制服の少年

東城

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4章 壊れる心

+++++ 離さないで

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***

水族館に行った日の夜八時ごろ、朝日の精神状態が最悪になった。
「僕、そんなに悪い子かな?」
涙がこぼれる。フローリングの床に涙の水滴がぼろぼろ落ちる。
「悪い子だから、親にも見放されたし」
人魚姫の真珠の涙ならまだいい。朝日の繊細な心から溢れた涙は寂しくて悲しい水滴だった。
「朝日はいい子だよ」
ソファーに浅く腰かけた栄がやさしく慰めるように言う。
「栄に見捨てられたら、もうどこにも行くところがない」
下を向いて両腕で自分の身体を抱きしめて泣きながら絶望的に言う。
「見捨てないよ。だから泣かないで。ね?」
「心がバラバラになりそうで苦しいよ」
涙が止まらない。かなしくて胸が痛い。
「これ飲んで今日はとりあえず休もう」栄はペットボトルの水と小さな錠剤を渡す。
「何の薬?」
手のこうで涙を拭いながら元気のない声で聞いた。
「いいからそれ飲んで、もう寝なさい。なにも心配することないから」
昼間の仕事口調で言われた。
「今日、栄のベッドで一緒に寝てもいい?」
薬をごくんと飲みながら朝日は聞いた。
「いいよ」
寝室に連れて行かれた。今夜は蒸し暑くて、寝苦しい。でもクーラーを入れるほどでもない。
二人は、背中合わせで寝る。
「栄、僕のこと嫌いにならないで」
消えそうな声で朝日がつぶやく。

朝日の頭の中は昔の嫌な思い出がぐるぐる渦巻いて心が崩壊しそうだ。
親に殴られたこと、蹴られたこと、いらない子として扱われたこと、目障りだからベランダで寝ろと言われ布団やまくらをベランダに投げ捨てられたこと、小学校のクラスでスケープゴートにされたこと、そしてお葬式ごっこで黒板に【はざまあさひシネ】と書かれたこと、背後から聞こえる笑い。

お葬式ごっこのあった日、六年生の十月の終わりの日、朝日の心は壊れ始めた。
シャッターの閉まった商店街をフラフラ歩いていると、かろうじて開店している肉屋から揚げものをする古い油の匂いが漂ってきた。
おなかが空いているのか、気持ちが悪いのかそんな感覚は朝日には、もうなかった。
寂れた商店街を抜け、空を見上げると、橙色の夕焼け空。
ただ、消えてしまいたいと願う。

── いつまでこんな悲しいつらい毎日を送らないといけないの?
こんなところ、もう嫌だ。京都に戻りたい。普通の生活、友達、あたたかい家、そんな普通のものが欲しい。
でもそれは過去のもので、もうそんなものは自分にはない。
足元を見るとボロボロのスニーカー。サイズが合わなくて、踵を踏んで履いている。

そのまま家に帰るのもつらくて、河原に行った。
青いビニール袋や廃材が河原に散らばっている。背後は巨大な集合住宅群。
多摩川をはさんで見える向こうは京浜工業地帯の工場群。
緑は見えない、ただただ灰色の無機質な工場の群。大きな棟の上からあがる火。
地獄の火みたいだと朝日はつぶやく。
列車の通り過ぎる音。鉄橋がけたたましい金属音を立てる。ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃと耳を覆いたくなる音が周囲に響く。耳が痛くなる。

京都の鴨川の夜の屋台の風景がふっと脳裏に浮かんだ。
じいちゃんに買ってもらった飴細工。屋台の赤や青のやさしい光。とっても楽しくて、京都の人も街も朝日にはやさしかった。
昔の回想とともに一気に涙があふれる。
(天国のじいちゃん、ばあちゃん、僕を迎えに来て。もうこんな生活たえられないよ。地獄や)

現実に戻ると残酷な夕焼けのあの日ではなく雨の六月の暗い夜。
隣に栄がいる。
「このままじゃ、僕、死んじゃうよ」
お願い助けてと言いたいけど、涙で喉が詰まってもうなにも言えない。
栄は起きて、朝日を自分の方に向かせて、そっと抱き寄せてくれた。
「死なせないよ。僕は精神科医だから治してあげる」
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