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二日目
観覧車
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陸橋からのリュッ君の指示を受けて、急ぎ出口にたどり着いたユウキは、勢い良くその扉を開けて、外の通路に飛び出した。
そして、そのままチケットブースの脇を走り抜け、飛ぶように階段を駆け上がり、リュッ君が待つ陸橋のある階上に急ぐユウキ。☆をゲットした達成感に、自然と顔が笑顔で満ちていく。ユウキの弾む息がリズムになって、走る体を軽くしていった。
「りゅっくーーん」
階段を駆け上がり、そのまま陸橋に向かうユウキ。しかし、先ほどまでいたはずのリュッ君の姿がそこには無かった。慌てるユウキは立ち止まり、周りを見回した。
「リュッ君?リュッ君?どこいったの?」
ユウキが大声で呼びかけると、陸橋とはまったく別の場所から、動物のような鳴き声と、リュッ君の怒鳴る音が聞こえてきた。
「キッキーーー!キー!」
「やめろ!こらはなせええ!」
ユウキが声のするほうを見ると、フロアーを支えるトラス状の柱を駆け上がる小さな黒い影が目に入った。長い手足を持ち、キーキー!と、鳴き声を発している動物のようなそれは、一見小さな猿のように見えた。リュッ君の肩掛けを片手で持ち上げ、上へ向かってすばやく駆け上がって行くと、柱の先の上部をつなぐ水平のトラスの上で体制を整え、片手に持ったリュッ君を見つめて「きっききっ」と鳴き声をあげた。そして、顔を近づけクンクンと匂いをかいだ。
「なんだ、こら猿野郎!。俺をとっとと戻しやがれ」
持ち上げられながらも、その猿のような影に向かって必死で威嚇を続けるリュッ君。ユウキはその様子を見とめて、あわてそちらに向かって走っていった。
走りながら見上げるユウキ。小さなサルのような動物に見えるそれは、体が黒い毛に覆われて真っ黒だった。リュッ君のほうを興味深く見ているその顔には、大きなギョロっとした光がぎらぎらと瞬いていて、まるでメガネザルのように見えた。
走るユウキがフロアーの手すりに阻まれて立ち止まった。
手すりから身を乗り出したユウキは、目を凝らしてリュッ君を連れ去ったものの姿を見つめた。その猿のようなものの体を覆う砂鉄のような黒い毛は、かすかに蠢いて、空中でちぎれて四散しながら渦巻いているように見える。ユウキは、それを見て、かつて草原で見た、黒い粒子を全身に這わせて、ユウキを追いかけて来た、あの影のような者達と同じ何かを思い出した。
手すりを掴むユウキの手に力が入り、食いしばった歯がギリッ、と鳴る。
「リュッ君を!放せええ!」
その小さなサルのような影に向かって、思い切り叫ぶユウキ。
トラスの上でリュッ君をもてあそんでいる”影猿”が、「ききっ!」と鳴き声を上げて、ユウキのほうを振り返る。
「ゆ、ユウキ!」
リュッ君もそちらを見る。すると”影猿”は、再び「ききっ!」っと声を上げて、手を叩いてその場でジャンプした。そして、リュッ君を自分の背中に担ぎ、ユウキから遠ざかるように水平に伸びたトラスの上を走っていった。
「ユウキいー!」
「リュッ君ー!」
遠ざかっていくリュッ君を見失わないように、必死で追いかけるユウキ。そんなユウキに背を向けて、すばやく身軽な動きで、柱から柱へ乗り移っていく”影猿”。その背中で揺らされるリュッ君が激しく抵抗している。
「くそ!このやろう!離せ!離しやがれ」
高くくみ上げられたジェットコースターのレールの上を走る”影猿”の下を、今は動きを止めたメリーゴーランドやティーポット、園内の遊具施設が通り過ぎていく。そして、しばらくすると、前方の非常階段の手すりを伝って脇にそれて、階段の手すりからするすると地上の通路に向かって降りて行った。
「リュッ君!」
負けじとユウキも階段を全力で駆け下りていく。息があがり、足がもつれるユウキ。苦しそうに、不安そうな顔が激しくゆがむ。地上に降りて、広い通りに出ると、ユウキは”影猿”とリュッ君の姿を探した。遠くのほうでリュッ君の叫ぶ声が聞こえてきた。ユウキがそちらのほうを向くと、そこには巨大な観覧車がそびえ立っていた。
声の方向に向かって全力で走っていくユウキ。観覧車の乗り場に通じる開けた場所に着くと、ユウキは、一旦立ち止まり、ひざに手を置いて体を支え、ハアハアと上がった息を整えた。上のほうから、離せ!離せ!と叫ぶリュッ君の声が、聞こえてくる。見ると、観覧車のゴンドラをつなぐ円筒状の柱を、上へ上へと登っていく黒い影がみえた。登って行く黒い影はリュッ君を背負っている。影の後ろで成す術も無いリュッ君が、それでもジタバタと抵抗しているのが見えた。
「リュッ君!リュッ君!」
リュッ君に向かってユウキが叫ぶ。そんなユウキに背を向けたまま、”影猿”は、柱をするすると登って行き、とうとう観覧車の一番上のゴンドラの屋根まで登ってしまった。”影猿”は、振り返ってユウキを見下ろすと、そのぎらぎらとしたまん丸な目をぱちくりとまばたかせ、ユウキを挑発するかのように、「キーキー」と、屋根の上で手を叩いてジャンプしていた。
その様子を見上げるユウキは、目に涙を溜めて必死で頭を働かせた。
どうしよう、どうしよう…。
答えは見つからないが、ユウキは、少し息を整えると、観覧車の乗り場に向かって走って行った。
少しでもあの”影猿”に近づかないと。
ユウキが、階段を駆け上がり、乗り場に通じるフロアーの中を抜けていく。フロアーは、ついたてやロープが散乱して、トラスも床板も、ペンキがはげて落ちて、散らかった様子だった。チケット売り場の販売機はすでにその外盤はひどく薄汚れ、幾つかは落書きされたり、外れたりしていて、とても発券は望めそうに無い。観覧車乗り場に通じる通路は、錠前で締められ、閉ざされていた。
その鉄柵に近づいて、あけようと試みるも、錠前はびくともしない。
ユウキは意を決して、錠前で締められたチケットブース脇のゲートに手をかけて登り始めた。鉄柵を乗り越えてその先の乗り場に侵入すると、周りを見回して、足元の安全を確認した。金属製の床は、ペンキが多く剥げ落ちて錆びてしまっているが、今のところは踏み抜いて落ちることはなさそうだ。急ぎ乗り場を進むと、駅のホームのような観覧車の乗り場が目の前に現れた。ゴンドラが乗り場の前にゆられて軋んだ音を立てている。身を乗り出して、一番上のゴンドラの底面を覗き込むユウキ。さすがにこの高さを登るのは無理だ…。眉をひそめて歯を食いしばり、止まった観覧車を見上げることしか出来ないユウキは、握りこぶしに力を入れて、大きく上に向かって叫んだ。
「リュッくううん!」
しかし、その声はむなしくまわりに反響するだけで、観覧車は何も変わらずその場でゴンドラを揺らしてそびえ立っていた。
じたんだを踏みながら、乗り場周りを見回すユウキ。すると、ホームの先に鎖で巻かれて閉じられた鉄柵ゲートがあるのに気が付いた。鉄柵の向こうは細い通路が続き、さらにその先にはブースのような小さな小屋が見える。
ユウキは鉄柵ゲートに向って歩き出した。鎖で固められたゲートの向こう側に錠前がぶら下がっている。鍵を持っていないユウキにはあけようも無い。しかし、地上から数十メートルの高さにあるこの場所には屋根が無いので、よじ登って上から越えれば向こうにいけそうだ。鉄柵はペンキが剥げ落ち、錆で表面が所々剥げ落ちている。ホームの高さは地上から何階分くらいだろうか。足元の金網の向こうに見える入り組んだ柱の構造体と、その遥か下でこの観覧車を支える柱と地面とを見つめて、ユウキは体を縮めた。
足元から目をそらして上を向き、深く深呼吸をするユウキ。前を向くと、口を真一文字に閉じ、鉄柵に手をかけて、ゆっくりとよじ登り始めた。
鉄柵から下は、その合間にクッションになりそうなものは何も無い。落ちたら、きっとただではすまない高さだ。緊張で身を硬くしたユウキの手が向こう側に伸びていく。錆びたパイプを掴んだ後、ユウキはゆっくり鉄柵を乗り越えて、バランスを取りながら向こう側へ身を滑らせていった。その間も息が乱れていくユウキは、なるべく下を見ないようにして、慎重に体を移動して行った。
鉄柵を乗り越えて、閉じられた通路の向こう側に足を架けて超えていこうとするユウキだったが、その時、ガクン!っとバランスを崩し、足をかけた一方が滑って落ちた。体が後方にバランスを崩して投げ出される。
ゴオオン!
通路の落ちたユウキが背中を欄干にぶつけた。錆びた構造体がその反動を受けて、ギイイイ…ときしみを上げて大きく揺れた。
突然のきしみと揺れに、天辺のゴンドラも少し傾むき、そこにいた”影猿”も「キキ!キキッ!」と鳴き声を上げ、バランスを取るかのように飛び跳ねた。
「うおっ!なんだ」
と思わず声を上げるリュッ君。下方に目をやり心配そうにつぶやいた。
「まさか、ユウキのやつが何かを?」
通路の向こう側に放り出されたユウキは、尻餅をついて、元いた場所の向こう側、閉じられた扉に背中をもたれて空を仰いだ。はあはあ、と何度も肩で息をするユウキ。無事に向こう側にたどり着いたことを確信して、少し緊張から解き放たれたユウキは、息を整えて、通路の先にあるブースへ足を向けた。
ブースのガラスはまだ健在だったが、ホコリがこびりついて中が見えなくなっていた。ブースの扉に手をかけるユウキ。ドアハンドルは少し硬かったが、体重をかけると、ギッ!っと下がって扉が開いた。ユウキが慎重に中に入っていくと、ホコリだらけのブース内には、パネルやスイッチがところ狭しと並んでいる操作盤が目に入った。うっすらとその表面にはホコリが積もっている。
もしかしたら動くかも?
ユウキは目に入ったスイッチを、かたっぱしから手当たり次第押していった。
しかし、観覧車はピクリとも動かない。
ユウキは、ブースの中を見回して、その他にも何かないか?とくまなく探した。すると操作パネルの下方に、ハッチ扉のようなものがあり、少し開いて隙間を作っている。ユウキはハッチに付いた取っ手を握リ締めて、力一杯引っ張った。
錆びて硬くなった扉は、最初こそ動かなかったものの、力を入れるごとにきしみをあげていった。やがて、バン!とユウキの前に大きな口を開けた。ユウキはその反動で後ろに飛ばされ、ゴオン!と、背中をブースの壁にしこたまぶつけた。その衝撃を受けて、ブースを支える構造体がきしんで揺れ、その揺れが観覧車全体にも伝わり、末端のゴンドラにも若干の揺れを与えた。
再び小さく揺れるゴンドラ。キッキ!と、鳴き声を上げてジャンプする“影猿”の背中で、リュッ君が不安な面持ちを浮かべた。
尻餅をついたユウキの目の前に、先ほどこじ開けたハッチ扉が、きーきーと、小さく揺れている。その扉の内側には小さな鍵がぶら下がっており、ハッチが開いた扉の中には、配電盤と、レバーが上に上がった大きなブレーカーがその中に納まっていた。
ユウキは、手を着いて覗き込むようにハッチ穴に近づいた。そして、ブレーカーに手をかけて、ぐっと下に下ろしてみた。
しかし、特に動きは無い。
その後、扉に掛けてある鍵を手に取り、立ち上がって、ハッチ扉の上にしつらえられた操作パネルに向き直る。先ほどパチパチとでたらめに押したスイッチの横に、鍵穴のようなものが開いていた。
ユウキは、自分の手にある鍵を見つめて、再び操作パネルにある鍵穴を見て、ゆっくりとその鍵穴に鍵を差し込んでみた。かちりという感触を指先で感じ取り、そのまま時計回りにまわして見る。ふたたび、かちんと鍵の操作系に合わさる感触を指先で感じ取る。すると、床下からモーター音がゆるく聞こえ始め、さらに操作パネルのスイッチに淡い明かりがともり始めた。
それを見て、「わああ…!」と、興奮に目を丸くするユウキ。さらにひねって見ると、鍵はどうやら、これ以上は回転しないところまで来たようだ。モーター音は、今も足元から振動を伴って聞こえてくる。
ブースから観覧車のほうを見るユウキ、回転こそしていないが、観覧車の脇にある電灯が瞬いて、一定のリズムで電飾を走らせ始める。
思わず笑みがこぼれるユウキ。操作パネルに再び目をやると、その横に大きな、黒いつまみのようなものがあった。それをつまんでゆっくりまわしていく。
ゴオオン!
モーター音に被せて、大きな振動と轟音が響いてきた。
ギイイイイ…ゴンゴンゴンゴン…
観覧車が大きなきしみをあげ始める。ユウキが見ると。なんと、先ほどまで止まっていた観覧車が、電飾を瞬かせて、ゆっくり回転を始めた。驚き見つめるユウキが、思わず観覧車の上のほう、“影猿”とリュッ君がいるであろう天辺を仰ぎ見た。
「キキッ!キキー!」
「なな、なんだ、こりゃ、どうしたってんだ?一体?」
大きな轟音と共に突然回り始めた観覧車に驚き、何度もジャンプする”影猿”。その背中でリュッ君も驚き目を丸くしていた。
ギイイイイいいい!
きしみと轟音を上げて、ゆっくり回転する観覧車。リュッ君達が乗っているゴンドラもゆっくり移動し、みるみる高度を下げてきていた。その様子を見たユウキはしばらく放心したように見上げていたが、はっと気を取り直し、観覧車を見上げて、リュッ君達の居場所を探す。じっと目を細めて見つめるユウキ。轟音とモーター音にまぎれて、猿のような鳴き声が聞こえてくる。
「いた!」
降りてくるゴンドラの一つの屋根に、飛び跳ね、動き回る小さな影を見つけたユウキが、その影を待ち受けるために、乗り場のホームに戻ろうと駆け出した。
リュッ君を背負った”影猿”は、ゴンドラの屋根で慌てふためいていた。リュッ君は慌てふためく”影猿”の背中で、はるか下方の視界に入る部分に、ユウキの姿がないかと、必死で探した。そして、近づいて来る観覧車の乗り場に、制御ブースから出てきたユウキが鉄柵を乗り越えて入ってこようとする姿を見つけた。
「ユウキ!」と思わず叫ぶリュッ君。
ユウキはホームに戻ってくると、降りてくる来るゴンドラを睨み付けて、ホームで仁王立ちになった。
「リュッ君を帰せ!」
降りてくるゴンドラの屋根にいる”影猿”に向って叫ぶユウキ。
「キキッ」
ホーム間近まできた”影猿”は鳴き声を上げ、ゴンドラの屋根から円柱を伝って走り出した。”影猿”は慌てて、柱から柱に乗り移っていく。観覧車からジャンプして飛び降り、ホームの支柱に乗り移って走っていく。ユウキがそれを目で追って叫んだ。
「待てえ!」
”影猿”は、支柱から支柱へ、階段の手すりから鉄塔へと伝って、観覧車からコースターのコース方向に逃げようとする。頭上に広がる柱を伝って逃げられたユウキは、あわてて”影猿”を追おうとする。
「こなくそー!」
リュッ君が突然叫ぶと、”影猿”の背中を引っ張り、鉄塔の支柱の一つに噛み付いた。
「キキィッ」
突如、背中のリュッ君に引っ張られ、バランスを崩す”影猿”。
高い支柱の狭間で、後方に大きく回転した”影猿”は、スポン!と、リュッ君からすっぽ抜けて飛び出してしまい、前方に大きく投げ出された。リュッ君も一度は柱を噛んでその場に留まろうとしたが、”影猿”の飛び移ろうとする反動に引っ張られて、自身も支柱から離れ、大きく空中に投げ出されてしまった。
慌てて手を伸ばし、次の支柱に手を伸ばす”影猿”だったが、一歩手がとどかず、両の手を上げたまま、らはるか下方の緑地帯に背中から落ちていった。
投げ出されたリュッ君は、空中をくるくる回って飛んでいく。
そんなリュッ君を追いかけて、ホームの端にまで走っていくユウキ。
ユウキが見つめる中、そのまま落ちていくかと思われたリュッ君だったが、、観覧車の周りに敷かれたレールの上に弧を描いて落ちていった。
バフン!っと、リュッ君が着地した場所、そこは、ジェットコースターのスタート地点。
コースターが上っていく登り坂の先。レールの山の天辺だった。
そして、そのままチケットブースの脇を走り抜け、飛ぶように階段を駆け上がり、リュッ君が待つ陸橋のある階上に急ぐユウキ。☆をゲットした達成感に、自然と顔が笑顔で満ちていく。ユウキの弾む息がリズムになって、走る体を軽くしていった。
「りゅっくーーん」
階段を駆け上がり、そのまま陸橋に向かうユウキ。しかし、先ほどまでいたはずのリュッ君の姿がそこには無かった。慌てるユウキは立ち止まり、周りを見回した。
「リュッ君?リュッ君?どこいったの?」
ユウキが大声で呼びかけると、陸橋とはまったく別の場所から、動物のような鳴き声と、リュッ君の怒鳴る音が聞こえてきた。
「キッキーーー!キー!」
「やめろ!こらはなせええ!」
ユウキが声のするほうを見ると、フロアーを支えるトラス状の柱を駆け上がる小さな黒い影が目に入った。長い手足を持ち、キーキー!と、鳴き声を発している動物のようなそれは、一見小さな猿のように見えた。リュッ君の肩掛けを片手で持ち上げ、上へ向かってすばやく駆け上がって行くと、柱の先の上部をつなぐ水平のトラスの上で体制を整え、片手に持ったリュッ君を見つめて「きっききっ」と鳴き声をあげた。そして、顔を近づけクンクンと匂いをかいだ。
「なんだ、こら猿野郎!。俺をとっとと戻しやがれ」
持ち上げられながらも、その猿のような影に向かって必死で威嚇を続けるリュッ君。ユウキはその様子を見とめて、あわてそちらに向かって走っていった。
走りながら見上げるユウキ。小さなサルのような動物に見えるそれは、体が黒い毛に覆われて真っ黒だった。リュッ君のほうを興味深く見ているその顔には、大きなギョロっとした光がぎらぎらと瞬いていて、まるでメガネザルのように見えた。
走るユウキがフロアーの手すりに阻まれて立ち止まった。
手すりから身を乗り出したユウキは、目を凝らしてリュッ君を連れ去ったものの姿を見つめた。その猿のようなものの体を覆う砂鉄のような黒い毛は、かすかに蠢いて、空中でちぎれて四散しながら渦巻いているように見える。ユウキは、それを見て、かつて草原で見た、黒い粒子を全身に這わせて、ユウキを追いかけて来た、あの影のような者達と同じ何かを思い出した。
手すりを掴むユウキの手に力が入り、食いしばった歯がギリッ、と鳴る。
「リュッ君を!放せええ!」
その小さなサルのような影に向かって、思い切り叫ぶユウキ。
トラスの上でリュッ君をもてあそんでいる”影猿”が、「ききっ!」と鳴き声を上げて、ユウキのほうを振り返る。
「ゆ、ユウキ!」
リュッ君もそちらを見る。すると”影猿”は、再び「ききっ!」っと声を上げて、手を叩いてその場でジャンプした。そして、リュッ君を自分の背中に担ぎ、ユウキから遠ざかるように水平に伸びたトラスの上を走っていった。
「ユウキいー!」
「リュッ君ー!」
遠ざかっていくリュッ君を見失わないように、必死で追いかけるユウキ。そんなユウキに背を向けて、すばやく身軽な動きで、柱から柱へ乗り移っていく”影猿”。その背中で揺らされるリュッ君が激しく抵抗している。
「くそ!このやろう!離せ!離しやがれ」
高くくみ上げられたジェットコースターのレールの上を走る”影猿”の下を、今は動きを止めたメリーゴーランドやティーポット、園内の遊具施設が通り過ぎていく。そして、しばらくすると、前方の非常階段の手すりを伝って脇にそれて、階段の手すりからするすると地上の通路に向かって降りて行った。
「リュッ君!」
負けじとユウキも階段を全力で駆け下りていく。息があがり、足がもつれるユウキ。苦しそうに、不安そうな顔が激しくゆがむ。地上に降りて、広い通りに出ると、ユウキは”影猿”とリュッ君の姿を探した。遠くのほうでリュッ君の叫ぶ声が聞こえてきた。ユウキがそちらのほうを向くと、そこには巨大な観覧車がそびえ立っていた。
声の方向に向かって全力で走っていくユウキ。観覧車の乗り場に通じる開けた場所に着くと、ユウキは、一旦立ち止まり、ひざに手を置いて体を支え、ハアハアと上がった息を整えた。上のほうから、離せ!離せ!と叫ぶリュッ君の声が、聞こえてくる。見ると、観覧車のゴンドラをつなぐ円筒状の柱を、上へ上へと登っていく黒い影がみえた。登って行く黒い影はリュッ君を背負っている。影の後ろで成す術も無いリュッ君が、それでもジタバタと抵抗しているのが見えた。
「リュッ君!リュッ君!」
リュッ君に向かってユウキが叫ぶ。そんなユウキに背を向けたまま、”影猿”は、柱をするすると登って行き、とうとう観覧車の一番上のゴンドラの屋根まで登ってしまった。”影猿”は、振り返ってユウキを見下ろすと、そのぎらぎらとしたまん丸な目をぱちくりとまばたかせ、ユウキを挑発するかのように、「キーキー」と、屋根の上で手を叩いてジャンプしていた。
その様子を見上げるユウキは、目に涙を溜めて必死で頭を働かせた。
どうしよう、どうしよう…。
答えは見つからないが、ユウキは、少し息を整えると、観覧車の乗り場に向かって走って行った。
少しでもあの”影猿”に近づかないと。
ユウキが、階段を駆け上がり、乗り場に通じるフロアーの中を抜けていく。フロアーは、ついたてやロープが散乱して、トラスも床板も、ペンキがはげて落ちて、散らかった様子だった。チケット売り場の販売機はすでにその外盤はひどく薄汚れ、幾つかは落書きされたり、外れたりしていて、とても発券は望めそうに無い。観覧車乗り場に通じる通路は、錠前で締められ、閉ざされていた。
その鉄柵に近づいて、あけようと試みるも、錠前はびくともしない。
ユウキは意を決して、錠前で締められたチケットブース脇のゲートに手をかけて登り始めた。鉄柵を乗り越えてその先の乗り場に侵入すると、周りを見回して、足元の安全を確認した。金属製の床は、ペンキが多く剥げ落ちて錆びてしまっているが、今のところは踏み抜いて落ちることはなさそうだ。急ぎ乗り場を進むと、駅のホームのような観覧車の乗り場が目の前に現れた。ゴンドラが乗り場の前にゆられて軋んだ音を立てている。身を乗り出して、一番上のゴンドラの底面を覗き込むユウキ。さすがにこの高さを登るのは無理だ…。眉をひそめて歯を食いしばり、止まった観覧車を見上げることしか出来ないユウキは、握りこぶしに力を入れて、大きく上に向かって叫んだ。
「リュッくううん!」
しかし、その声はむなしくまわりに反響するだけで、観覧車は何も変わらずその場でゴンドラを揺らしてそびえ立っていた。
じたんだを踏みながら、乗り場周りを見回すユウキ。すると、ホームの先に鎖で巻かれて閉じられた鉄柵ゲートがあるのに気が付いた。鉄柵の向こうは細い通路が続き、さらにその先にはブースのような小さな小屋が見える。
ユウキは鉄柵ゲートに向って歩き出した。鎖で固められたゲートの向こう側に錠前がぶら下がっている。鍵を持っていないユウキにはあけようも無い。しかし、地上から数十メートルの高さにあるこの場所には屋根が無いので、よじ登って上から越えれば向こうにいけそうだ。鉄柵はペンキが剥げ落ち、錆で表面が所々剥げ落ちている。ホームの高さは地上から何階分くらいだろうか。足元の金網の向こうに見える入り組んだ柱の構造体と、その遥か下でこの観覧車を支える柱と地面とを見つめて、ユウキは体を縮めた。
足元から目をそらして上を向き、深く深呼吸をするユウキ。前を向くと、口を真一文字に閉じ、鉄柵に手をかけて、ゆっくりとよじ登り始めた。
鉄柵から下は、その合間にクッションになりそうなものは何も無い。落ちたら、きっとただではすまない高さだ。緊張で身を硬くしたユウキの手が向こう側に伸びていく。錆びたパイプを掴んだ後、ユウキはゆっくり鉄柵を乗り越えて、バランスを取りながら向こう側へ身を滑らせていった。その間も息が乱れていくユウキは、なるべく下を見ないようにして、慎重に体を移動して行った。
鉄柵を乗り越えて、閉じられた通路の向こう側に足を架けて超えていこうとするユウキだったが、その時、ガクン!っとバランスを崩し、足をかけた一方が滑って落ちた。体が後方にバランスを崩して投げ出される。
ゴオオン!
通路の落ちたユウキが背中を欄干にぶつけた。錆びた構造体がその反動を受けて、ギイイイ…ときしみを上げて大きく揺れた。
突然のきしみと揺れに、天辺のゴンドラも少し傾むき、そこにいた”影猿”も「キキ!キキッ!」と鳴き声を上げ、バランスを取るかのように飛び跳ねた。
「うおっ!なんだ」
と思わず声を上げるリュッ君。下方に目をやり心配そうにつぶやいた。
「まさか、ユウキのやつが何かを?」
通路の向こう側に放り出されたユウキは、尻餅をついて、元いた場所の向こう側、閉じられた扉に背中をもたれて空を仰いだ。はあはあ、と何度も肩で息をするユウキ。無事に向こう側にたどり着いたことを確信して、少し緊張から解き放たれたユウキは、息を整えて、通路の先にあるブースへ足を向けた。
ブースのガラスはまだ健在だったが、ホコリがこびりついて中が見えなくなっていた。ブースの扉に手をかけるユウキ。ドアハンドルは少し硬かったが、体重をかけると、ギッ!っと下がって扉が開いた。ユウキが慎重に中に入っていくと、ホコリだらけのブース内には、パネルやスイッチがところ狭しと並んでいる操作盤が目に入った。うっすらとその表面にはホコリが積もっている。
もしかしたら動くかも?
ユウキは目に入ったスイッチを、かたっぱしから手当たり次第押していった。
しかし、観覧車はピクリとも動かない。
ユウキは、ブースの中を見回して、その他にも何かないか?とくまなく探した。すると操作パネルの下方に、ハッチ扉のようなものがあり、少し開いて隙間を作っている。ユウキはハッチに付いた取っ手を握リ締めて、力一杯引っ張った。
錆びて硬くなった扉は、最初こそ動かなかったものの、力を入れるごとにきしみをあげていった。やがて、バン!とユウキの前に大きな口を開けた。ユウキはその反動で後ろに飛ばされ、ゴオン!と、背中をブースの壁にしこたまぶつけた。その衝撃を受けて、ブースを支える構造体がきしんで揺れ、その揺れが観覧車全体にも伝わり、末端のゴンドラにも若干の揺れを与えた。
再び小さく揺れるゴンドラ。キッキ!と、鳴き声を上げてジャンプする“影猿”の背中で、リュッ君が不安な面持ちを浮かべた。
尻餅をついたユウキの目の前に、先ほどこじ開けたハッチ扉が、きーきーと、小さく揺れている。その扉の内側には小さな鍵がぶら下がっており、ハッチが開いた扉の中には、配電盤と、レバーが上に上がった大きなブレーカーがその中に納まっていた。
ユウキは、手を着いて覗き込むようにハッチ穴に近づいた。そして、ブレーカーに手をかけて、ぐっと下に下ろしてみた。
しかし、特に動きは無い。
その後、扉に掛けてある鍵を手に取り、立ち上がって、ハッチ扉の上にしつらえられた操作パネルに向き直る。先ほどパチパチとでたらめに押したスイッチの横に、鍵穴のようなものが開いていた。
ユウキは、自分の手にある鍵を見つめて、再び操作パネルにある鍵穴を見て、ゆっくりとその鍵穴に鍵を差し込んでみた。かちりという感触を指先で感じ取り、そのまま時計回りにまわして見る。ふたたび、かちんと鍵の操作系に合わさる感触を指先で感じ取る。すると、床下からモーター音がゆるく聞こえ始め、さらに操作パネルのスイッチに淡い明かりがともり始めた。
それを見て、「わああ…!」と、興奮に目を丸くするユウキ。さらにひねって見ると、鍵はどうやら、これ以上は回転しないところまで来たようだ。モーター音は、今も足元から振動を伴って聞こえてくる。
ブースから観覧車のほうを見るユウキ、回転こそしていないが、観覧車の脇にある電灯が瞬いて、一定のリズムで電飾を走らせ始める。
思わず笑みがこぼれるユウキ。操作パネルに再び目をやると、その横に大きな、黒いつまみのようなものがあった。それをつまんでゆっくりまわしていく。
ゴオオン!
モーター音に被せて、大きな振動と轟音が響いてきた。
ギイイイイ…ゴンゴンゴンゴン…
観覧車が大きなきしみをあげ始める。ユウキが見ると。なんと、先ほどまで止まっていた観覧車が、電飾を瞬かせて、ゆっくり回転を始めた。驚き見つめるユウキが、思わず観覧車の上のほう、“影猿”とリュッ君がいるであろう天辺を仰ぎ見た。
「キキッ!キキー!」
「なな、なんだ、こりゃ、どうしたってんだ?一体?」
大きな轟音と共に突然回り始めた観覧車に驚き、何度もジャンプする”影猿”。その背中でリュッ君も驚き目を丸くしていた。
ギイイイイいいい!
きしみと轟音を上げて、ゆっくり回転する観覧車。リュッ君達が乗っているゴンドラもゆっくり移動し、みるみる高度を下げてきていた。その様子を見たユウキはしばらく放心したように見上げていたが、はっと気を取り直し、観覧車を見上げて、リュッ君達の居場所を探す。じっと目を細めて見つめるユウキ。轟音とモーター音にまぎれて、猿のような鳴き声が聞こえてくる。
「いた!」
降りてくるゴンドラの一つの屋根に、飛び跳ね、動き回る小さな影を見つけたユウキが、その影を待ち受けるために、乗り場のホームに戻ろうと駆け出した。
リュッ君を背負った”影猿”は、ゴンドラの屋根で慌てふためいていた。リュッ君は慌てふためく”影猿”の背中で、はるか下方の視界に入る部分に、ユウキの姿がないかと、必死で探した。そして、近づいて来る観覧車の乗り場に、制御ブースから出てきたユウキが鉄柵を乗り越えて入ってこようとする姿を見つけた。
「ユウキ!」と思わず叫ぶリュッ君。
ユウキはホームに戻ってくると、降りてくる来るゴンドラを睨み付けて、ホームで仁王立ちになった。
「リュッ君を帰せ!」
降りてくるゴンドラの屋根にいる”影猿”に向って叫ぶユウキ。
「キキッ」
ホーム間近まできた”影猿”は鳴き声を上げ、ゴンドラの屋根から円柱を伝って走り出した。”影猿”は慌てて、柱から柱に乗り移っていく。観覧車からジャンプして飛び降り、ホームの支柱に乗り移って走っていく。ユウキがそれを目で追って叫んだ。
「待てえ!」
”影猿”は、支柱から支柱へ、階段の手すりから鉄塔へと伝って、観覧車からコースターのコース方向に逃げようとする。頭上に広がる柱を伝って逃げられたユウキは、あわてて”影猿”を追おうとする。
「こなくそー!」
リュッ君が突然叫ぶと、”影猿”の背中を引っ張り、鉄塔の支柱の一つに噛み付いた。
「キキィッ」
突如、背中のリュッ君に引っ張られ、バランスを崩す”影猿”。
高い支柱の狭間で、後方に大きく回転した”影猿”は、スポン!と、リュッ君からすっぽ抜けて飛び出してしまい、前方に大きく投げ出された。リュッ君も一度は柱を噛んでその場に留まろうとしたが、”影猿”の飛び移ろうとする反動に引っ張られて、自身も支柱から離れ、大きく空中に投げ出されてしまった。
慌てて手を伸ばし、次の支柱に手を伸ばす”影猿”だったが、一歩手がとどかず、両の手を上げたまま、らはるか下方の緑地帯に背中から落ちていった。
投げ出されたリュッ君は、空中をくるくる回って飛んでいく。
そんなリュッ君を追いかけて、ホームの端にまで走っていくユウキ。
ユウキが見つめる中、そのまま落ちていくかと思われたリュッ君だったが、、観覧車の周りに敷かれたレールの上に弧を描いて落ちていった。
バフン!っと、リュッ君が着地した場所、そこは、ジェットコースターのスタート地点。
コースターが上っていく登り坂の先。レールの山の天辺だった。
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