青い月にサヨナラは言わない

Cerezo

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EP2 卵に潜む悪夢3 高校生活開幕

3-12

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「はぁ……疲れた」

 二人が帰った後、瑞雪の口から心底疲れたとわかる声音が漏れる。
 このままベッドに横になって眠りたい気分だ。それくらい疲れた。
 教育実習生として初めての登校。いると思っていなかった知り合い。
 ヒグマに関しては普段通りと言えば普段通りのため特に気にはならなかったが、朝陽に妨害されたのには腸が煮えくり返りそうだった。
 そんなソファの背もたれにぐったりと身体を預ける瑞雪。そしてその様子を見ているトツカ。

(人と生活するってこんなに疲れることだったのか……)

 流石に血を抜かれた日ほどではなかったが、それでも疲れるものは疲れる。
 おまけにトツカという異物がパーソナルスペースに入ってきているのが余計に瑞雪に疲労を蓄積させていた。トツカに悪意がないのはわかる。
 しかし、トツカはとにかく頑固なのだ。瑞雪自身人のことを言えた義理ではないのは重々承知だ。

(そういえば、夏輝が風呂沸かしてるって言ってたな……入るか)

 瑞雪は基本シャワーで済ませてしまうたちである。だからこんな機会がなければ湯船にゆっくり浸かるなんてことは基本ない。

(……入らないのも勿体ないし)

 それに別に風呂が嫌いなわけでもない。考えれば風呂はトイレ以外で唯一この家で一人になれる場所だ。
 ……寝室には勝手にトツカが入ってくるのは夜這いされた日でわかっている。あれを夜這いと呼んでいいのかは考え物だが。
 どちらかと言えばオナホを使いに来た感覚かもしれない。どちらにせよ最悪だ。意図的にではなく本能でやらかしてくれているのが尚たちが悪い。
 重たい身体を引きずり、何とかソファから立ち上がる。

「どうした?瑞雪。寝るのか?」
「風呂に入ってくる」

 うんと伸びをするとぱきぱきと全身から嫌な音が響く。無視して風呂場へさっさと歩く。
 髪留めを解く。結んで腰までの髪は解けば尾てい骨のあたりまで伸びる。
 そのままさっさと服を脱ぎ、風呂場へ入る。
 髪を洗い、身体を洗おうとタオルに手を伸ばしたところで背後から扉の開かれる音。

「は?」

 思わず後ろを振り返る。そこには仁王立ちになったトツカが瑞雪を見下ろしていた。服は着ている。が、だからなんだってんだ!
 まさかの事態に瑞雪は思わず素っ頓狂な声をあげた。

「……何で風呂に入ってきてるんだ」

 可能な限り鬼のような形相でトツカを睨んでみるものの、彼には当然のように効果は全くない。けろっとしている。

「背中を流すといいとロセが言っていた」
「あんのクソ淫魔が!」

 口汚く罵ったところで当の本人はここにいない。青筋を立てつつも瑞雪は努めて冷静にトツカに言い聞かせるように声をかけた。

「……せめて風呂くらいゆっくり一人で入らせてくれ。よく考えろ、風呂場はどう考えても一人用だし狭いだろう。二人入れるスペースなんてないだろう」

 子供を諭すように、なるべく穏やかに。トツカが力づくで入ってきたら瑞雪に勝ち目がないのは前回のことで明白だったため、懐柔する方向で手を打とうと試みる。

「俺は完璧な猟犬でありたいと心掛けている。戦闘以外の事でも俺は道具として役に立ちたいと考える。それに適した事柄が背中を流す事や料理などの家事だと教わった」
「……」

 思考が停止しそうなのを寸前で堪える。しばし逡巡する。

「わかった。家事はお前に任せる。……初めてやることはラテアか夏輝に聞け。絶対に聞け。一人でやるなよ?だが、背中を流すのはしなくていい。……というか、これはするな。風呂にも入ってくるな。俺が妥協したんだからお前も少しくらい妥協しろ。これから先お前が俺の猟犬でいるというのなら、それくらいは言うことを聞け」

 ぱたぱたと髪から湯がしたたり落ちる。さっさと出ていってほしいと切に願う。真正面から向き合うのは具合が悪いが、かといって背中を向けるのは絶対に今できない。少なくとも瑞雪にとってはそうだった。
 全部いらないといっても間違いなく聞き入れてくれないだろうことは明白だったので、妥協案を口にする。

「むぅ……」

 トツカはあからさまに不服そうな顔をしていた。

「わかった。背中を流すのは諦めよう」

 しかし、何とか聞き入れてくれたようだった。そのことにほっと胸を撫でおろす。

「なら風呂場から出てくれ。服も濡れるぞ。出たらお前も入るといい」
「承知した」

 そのまますごすごと大人しく風呂場から出ていくトツカ。
 風呂場のドアを閉め、盛大にため息をつく。湯船に再び入ろうとして、ちらりと曇った鏡に背中が映る。
 背中には大きな十字の傷があった。

「……不快だ」

 目に入った傷に対し、瑞雪は吐き捨てるように呟く。緩く頭を振り、見なかったことにする。
 出てトツカと顔を合わせるのが億劫で、のぼせるギリギリまで湯船に浸かる。
 とはいえそれも少しの時間。これでのぼせて倒れたら今度こそ間違いなくトツカは背中を流しに来るだろう。仕方なくあがり、スウェットに着替える。

「出たのか」
「あ、ああ」

 風呂からあがりリビングに行くと、待ち構えるようにトツカが仁王立ちになっていた。思わず後ずさりそうになる。

「俺は寝る。お前もさっさと風呂に入って寝ろ」

 酷く疲れた。精神的な疲労が大きすぎる。言うだけ言って背中を向ける。
 そのまま身体を引きずるようにして自室に引きこもろうと足を動かす。しかし。

「待て、瑞雪」
「今度はなんだよ……」
「したいことがある」

 呼び止められる。したいことってなんだ?また役に立ちたいとか、そういうのか?
 またか、などと辟易しつつゆっくりと後ろを振り返る。

「ん、ぅ”……っ!?」

 視界が大きく揺れてブレる。一瞬遅れて何が起こったのか理解する。顎を思い切り掴まれたのだ。
 目を白黒させつつトツカを突飛ばそうと手でトツカの分厚い胸板を押そうとする。が。

「今回は完璧だ。アドバイスも貰った。俺だけでなく君にも気持ちよくなってもらいたいんだ」
「あどばいすってなに、をっ!?」

 馬鹿力。この一言につきる。掴まれた顎がみしみしと軋む。
 トツカの顔が近づいてくる。それもすさまじいスピードで。そして。

「ー---っ!?」

 がつんっと音がしたと錯覚するくらい勢いよく唇を奪われる。歯と歯がぶつかり痛む。
 キス?これはキスなのか?瑞雪の脳みそがキャパシティを超え、エラーを吐き、そして。

「……っざけんな!このド下手糞がっ!死ね!」

 ごきっと嫌な音がする。胸を押すのではなく、瑞雪の手は反射的にトツカの頬を思いっきり殴っていた。
 口から出た罵倒も咄嗟に出たものであまりにも知性を感じない原始的な罵声だった。
 ついでに今までの鬱憤も込めて脛を蹴り飛ばしたところでやっと手が顎から外れる。
 トツカは全く何故瑞雪がキレているか理解していない顔をしていた。それが余計にイラついて。

「外の空気を吸ってくる!」

 自室に飛び込み、服を着替えマンションを飛び出す。
 速足になりながら、何度も何度も口を拭う。最悪だ。

「なんだあいつ、なんだあいつ……!発情期のイヌか何かか?いや、違うんだが……」

 これもロセに吹き込まれたのか?だとしたら余計な真似を。このままカフェに行くかどうか迷い、やめる。
 
(俺にも気持ちよくなって欲しいだと?そんな事望んでねえよ……!)

 一貫して羊飼いの役に立ちたい、瑞雪のではないのがミソだ、という信念はブレていない。しかしその内容が大問題だ。

「道具なら三大欲求くらいなくしておけよ……」

 睡眠欲はともかくとして性欲、食欲の両方が旺盛だ。後者は食費がかさむだけで済むが、前者は勘弁願いたい。よりによって男の自分にその欲求をぶつけ、あまつさえ瑞雪自身に気持ちよくなって欲しいなど。
 一言もそんな事望んでいないどころか出会ったばかりの相手に言われるなどありえない。そもそも瑞雪は性的なことが嫌いだというのに。
 思わず舌打ちが漏れる。ひとまずどこか落ち着いて夜風に当たれるところに行くことにする。
 どこに行こうかと思案する。そういえば近場に公園があったか。そんなことを思い出し、足を向ける。
 切れかけの明滅する街灯。風呂上がりには少し肌寒い夜風。歩くうちにだんだんと頭が冷えてくる。

「……何で家主の俺が逃げてるんだ」

 あまりに情けなくなり、ぽつりと呟く。スマホも指輪も慌てて出てきたために持っていない。
 何かに襲われたら簡単に己は殺されるだろう。かといって今はどうしても家に戻りたいとは思えなかった。

(缶コーヒーでも飲んでから帰るか……)

 公園へ着き、自動販売機でコーヒーでも買うかと足を踏み入れたところで先客がいることに気が付く。
 ベンチに座ってカバンを大事そうに抱え俯く少年。
 清水奏太だった。






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