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温泉と故郷と泣き叫ぶ豆
爵位をもらいました。
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本日快晴、心地よい春の日な4月8日。何と侯爵様になります。
晩餐会後の仮の自宅はメイドさんたちが待機していたので、特になにもなかったのです。馬車から降りて、お姫様抱っこで部屋に運ばれたのはしかたないんです。メイドさんたちにはあらあらと言いたげな視線が刺さりましたけどね。なんでしょうね。あのいたたまれない感じ……。
……そ、それは、忘却の彼方に放りましょう。昨日はリハーサルもちゃんとこなし、まあまあ、大丈夫だろうと自信をつけてきたのです。張りぼて感はありますが、大丈夫。だといいのですけど。
この日のために用意した衣装に着替え、王城の謁見の間まで出陣なのですが……。
「可愛いほうがよかった」
自分のドレス姿の最終確認で本音が駄々洩れしました。
あたしは可愛いが欲しいのです。どこをどう見ても可愛くはない。
「諦めなさい」
重々しくカメリアさんに言われてしまいました。こういうのははったりも大事と言われれば仕方ないと思いますよ。ええ、納得しないという顔で諦めましたけどね。
そんな思いをする本日の衣装というのはですね。
黒の生地に銀糸で刺繍され、さらに真珠が散りばめられたドレスは豪奢でしたが、重いの一言で。裾が引きずるほどに長いのでさらに踏みそうという見た目重視のものでした。
さらに上にマント付きです。ちなみにものすごく普通の厚手なマントでした。こちらは白で汚しそうだと扱いが難しそうです。
髪も結いあげられ、こちらにも真珠のピンが刺されています。
エリックの趣味ではないらしく、昨日、試しに着た時にキラキラしいなとそのままな感想をもらったのを微妙に凹んではいません。
支度の監督をしていたカメリアさんに、なんか強そう? と言われたのも気にしてませんったら。
……改めて見ても見栄えは良いです。今後、公式な肖像画を描かれるときはこの衣装になるそうですから、気合い入れた感はあります。いいんです。侯爵様なんだから偉そうで強そうでもっ!
後の歴史で書かれることがあったなら鉄の女とかつきそうだと思いますね。
最終確認を終えて、気を取り直して謁見の間へ向かいます。普段なら誰かのエスコートが必要なのですが、今回はなしになっています。
爵位を継承あるいは、授与されるのは今まで男性のみでしたのでこういう公式行事の作法も男性向けでした。この短期間でそこまでの改定はできなかったので作法は、一部以外はそのままとなっています。作法はというところが曲者なのですが、それはさておきましょう。
ひとまず授与されるものは一人で歩いて向かうということになっていて、あたしにも適用されています。
これの理由が支えが必要なくらいのものには爵位を与えられないってことらしいんですよね。
側仕えの人たちは普通に一緒に歩くのは問題ないそうです。本当に支えの有無が重要なそうで。
というのにこの場にはエリックがいません。それどころか、支度の途中で用があるとふらっといなくなりました。そのうえ、あたしの気が散りそうだからと謁見の間にはいないことになっています。
原因は昨日の予行練習に付き合ってもらったときの行動です……。普通のつもりでしたがなんとなく探して、困ったなと思うと少し見上げる癖があるんだそうですよ。無自覚でした。
そんなの式典ではやってはいけません。
そう言われれば、仕方ないと諦めます。直そうとしてもどうにもならなかったので渋々ですけどね。
さくっと謁見の間にたどりつき、式典が始まりました。
とはいっても、内容はほぼ省略されます。
まず、王家への忠誠、省略、国への献身、省略、国教への恭順、省略です。どれもあたしがするわけにはいかないことなので、求めないんだそうです。
代わりに友好の証として爵位と領地を渡すことを告げられます。あたしはありがたく受け取るという形ですね。そして、長く友情が続きますようにとお互いに握手するというほぼ原型をとどめていません。
それなら一人で歩くのもやめればいいのにと思いますよ。
そこは伝統を重んじてほしいらしいですが。
「新しいクライフ候の誕生に祝いを」
王様がそう言って、話は終わりのはずだったんです。少なくとも昨日まで聞いたのは。
なぜか乾杯用のグラスががやってきました。
もちろんお酒です。今までの失態が脳裏をよぎります。配慮した人が水やジュースに変えてくれたりもしてなかったようです。匂いが甘いアルコールですよ……。おいしそう。
同じようにグラスを受け取った王様が、あ、という表情で焦っていますがもう遅いですよ。チェンジできません。配った人が間違えたのかもしれませんね。
グラスを胸のあたりに持ち上げます。それを合図に皆が同じようにするのは、さすがに緊張します。しばしの沈黙がありました。
あれ、あたしが何か言うことになってます? 救いを求めるようにみた王様がうむうむと頷いてます。
なんか勘違いされてるっ!?
「皆様の健やかなる日々を祈ります」
もう自棄で健康を祈ってやりますよっ! 国の安寧なんてあたしには荷が重いです。
そして、それをした後にきらきらとなにかが降ってくるとか知りませんよっ! 謁見の間にいた魔導師のいたずらだろうとその場にいた人は思ったらしいですね。
王様も苦笑しながらも乾杯と普通に言っていましたし。
あたしは気がついていないのです。あれがマジものの奇跡だったとか、教会関係者が慌ててるとか。
お暇なのですか、詩神様。
あるいは、あたしが、焦るの楽しんでますか? どこかの旦那様といっしょなんですかっ!?
自棄の追加で、お酒をグイっと飲み干しました。軽い口当たりで甘く、軽く炭酸入りでおいしい。後で銘柄を教えてもらいたいですね。休みの日にでも楽しみたい。
公式行事はここまでで、予定通りならこのまま退出することになります。酔いが回る前に撤退しましょう。もう、着替えたいですし。
昨日の予行練習と同じように、王様に目礼し退出します。
なんとなく雰囲気で退出してという難しいこと言われたんですよね。こればかりは場の雰囲気が重要とか。
ゆっくり優雅に、ドレスの裾を踏まないように……。うーん、ふわふわしますね。一気に酔いが回ってきた気がします。
お酒に弱くはないですが、こちらではほとんど飲んでないので体質が変わったんでしょうか。
いや、ここで失態したら後々まで語られると気合いを入れますけどね。
あとちょっと、と頑張って外への扉を見ればエリックがいました。あれ? さっきまでいなかったと思うのともう一つ。
「これは反則だと思いますよ」
恰好がっ! 黒いですっ!
この国において黒は特定の人にしか使わない色です。来訪者、あるいは元々黒い髪や目を持っている人くらいでしょう。例外があるとすれば、その来訪者に直接許された人。
それとは別に相手の色を持つのは、恋人や伴侶だけに許された特権です。
ということを前提に、改めて見てしまったのですが。
黒いマントまでは、あるかもなと思ってました。質素そうに見えて裏面がすごそうな気がしています。それだけでも魔導師であるとわかるような姿です。お決まりのようにフードがついていました。
さらに正統派のローブ付きです。見たことない激レアです。もちろん、ローブの色も黒。腰帯だけ濃い青です。
全身黒は断ったという抵抗が見て取れますね。
なお、ローブもやばそうな雰囲気がします。ブーツだってごつい痛そうなやつです。
「悪の魔法使いと言われたな」
さらりと言われましたがそんな感じです。
大変申し訳ないのですが、とてもよくお似合いです。この場でなければ変な声が出たと思います。地味そうに見えてにじみ出るラスボス感。
こんな雰囲気ですが、これ、対外的にあたしの婚約者であるという主張に他ならないわけで。
いや、旦那様ですけどもっ! 独占欲っ!? と夢想してもいいですか? もしや白昼夢……? これは、夜に思い返してごろごろ転がるやつーっ!
と思いながらも頑張って平常心をとっ捕まえます。えー酔っ払いがちょっと荒れても平気よぉと言うのは違うんですよっ!
可能な限り速足で近寄ってエリックにぼすっと抱きつきます。欲望が反乱をおこしてますよっ!
それは予想外だったのか、エリックがちょっとよろめいたのは見なかったことにします。そんな弾丸ではなかった、と思いますよ。たぶん。
当たり前のように背中に手を回されましたが、ぽんぽんと落ち着けと言いたげに軽く叩かれました。なにか、漏れてますか。ぐいぐいと欲望を押し付けて、平常心です。そこっ逃げないっ!
冷静に、なりましょう。そして、冷静になると気がつくことがあるんですよね。
「自発的じゃないですよね?」
こそこそと確認してしまいました。
こういうことをやりそうにない人なので。気にしてなさそうというか。そこまで他人を相手にしてない。例外を除くって感じでして。
「知らない間に用意されていた。魔導協会が、派閥を超えて用意した一品らしい」
少し困ったようにエリックは言ってますけどね。
ラスボス装備ですか。魔導協会の本気に震えます。この人、強化しちゃいけないのではとか思うのですけど。うっかり死ぬと災厄に乗っ取られるんですよ。死なせませんけど。
「アーテルの分もあるが、振り回されるからもう少し修行してから」
まさかのお揃い!?
いやだから、あたしも死ぬと災厄に……。酔いが醒めたような気がします。現実がツライ。
うん。出来る限り気をつけます。
さて、背後のざわざわが気になり始めたので何事もなかったように離れました。それからエスコートを要求、出来なかったんでしたっけ……。
扉はお近くなので、さっさと出てしまいましょう。先にエリックが扉を開けてくれました。
扉から部屋の外へ出て一歩、振り返って一礼。これでおしまいです。
ものすごく注視されていたという事実は黙殺したいです。ええ、見なかったんです。気がつかなかったんです。空気読めませんっ!
本当にもう、最後の最後でやらかしてしまいました。あたしの欲望よ。少しは落ち着き給え、え、酒が悪い? そうかもしれないけど。
「さて、着替えましょうか」
謁見の間は出たので、エスコートを要求します。ここぞとばかりに寄りかかりたいですよ。
「もう着替えるのか?」
「重たいしきついので」
なぜか上から下まで見られましたね。なにか納得されたのなに!?
聞くに聞けず、もやもやします。と思ったら、急にドレスが軽くなりました。
「少しだけ軽くした。短時間しかもたないから、さっさと行くぞ」
「それは前にやってほしいですよ」
「何かかけていると魔法で誑かしたとかまた言い始める。今は別に構わないだろ」
「そうですね」
今は誰もいない廊下ですが、いつ誰かが話しかけに来るかもわかりません。
さっさと支度部屋に向かいましたよ。
そして、なぜか待ち構えていたのはリューさんでした。お一人様ではありませんでしたけど。あったことのない人を二人連れています。
「はぁい。元気そうねぇ」
いや、その、数日前にもお会いしたような気がするのですが。メイドでも魔導師っぽくもなく、絵描きさんモードでした。
そこすわってと有無を言わせず、あたしを座らせてエリックを側に立たせて、ポーズの注文を付けてきます。
「え。どういうことですか」
「絵を残しておけという各所からの要望。だからって絵描きに囲まれるの嫌でしょう?
そこで、この冬、魔導協会の総力を結集して作ったカメラの威力を今こそ発揮、ってことらしいのよね」
……。なにしてんでしょうか。どこから突っ込めばいいの魔導協会。暇なの? あ、暇ってことにしましょう。
なんだか、新しいおもちゃかペットに構い倒したくてたまらないという雰囲気がしたのは気のせいですって。
いっぱい見なかったことにしていると思いますが、そっちのほうが幸せですよ。
「試作機が五台くらいあって、全部試すから動かないでね」
リューさんはノリノリです。まあ、本職が芸術家というところでしょうかね。魔導師は都合がよいからそうしているという感じです。
見たことのないお二人様は一人は魔導工学の専門家で、もう一人は魔導協会の技術担当ということらしいです。
今まであってない部類の人たちですね。まあ、魔導師らしく、専門の話を振れば怒涛のような解説がこぼれてくるところは一緒です。程度を考えたまえ。
こんなのすぐに断りそうなエリックは事前に聞いていたようなんですよ。それで既に懐柔済みでした。
う、裏切者と思いましたよ。新魔銃と市場に出回らないアンティークな魔銃が入手予定だそうです……。ついでに、本部の図書館の鍵も約束されているそうな。もうそれってわかりやすいエサでは?
そうとわかっているでしょうけど、どうせ行かなければいけないということで処理してそうです。楽しそうでよいことですね。
推しが楽しそうならそれで……。
「納得いかないですよっ! あたしは骨折り損じゃないですか」
「なにか提供する? 要望は聞いておくよ。なんでもほいほいと差し出すと思う」
リューさんの安請け合いが怖いです。ええ、本当に、なんでも出してきそうで怖い。
金と暴力を余るほどに持っていて、倫理観がちょっとお留守な団体ですからね。
思い悩んでいるうちに撮影会はギャラリーもいつの間にか増えて、こういうポーズはどうかという公開処刑になりました。
これが、この世界で最初の写真として長々と残す予定と知っていれば止めました。聞かされたのはすべて保存された後日だったのです。
晩餐会後の仮の自宅はメイドさんたちが待機していたので、特になにもなかったのです。馬車から降りて、お姫様抱っこで部屋に運ばれたのはしかたないんです。メイドさんたちにはあらあらと言いたげな視線が刺さりましたけどね。なんでしょうね。あのいたたまれない感じ……。
……そ、それは、忘却の彼方に放りましょう。昨日はリハーサルもちゃんとこなし、まあまあ、大丈夫だろうと自信をつけてきたのです。張りぼて感はありますが、大丈夫。だといいのですけど。
この日のために用意した衣装に着替え、王城の謁見の間まで出陣なのですが……。
「可愛いほうがよかった」
自分のドレス姿の最終確認で本音が駄々洩れしました。
あたしは可愛いが欲しいのです。どこをどう見ても可愛くはない。
「諦めなさい」
重々しくカメリアさんに言われてしまいました。こういうのははったりも大事と言われれば仕方ないと思いますよ。ええ、納得しないという顔で諦めましたけどね。
そんな思いをする本日の衣装というのはですね。
黒の生地に銀糸で刺繍され、さらに真珠が散りばめられたドレスは豪奢でしたが、重いの一言で。裾が引きずるほどに長いのでさらに踏みそうという見た目重視のものでした。
さらに上にマント付きです。ちなみにものすごく普通の厚手なマントでした。こちらは白で汚しそうだと扱いが難しそうです。
髪も結いあげられ、こちらにも真珠のピンが刺されています。
エリックの趣味ではないらしく、昨日、試しに着た時にキラキラしいなとそのままな感想をもらったのを微妙に凹んではいません。
支度の監督をしていたカメリアさんに、なんか強そう? と言われたのも気にしてませんったら。
……改めて見ても見栄えは良いです。今後、公式な肖像画を描かれるときはこの衣装になるそうですから、気合い入れた感はあります。いいんです。侯爵様なんだから偉そうで強そうでもっ!
後の歴史で書かれることがあったなら鉄の女とかつきそうだと思いますね。
最終確認を終えて、気を取り直して謁見の間へ向かいます。普段なら誰かのエスコートが必要なのですが、今回はなしになっています。
爵位を継承あるいは、授与されるのは今まで男性のみでしたのでこういう公式行事の作法も男性向けでした。この短期間でそこまでの改定はできなかったので作法は、一部以外はそのままとなっています。作法はというところが曲者なのですが、それはさておきましょう。
ひとまず授与されるものは一人で歩いて向かうということになっていて、あたしにも適用されています。
これの理由が支えが必要なくらいのものには爵位を与えられないってことらしいんですよね。
側仕えの人たちは普通に一緒に歩くのは問題ないそうです。本当に支えの有無が重要なそうで。
というのにこの場にはエリックがいません。それどころか、支度の途中で用があるとふらっといなくなりました。そのうえ、あたしの気が散りそうだからと謁見の間にはいないことになっています。
原因は昨日の予行練習に付き合ってもらったときの行動です……。普通のつもりでしたがなんとなく探して、困ったなと思うと少し見上げる癖があるんだそうですよ。無自覚でした。
そんなの式典ではやってはいけません。
そう言われれば、仕方ないと諦めます。直そうとしてもどうにもならなかったので渋々ですけどね。
さくっと謁見の間にたどりつき、式典が始まりました。
とはいっても、内容はほぼ省略されます。
まず、王家への忠誠、省略、国への献身、省略、国教への恭順、省略です。どれもあたしがするわけにはいかないことなので、求めないんだそうです。
代わりに友好の証として爵位と領地を渡すことを告げられます。あたしはありがたく受け取るという形ですね。そして、長く友情が続きますようにとお互いに握手するというほぼ原型をとどめていません。
それなら一人で歩くのもやめればいいのにと思いますよ。
そこは伝統を重んじてほしいらしいですが。
「新しいクライフ候の誕生に祝いを」
王様がそう言って、話は終わりのはずだったんです。少なくとも昨日まで聞いたのは。
なぜか乾杯用のグラスががやってきました。
もちろんお酒です。今までの失態が脳裏をよぎります。配慮した人が水やジュースに変えてくれたりもしてなかったようです。匂いが甘いアルコールですよ……。おいしそう。
同じようにグラスを受け取った王様が、あ、という表情で焦っていますがもう遅いですよ。チェンジできません。配った人が間違えたのかもしれませんね。
グラスを胸のあたりに持ち上げます。それを合図に皆が同じようにするのは、さすがに緊張します。しばしの沈黙がありました。
あれ、あたしが何か言うことになってます? 救いを求めるようにみた王様がうむうむと頷いてます。
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「皆様の健やかなる日々を祈ります」
もう自棄で健康を祈ってやりますよっ! 国の安寧なんてあたしには荷が重いです。
そして、それをした後にきらきらとなにかが降ってくるとか知りませんよっ! 謁見の間にいた魔導師のいたずらだろうとその場にいた人は思ったらしいですね。
王様も苦笑しながらも乾杯と普通に言っていましたし。
あたしは気がついていないのです。あれがマジものの奇跡だったとか、教会関係者が慌ててるとか。
お暇なのですか、詩神様。
あるいは、あたしが、焦るの楽しんでますか? どこかの旦那様といっしょなんですかっ!?
自棄の追加で、お酒をグイっと飲み干しました。軽い口当たりで甘く、軽く炭酸入りでおいしい。後で銘柄を教えてもらいたいですね。休みの日にでも楽しみたい。
公式行事はここまでで、予定通りならこのまま退出することになります。酔いが回る前に撤退しましょう。もう、着替えたいですし。
昨日の予行練習と同じように、王様に目礼し退出します。
なんとなく雰囲気で退出してという難しいこと言われたんですよね。こればかりは場の雰囲気が重要とか。
ゆっくり優雅に、ドレスの裾を踏まないように……。うーん、ふわふわしますね。一気に酔いが回ってきた気がします。
お酒に弱くはないですが、こちらではほとんど飲んでないので体質が変わったんでしょうか。
いや、ここで失態したら後々まで語られると気合いを入れますけどね。
あとちょっと、と頑張って外への扉を見ればエリックがいました。あれ? さっきまでいなかったと思うのともう一つ。
「これは反則だと思いますよ」
恰好がっ! 黒いですっ!
この国において黒は特定の人にしか使わない色です。来訪者、あるいは元々黒い髪や目を持っている人くらいでしょう。例外があるとすれば、その来訪者に直接許された人。
それとは別に相手の色を持つのは、恋人や伴侶だけに許された特権です。
ということを前提に、改めて見てしまったのですが。
黒いマントまでは、あるかもなと思ってました。質素そうに見えて裏面がすごそうな気がしています。それだけでも魔導師であるとわかるような姿です。お決まりのようにフードがついていました。
さらに正統派のローブ付きです。見たことない激レアです。もちろん、ローブの色も黒。腰帯だけ濃い青です。
全身黒は断ったという抵抗が見て取れますね。
なお、ローブもやばそうな雰囲気がします。ブーツだってごつい痛そうなやつです。
「悪の魔法使いと言われたな」
さらりと言われましたがそんな感じです。
大変申し訳ないのですが、とてもよくお似合いです。この場でなければ変な声が出たと思います。地味そうに見えてにじみ出るラスボス感。
こんな雰囲気ですが、これ、対外的にあたしの婚約者であるという主張に他ならないわけで。
いや、旦那様ですけどもっ! 独占欲っ!? と夢想してもいいですか? もしや白昼夢……? これは、夜に思い返してごろごろ転がるやつーっ!
と思いながらも頑張って平常心をとっ捕まえます。えー酔っ払いがちょっと荒れても平気よぉと言うのは違うんですよっ!
可能な限り速足で近寄ってエリックにぼすっと抱きつきます。欲望が反乱をおこしてますよっ!
それは予想外だったのか、エリックがちょっとよろめいたのは見なかったことにします。そんな弾丸ではなかった、と思いますよ。たぶん。
当たり前のように背中に手を回されましたが、ぽんぽんと落ち着けと言いたげに軽く叩かれました。なにか、漏れてますか。ぐいぐいと欲望を押し付けて、平常心です。そこっ逃げないっ!
冷静に、なりましょう。そして、冷静になると気がつくことがあるんですよね。
「自発的じゃないですよね?」
こそこそと確認してしまいました。
こういうことをやりそうにない人なので。気にしてなさそうというか。そこまで他人を相手にしてない。例外を除くって感じでして。
「知らない間に用意されていた。魔導協会が、派閥を超えて用意した一品らしい」
少し困ったようにエリックは言ってますけどね。
ラスボス装備ですか。魔導協会の本気に震えます。この人、強化しちゃいけないのではとか思うのですけど。うっかり死ぬと災厄に乗っ取られるんですよ。死なせませんけど。
「アーテルの分もあるが、振り回されるからもう少し修行してから」
まさかのお揃い!?
いやだから、あたしも死ぬと災厄に……。酔いが醒めたような気がします。現実がツライ。
うん。出来る限り気をつけます。
さて、背後のざわざわが気になり始めたので何事もなかったように離れました。それからエスコートを要求、出来なかったんでしたっけ……。
扉はお近くなので、さっさと出てしまいましょう。先にエリックが扉を開けてくれました。
扉から部屋の外へ出て一歩、振り返って一礼。これでおしまいです。
ものすごく注視されていたという事実は黙殺したいです。ええ、見なかったんです。気がつかなかったんです。空気読めませんっ!
本当にもう、最後の最後でやらかしてしまいました。あたしの欲望よ。少しは落ち着き給え、え、酒が悪い? そうかもしれないけど。
「さて、着替えましょうか」
謁見の間は出たので、エスコートを要求します。ここぞとばかりに寄りかかりたいですよ。
「もう着替えるのか?」
「重たいしきついので」
なぜか上から下まで見られましたね。なにか納得されたのなに!?
聞くに聞けず、もやもやします。と思ったら、急にドレスが軽くなりました。
「少しだけ軽くした。短時間しかもたないから、さっさと行くぞ」
「それは前にやってほしいですよ」
「何かかけていると魔法で誑かしたとかまた言い始める。今は別に構わないだろ」
「そうですね」
今は誰もいない廊下ですが、いつ誰かが話しかけに来るかもわかりません。
さっさと支度部屋に向かいましたよ。
そして、なぜか待ち構えていたのはリューさんでした。お一人様ではありませんでしたけど。あったことのない人を二人連れています。
「はぁい。元気そうねぇ」
いや、その、数日前にもお会いしたような気がするのですが。メイドでも魔導師っぽくもなく、絵描きさんモードでした。
そこすわってと有無を言わせず、あたしを座らせてエリックを側に立たせて、ポーズの注文を付けてきます。
「え。どういうことですか」
「絵を残しておけという各所からの要望。だからって絵描きに囲まれるの嫌でしょう?
そこで、この冬、魔導協会の総力を結集して作ったカメラの威力を今こそ発揮、ってことらしいのよね」
……。なにしてんでしょうか。どこから突っ込めばいいの魔導協会。暇なの? あ、暇ってことにしましょう。
なんだか、新しいおもちゃかペットに構い倒したくてたまらないという雰囲気がしたのは気のせいですって。
いっぱい見なかったことにしていると思いますが、そっちのほうが幸せですよ。
「試作機が五台くらいあって、全部試すから動かないでね」
リューさんはノリノリです。まあ、本職が芸術家というところでしょうかね。魔導師は都合がよいからそうしているという感じです。
見たことのないお二人様は一人は魔導工学の専門家で、もう一人は魔導協会の技術担当ということらしいです。
今まであってない部類の人たちですね。まあ、魔導師らしく、専門の話を振れば怒涛のような解説がこぼれてくるところは一緒です。程度を考えたまえ。
こんなのすぐに断りそうなエリックは事前に聞いていたようなんですよ。それで既に懐柔済みでした。
う、裏切者と思いましたよ。新魔銃と市場に出回らないアンティークな魔銃が入手予定だそうです……。ついでに、本部の図書館の鍵も約束されているそうな。もうそれってわかりやすいエサでは?
そうとわかっているでしょうけど、どうせ行かなければいけないということで処理してそうです。楽しそうでよいことですね。
推しが楽しそうならそれで……。
「納得いかないですよっ! あたしは骨折り損じゃないですか」
「なにか提供する? 要望は聞いておくよ。なんでもほいほいと差し出すと思う」
リューさんの安請け合いが怖いです。ええ、本当に、なんでも出してきそうで怖い。
金と暴力を余るほどに持っていて、倫理観がちょっとお留守な団体ですからね。
思い悩んでいるうちに撮影会はギャラリーもいつの間にか増えて、こういうポーズはどうかという公開処刑になりました。
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