ったけどひざ掛けはまだある。
俺もしたいことはあった。
クレアに秘密をもつのは少しばかり後ろめたいが、仕方ない。
加護縫いのようなものは、実はあちこちに残っている。そういう話を先代の当主である義父から聞いたのは精霊と会った後のことだった。
故郷のサーライトにも海風の精霊の加護があった。しかし、時が過ぎ、形を崩し、意味をなさないただの文様となっていたらしい。
それの復元を今している。
クレアには黙っていてほしいという義父の願いにより、見つからないようにこっそりしているのであまり進んではいなかった。
この加護縫いというのは言葉のようなものだった。ここにいるよと相手に告げる言葉を形にしたものだ。
同じ風といってもこの地にいる精霊とは言葉が違う。
サーライトの町に残された文様を思い出し、書き連ねていたノートもだいぶ埋まっていたが、足りない何かが見つからない。
焦るものでもないが、どう考えても海の男になりそうな息子のために取り戻しておきたい。海の風の加護は助けになるだろうから。
扉を叩く音がした。
この家で団らん室の扉を叩く人は一人しかいない。
視線を向ければ義兄が半ば室内に入っていた。
「……今、いいかい?」
「はい」
今まで、あまり話をしたこともなかった。どうにも相手から避けられているような雰囲気がしたので、無理に話しかけることもなかったのだが。
それが今、住んでいるというから遠くまで来てしまった。
海から離れて。
窓の外は暗い雲が垂れ込めていた。また降るよとクレアがげんなりした顔をしている。家の中で団らん室というあいまいな名前の部屋はいつも居心地の良い空間だった。子供たちのおもちゃもいつもは散っているのだが、今日は片付いたままだった。
秋の終わりにやってきた客のところだろう。
「やっぱり降った」
窓のそばで外を見ていた彼女が嫌そうにつぶやく。
俺もその隣に立つ。
雪が降る。
音もなく、ただ、降り積もる。白いと思っていたが、意外と降っている時は灰色に見える。積もったものは薄い青。
光を反射して眩しい日もあれば、汚れて黒いときもある。凍った土の上にあって危ないことも。
生まれた場所は暖かく雪は年に数度程度で、それも積もることもなかった。ここは冬になると曇りの日が増え、雪が降り積もる。
きれいに見えたそれが五年もたてば厄介者だと思い知らされる。
隣で寒いと呟くクレアに使っていたショールをかけた。
「ぺんぎん? っていうの? ああいうのみたい」
ぺんぎんとはよちよち歩きの海の向こうの生物と聞いた。本で読んだだけだが、確かにもこもこして足先だけにゅっと出ていたような気がした。
真冬の外出をするときのクレアはそんな感じだった。てとてと歩くのが、危なっかしい。
今も大きすぎる布にくるまれて、かわいい。
「こんな時はアトスの実家にお世話になりたい」
「サーライトは冬は風が強くてあまり船を出せないんだ。その分、みんな出稼ぎに行ったりするから少し寂しくなるよ」
「そっか。
どこかにほどほどに快適な……。あ。王都」
言われてみれば気候は安定している。特別過ごしやすいことはないが、特別ひどい日もない。
「戻る気はあるんだけどな。しばらくは無理だよね……。春までが勝負」
やや疲れたような口調には訳がある。
春に王家の末娘である第三王女が成人する。それにあわせて手袋を仕上げなければならない。
鹿の狩猟を終え、皮を革へ変える作業を経て、ようやく手袋を作る準備が終わった。
とクレアは思っていたらしい。
刺繍の糸も特別なものだった。
無の表情で絹糸を染めていた。俺も手伝いはしたかったのだが、これは秘伝で教えることはできないと断られてしまった。
教えてはくれないが、作業するときにはいっしょにいたので、それが建前であったこともわかる。この先、しばらく成人する王族はおらず手袋も献上することもない。その間に不測の事態で技術が絶えることを危惧したのだろう。
「糸の処理もようやく終わったから、あとは無限の刺繍……」
刺繍が嫌というより、革相手なので指が死ぬということらしい。
これも手伝いはできない。図案はうっかり忘れられたように、ここに置かれていたから知っているが。
「終わったら、しばらく休みにすればいいんじゃないかな」
「王都で好きなものだけにまみれて、好きな小物作って暮らしたい」
その件について何か言う権限はないので、慰めるように頭を撫でた。
「ここが当主として認められる正念場だもんね。
リオネルとミラベルのこと任せてばかりでごめんね」
「俺も最近、義兄さんに任せてばかりだよ」
「意外な才能があったものね。まあ、許してはいないけど」
俺はそれについては何も言えない。長兄であるエルナンさんが継承権を放棄しなければ、クレアと出会うこともなかっただろうし、今もあの場所にいただろう。
義兄は秋の終わりにふらりとやってきた。
これまで2度ほどやってきたが、事前に知らせがあり家族と一緒だった。今回は一人だから気の向くままに旅をしてきたらしい。ただの帰省ではなく、研究の成果を国に戻すための単身赴任のようなものらしい。元々、国の制度で留学していたのだから結果は戻さねばならない、ということらしい。
他国での結果とこの国での結果は同じになるか検証したのちに王立学院に提出する論文を書く予定だそうだ。
少々気難しそうに見えるが、人が良いのか、自分の子供で慣れたのか息子や娘の相手をしてくれる。乳母から助かっていると報告が来るほどだ。
「さてと、ちょっとずつでも始めることにする。
部屋でやるから一時間くらい一人にさせてね」
「わかったよ。がんばって」
「ぼちぼちね……」
そういいながらクレアは団らん室を出ていった。
あ、ショール、と思ったけどひざ掛けはまだある。
俺もしたいことはあった。
クレアに秘密をもつのは少しばかり後ろめたいが、仕方ない。
加護縫いのようなものは、実はあちこちに残っている。そういう話を先代の当主である義父から聞いたのは精霊と会った後のことだった。
故郷のサーライトにも海風の精霊の加護があった。しかし、時が過ぎ、形を崩し、意味をなさないただの文様となっていたらしい。
それの復元を今している。
クレアには黙っていてほしいという義父の願いにより、見つからないようにこっそりしているのであまり進んではいなかった。
この加護縫いというのは言葉のようなものだった。ここにいるよと相手に告げる言葉を形にしたものだ。
同じ風といってもこの地にいる精霊とは言葉が違う。
サーライトの町に残された文様を思い出し、書き連ねていたノートもだいぶ埋まっていたが、足りない何かが見つからない。
焦るものでもないが、どう考えても海の男になりそうな息子のために取り戻しておきたい。海の風の加護は助けになるだろうから。
扉を叩く音がした。
この家で団らん室の扉を叩く人は一人しかいない。
視線を向ければ義兄が半ば室内に入っていた。
「……今、いいかい?」
「はい」
今まで、あまり話をしたこともなかった。どうにも相手から避けられているような雰囲気がしたので、無理に話しかけることもなかったのだが。
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