54 / 57
第六章 芸州編 この命が尽きるその日まで
第54話 一触即発
しおりを挟む
「さあ、言えぇ」
「……アンタ、本気で伝説を信じてるのか?」
「信じとるとも。儂も無敵になりたいからのぅ……ふふふ」
「これは俺の命を守るための念仏だ。教えるわけにはいかない」
「そうか……ならば仕方あるまい。せめて腕の一本、置いていってもらおうかのう」
藤林はねじれた背を揺らしながら、ぬるりと間合いを詰める。その気配は、まるで闇が迫るようにじっとりと重く、息苦しいほどだった。
俺は刀を握り直し、全神経を集中させる。
「ひょええええぇぇぇぇぇーーーっ!」
藤林長門守の渾身の一閃が、風を裂いて俺に迫る。
ザクンッ!
「ぐっ……!」
かわしたつもりが、鋭すぎる太刀筋を完全には見切れず、左肩を浅く斬られる。
「若ーっ!」
「下がってろ、六郎!」
「し、しかし……!」
「真田の忍びよ。これは一対一の勝負だ。主の命に逆らうな……ふふふ」
「くっ……!」
六郎は悔しげに一歩退いた。だが、次の瞬間──
ザクンッ!
「……ッ!」
今度は左脚を斬られ、鮮血が草を染める。片膝をつく俺を、藤林の濁った眼が舐めるように見下ろした。
このままでは──負ける。というか死ぬ……。
そう覚悟しかけた時だった。
「きゃあああっ! 大助さまーーっ!」
固唾を呑んで見守っていた領民の中から、お久の悲痛な叫びが響き渡る。涙を浮かべながら、無謀にも草原へ飛び出そうとするお久。それを忠次郎たちが慌てて押し止めた。
「お久、危ない! 下がってなさい!」
「嫌です、離してください! 大助さま、もうおやめくださいっ!」
お久の必死の叫びが、沈黙していた領民の胸を打った。そして、誰かが叫ぶ。
「これ以上やるなら、我ら富盛一門が助太刀いたす! 真田大助には、返しきれぬほどの恩があるんじゃあ!」
富盛辰太郎、辰二郎、辰三郎が、揃って前へ進み出る。
「ワイもやるぞ!」
「私も!」
「僕だって!」
忠吾郎や、道場の子供たちまでもが木刀を握りしめ、勇ましく構えを取っている。そんな暴走寸前の村人たちを、忠次郎が必死に押しとどめた。
「お前ら、やめんかあ! 勝手な真似は許さんぞ!」
そう怒鳴る声は震えていたが、それでも忠次郎は一人、草原の中央へと歩み出る。
足元はおぼつかず、膝は震え、それでも俺のため、村のために頭を地面に押し付けた。
「わ、私はこの村の庄屋、国宗忠次郎にございます。真田さまは、この村にとってなくてはならぬお方。どうか、どうか刀をお納めください! お願い申し上げます!」
「忠次郎……」
その必死の懇願に、領民たちが一斉に声を張り上げた。
「そうじゃ、そうじゃ! 帰れ、帰れー!」
草原を囲む領民はいつの間にか百人を超えていた。その数と声の迫力に、さしもの藤林も一瞬目を見開く。
やがて、ねじれた口元をぬるりと動かし、配下に小さく指示を飛ばした。
「芸州組よ。騒がしい連中を黙らせろ。殺しても構わん……行けぇ」
「…………」
だが、芸州の忍びたちは誰一人として動かない。
「んん? 何をためらう? ふふふ……そうか、そういうことかぁ……ぐふふ、ひゃっはっはっは!」
藤林は背をかがめ、ねじれた身体を揺らしながら笑った。
「よかろう。おい、お前たち」
共に連れてきた伊賀の配下に、顎をしゃくって命じる。
「やめろお! はぁはぁ……領民には手を出すな、俺が相手だろ!」
息を荒くする俺を尻目に、藤林はじっとこちらを見据える。そして、口の端を歪めながら、低く囁くように言った。
「その前にのう……はっきりさせておきたいんじゃ……なあ道順?」
「道順じゃと!?」
六郎が思わず声を上げる。お紺も覆面の下で、わずかに目を見開いた。
藤林の連れてきた配下の中に、猫背の男がいる。そいつは無言のまま、一歩、また一歩と、土下座する忠次郎へ向かって歩み寄った。
「ふん……お前らの裏切りなど、とっくにお見通しよ。よくも俺の影武者を消してくれたなぁ。よくも仲間を殺してくれたなぁ……」
道順はゆっくりと刀を抜き、忠次郎の首筋へぴたりと添える。
「あわわわわわわ……」
「やめろおーーっ!」
「ふん。楽に死なせてやる」
その刃先が冷たい光を宿した瞬間、眩い閃光が道順の目を射抜いた。同時に飛来したクナイが右腕を正確に捉える。
「むっ……!?」
「そこまでだ!」
低く響く声が草原に轟く。
「ほう……ようやくのお出ましか。ククク……」
長門守が不気味に口角を吊り上げた。
ざわり、と草が鳴る。草原にそびえる大木の太い幹、その上からひとりの男が音もなく飛び降り、堂々と姿を現した。
その姿を見た道順が、血走った目で叫ぶ。
「やはり……服部半蔵かぁぁっ!」
半蔵が静かに手を上げると、芸州組の忍びたちが一斉に動く。長門守らを包囲するように間合いを詰め、低く構えて一触即発の態勢をとった。
俺は六郎に腕を引かれ、その背後へ下がる。入れ替わるように、十蔵が一歩前へ進み出ると、無言のまま鉄砲を構えた。
「……アンタ、本気で伝説を信じてるのか?」
「信じとるとも。儂も無敵になりたいからのぅ……ふふふ」
「これは俺の命を守るための念仏だ。教えるわけにはいかない」
「そうか……ならば仕方あるまい。せめて腕の一本、置いていってもらおうかのう」
藤林はねじれた背を揺らしながら、ぬるりと間合いを詰める。その気配は、まるで闇が迫るようにじっとりと重く、息苦しいほどだった。
俺は刀を握り直し、全神経を集中させる。
「ひょええええぇぇぇぇぇーーーっ!」
藤林長門守の渾身の一閃が、風を裂いて俺に迫る。
ザクンッ!
「ぐっ……!」
かわしたつもりが、鋭すぎる太刀筋を完全には見切れず、左肩を浅く斬られる。
「若ーっ!」
「下がってろ、六郎!」
「し、しかし……!」
「真田の忍びよ。これは一対一の勝負だ。主の命に逆らうな……ふふふ」
「くっ……!」
六郎は悔しげに一歩退いた。だが、次の瞬間──
ザクンッ!
「……ッ!」
今度は左脚を斬られ、鮮血が草を染める。片膝をつく俺を、藤林の濁った眼が舐めるように見下ろした。
このままでは──負ける。というか死ぬ……。
そう覚悟しかけた時だった。
「きゃあああっ! 大助さまーーっ!」
固唾を呑んで見守っていた領民の中から、お久の悲痛な叫びが響き渡る。涙を浮かべながら、無謀にも草原へ飛び出そうとするお久。それを忠次郎たちが慌てて押し止めた。
「お久、危ない! 下がってなさい!」
「嫌です、離してください! 大助さま、もうおやめくださいっ!」
お久の必死の叫びが、沈黙していた領民の胸を打った。そして、誰かが叫ぶ。
「これ以上やるなら、我ら富盛一門が助太刀いたす! 真田大助には、返しきれぬほどの恩があるんじゃあ!」
富盛辰太郎、辰二郎、辰三郎が、揃って前へ進み出る。
「ワイもやるぞ!」
「私も!」
「僕だって!」
忠吾郎や、道場の子供たちまでもが木刀を握りしめ、勇ましく構えを取っている。そんな暴走寸前の村人たちを、忠次郎が必死に押しとどめた。
「お前ら、やめんかあ! 勝手な真似は許さんぞ!」
そう怒鳴る声は震えていたが、それでも忠次郎は一人、草原の中央へと歩み出る。
足元はおぼつかず、膝は震え、それでも俺のため、村のために頭を地面に押し付けた。
「わ、私はこの村の庄屋、国宗忠次郎にございます。真田さまは、この村にとってなくてはならぬお方。どうか、どうか刀をお納めください! お願い申し上げます!」
「忠次郎……」
その必死の懇願に、領民たちが一斉に声を張り上げた。
「そうじゃ、そうじゃ! 帰れ、帰れー!」
草原を囲む領民はいつの間にか百人を超えていた。その数と声の迫力に、さしもの藤林も一瞬目を見開く。
やがて、ねじれた口元をぬるりと動かし、配下に小さく指示を飛ばした。
「芸州組よ。騒がしい連中を黙らせろ。殺しても構わん……行けぇ」
「…………」
だが、芸州の忍びたちは誰一人として動かない。
「んん? 何をためらう? ふふふ……そうか、そういうことかぁ……ぐふふ、ひゃっはっはっは!」
藤林は背をかがめ、ねじれた身体を揺らしながら笑った。
「よかろう。おい、お前たち」
共に連れてきた伊賀の配下に、顎をしゃくって命じる。
「やめろお! はぁはぁ……領民には手を出すな、俺が相手だろ!」
息を荒くする俺を尻目に、藤林はじっとこちらを見据える。そして、口の端を歪めながら、低く囁くように言った。
「その前にのう……はっきりさせておきたいんじゃ……なあ道順?」
「道順じゃと!?」
六郎が思わず声を上げる。お紺も覆面の下で、わずかに目を見開いた。
藤林の連れてきた配下の中に、猫背の男がいる。そいつは無言のまま、一歩、また一歩と、土下座する忠次郎へ向かって歩み寄った。
「ふん……お前らの裏切りなど、とっくにお見通しよ。よくも俺の影武者を消してくれたなぁ。よくも仲間を殺してくれたなぁ……」
道順はゆっくりと刀を抜き、忠次郎の首筋へぴたりと添える。
「あわわわわわわ……」
「やめろおーーっ!」
「ふん。楽に死なせてやる」
その刃先が冷たい光を宿した瞬間、眩い閃光が道順の目を射抜いた。同時に飛来したクナイが右腕を正確に捉える。
「むっ……!?」
「そこまでだ!」
低く響く声が草原に轟く。
「ほう……ようやくのお出ましか。ククク……」
長門守が不気味に口角を吊り上げた。
ざわり、と草が鳴る。草原にそびえる大木の太い幹、その上からひとりの男が音もなく飛び降り、堂々と姿を現した。
その姿を見た道順が、血走った目で叫ぶ。
「やはり……服部半蔵かぁぁっ!」
半蔵が静かに手を上げると、芸州組の忍びたちが一斉に動く。長門守らを包囲するように間合いを詰め、低く構えて一触即発の態勢をとった。
俺は六郎に腕を引かれ、その背後へ下がる。入れ替わるように、十蔵が一歩前へ進み出ると、無言のまま鉄砲を構えた。
0
あなたにおすすめの小説
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる