明治あやかし黄昏座

鈴木しぐれ

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第四幕 恋雪

恋雪―4

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 そして、迎えた本番当日、十一月八日。夕方の本番に向けて、午前中に行なう最終稽古の真っ最中だった。
 今回の衣装は全員が和服で、普段は洋装を着ている花音と雪音も和服姿なので、新鮮だ。娘役は淡い水色の着物で帯は白、どこか儚げな装い。若者の着物は、伽羅色に黒い羽織で、見た目の年齢よりも上の装いにしている。

「雪音、少し動きが硬い」
「すみません」

 珍しく雪音が緊張している様子だった。他の芝居では、そつなくこなしているように見えていたのだが、今回はやはり特別なようだ。

「雪音、しゃんとするのですわ」
「姉さんこそ、動きが大きすぎます」
「そ、そんなことありませんわ」

 雪音の言う通り、花音は気合いが入っている分、稽古の時よりも大きく動いているように思える。黒髪がふわりと広がっているのがその証拠。琥珀のもう一度、という声に応えて、二人は同じ場面をもう一度演じ始めた。娘が若者の手を振りほどいて、立ち去る場面。

『お願いだ。僕には君の冷たいその手が愛おしいんだ』
『嬉しく思います、でも、わたしは……っ』

 娘は、若者から顔を背けて、走り去る。そのまま袖に捌けていく。だが、少し大回りになってしまっている。いつもより舞台の端に近い。――危ない。

「花音ちゃんっ!」
「きゃあ!」
 あさぎが慌てて声を上げたが、遅かった。舞台から落下してしまった。ドサっと花音の体が床に落ちる音がした。

「姉さん!!」
 雪音が顔を真っ青にして、舞台を降りた。一瞬にして、その場に緊張が走った。

「痛っ……」
 花音が足首を押さえて、客席の升の中でうずくまっている。寧々が素早く駆け寄って、状態を確かめる。

「痛いところは?」
「足、ですわ」
「……足首を捻っとるみたいやね。骨の異常はなさそうやし、大事には至らんやろうけど、今日は安静にした方がええな」
「でも! 一週間後にはお母さまが」
「もし今、無茶をすれば、それこそ一週間後の芝居に立てんくなる。それでもええの?」
「……っ」

 花音が唇を噛みしめて俯いた。床には、雫がぽたりと落ちて染み込んだ。聞こえるかどうかの小さな声で、申し訳ございませんわ、と呟いていた。悔しいのは、花音自身だろうに。

「琥珀」
「座長」
 視線が琥珀に集まる。琥珀がどういう判断をするか、その場の全員が息を呑んで待った。

「……花音」
「はい」
「花音のこの芝居にかける想いが理解しているつもりだ。だから、足が回復すれば一週間後の芝居には出す。だが、今日は代役を立てる」
「分かり、ましたわ」
 回復さえすれば芝居には出られる安堵と、今日は出られない落胆が混ざり合った、苦しい表情で、花音は頷いた。

「凪はどこにいる?」
「本家の定例会で呼ばれて、今日は来られへんて言うてたよ」
「ああ、そうだったな。どうするか……」

 琥珀が顎に手を当てて、悩んでいる。琥珀は、若者の新しい婚約者の役で、女学生の変化をした状態で出ることになっているため、代役は出来ない。

「寧々さんは?」
 あさぎは寧々の名前を上げて提案するが、首を横に振られてしまった。

「雪女は年を取るのが人間より遅いって設定を入れとるんよ、この物語では。やから、若者役の雪音くんよりだいぶ年上に見えてしまうあたしじゃ、矛盾が出てしまうんよ」
 琥珀は別役がある、寧々も出られない、佐奈は話すことが出来ないから出られない。となると。

「誰も、いない……?」
「中止に、なりますか」
 雪音が落胆したように、そう質問した。が、花音が初めて聞くような鋭い声で遮った。

「駄目ですの! 中止は、駄目ですわ。やはり、わたくしが出ま――くっ」
 花音が立ち上がり、一歩踏み出したが、足に痛みが走ったようで顔を顰めた。このままでは、花音が無茶をしてしまう。
 中止、という選択肢が迫ってきている。誰もそれを望んでいないが、代役がいなければ、中止するしかないのだ。

 ――いや、代役が出来る者が一人、いる。ここに。

「私が、やる」
 手を固く握りしめて、あさぎはそう宣言した。

「あさぎ? 待て、本番は今日なんだ。稽古の時間はあと少ししかない。そもそも、台詞は――」
 琥珀は、そこまで言って、はたと止まった。琥珀の言葉を、雪音が引き取って続けた。

「あさぎは、台詞を全て覚えていますよね。舞台袖で手伝いをしてくれていましたけど、一度も台本を見ていませんでした」
「覚えてる。台詞も、動きも」
 あさぎは、力強く頷いた。稽古の様子をずっと見てきた。花音の演技はこの目で見てきたのだ。

『お願いだ。僕には君の冷たいその手が愛おしいんだ』
 雪音は、さっきまで稽古をしていた、若者の台詞を口にした。続けてみせるよう、目線で促された。
 あさぎは、一度目を閉じる。頭の中で、花音の台詞、口調、表情、動きを探し、引っ張り出した。ゆっくりと目を開ける。

『嬉しく思います、でも、わたしは……っ』
 あさぎの口からは、娘役の台詞が紡ぎ出された。嬉しさと躊躇いの表情、そして、走り去る動作。花音の演技を、あさぎは完璧に再現してみせた。

 一瞬、その場が静まり返った。全員が、あさぎに視線を注いでいた。いや、目が離せなかった。声を奪われたかのように、誰も声を発することが出来ない。

「あ、あの、やっぱり駄目だった?」
 沈黙に不安になったあさぎは、演技をパタリと止めて、皆の様子を窺った。
 ようやく声を取り戻した琥珀は、皆の中に満場一致であっただろう決定事項を口にした。

「代役は、あさぎでいく。すぐに稽古をする。時間がない、急げ!」



 琥珀は、あさぎの演技に正直驚いた。だが、思い返してみれば、初めて会った時に、初めて見たはずの芝居の台詞を一言一句間違えずに言っていた。稽古で何度も見ているからか、先ほどは、台詞はもちろん、花音独特の言い回しや指先までの細かな表現、舞台上を歩く歩数まで完璧に再現していた。

「まさか、ここまで出来るとはな」
 客席からの見え方を確認するために、琥珀は客席の後方に座っている。そこから、舞台にいる二人に向かって声を張り上げて指示を出す。

「雪音、あさぎ、最後の場面をやってみてくれ」
「分かった」

 若者と娘が、別れる最後の場面。雪の降る中で交わされる言葉。花音の第六感で実際に雪を降らせるのだが、今、花音は念のため病院に行っているため、不在。とりあえず雪なしで稽古をする。ここが一番重要な場面で、ここが上手くいけば、なんとかなる。

『待ってくれ、家の者は僕がどうにか説得する。だから――』
『あなたは、この降る雪に口付けが出来ますか。降る雪を抱きしめることが出来ますか』
『そ、れは……』
『わたしはこの雪のようなもの。冬の間しか、愛おしい人の傍に居られない。叶わない。ならば、身を引きましょう』
『行かないでくれ、僕は君を、愛している』
『わたしも、愛しています。永遠に……』
 娘が捌けて、若者が一人佇む中、幕は下りる。

「そこまで。あさぎ、台詞は完璧で、動きも問題ない。本番は花音が雪を降らせるから、そのつもりでな」
「分かった!」

 問題はない、と言ったが一つ気になる点があった。花音の台詞や動きを完璧に再現出来ているのだが、そこにあさぎ自身の感情までは乗っていないのだ。花音は、相手を愛おしいと思う気持ちがあって、あの表情や動きをしている。先に動きから入ったがために、あさぎの感情が演技に乗っていない。

「だが、初めての芝居で、本番はもうすぐ。余計なことをいって混乱させるよりは、ましか……」
 初めから通しをしようと声を掛けようとして、雪音が身振りで少し待って欲しいと伝えてきた。琥珀は、頷いてそのまま待った。すると、雪音があさぎの耳元に口を寄せて何かを囁いた。ここからでは何を言ったのかは聞こえなかった。

 あさぎの顔が一瞬にして、真っ赤になった。耳まで赤くなって、両手で頬を包み込んで、あわあわしている。

「一体、何を言ったんだ」
 つい零れた独り言が、自分の思っていた以上に苛立った声をしていて、驚いた。舞台上では、雪音が柔らかな笑顔をあさぎに向けている。あさぎはまだ顔を赤くして、雪音に何かを必死に言っている。距離が近すぎるように思えるが。

「もういいか」
「はい。座長、もう一度、最後の場面をさせてください」
「分かった」
 琥珀の了承を得ると、あさぎと雪音はもう一度先ほどの場面を演じ始めた。

「なっ……!」
 あさぎの演技が一変していた。台詞や動きは先ほどまでと同じく完璧。だが、それ以上にその芝居が生き生きとしているのだ。この娘は、目の前の若者に、恋をしている。相手のことが愛おしくて仕方がないという感情が、客席の後ろまで届いてきた。

 芝居として、素晴らしいものになった。それは確かなのに、なぜか素直に喜べなかった。あの声で、あの表情で、別の者に愛していると告げるあさぎを見て、心中穏やかではいられなかった。

「くそっ、何を苛ついているんだ、俺は」
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