笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~

虹湖🌈

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笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、異国のパンで世界を繋ぎます! ~路地裏から広がる平和のレシピ~

第47話 力と知恵、そして分け合うテーブル

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 黄昏が、オアシス都市ザルバードを黄金色から深い紫へと染め上げていく。広場の中央には松明が焚かれ、揺らめく炎が人々の熱気と砂埃を幻想的に照らし出していた。その中心に置かれた頑丈な木製のテーブルを挟み、ルーカスとザヒドが屈強な腕を組み合っている。

「「「おおおおおっ!!」」」

 定住民も、商人たちも、今は敵味方の区別なく、ただ目の前の真剣勝負に声を張り上げていた。

 ルーカスの腕には王国騎士団で鍛え上げられた鋼の筋肉が、ザヒドの腕には砂漠の厳しい暮らしで培われた岩のような筋が浮き上がる。互いの力が拮抗し、テーブルが軋む音と、二人の荒い息遣いだけが広場に響いた。ザヒドの粘り強さは、乾いた大地に根を張る樹木のようだ。だが、ルーカスの力は、それを打ち砕く鉄砲水のごとき爆発力を秘めていた。

 一瞬の静寂の後、ルーカスが獣のような雄叫びを上げた。
「うおおおおっ!」
 勝負は決した。ザヒドの拳が、ゆっくりと、しかし確実にテーブルに沈められていく。

 決着がついた瞬間、ルーカスは勝利を誇示するのではなく、ザヒドの手を握ったまま力強く引き起こした。そして、汗に濡れた顔に、ニカッと歯を見せて笑った。
「……大したもんだ、あんた。王国騎士団の腕利きでも、ここまで粘る奴はそういなかったぜ」

 その言葉に、敗北を喫したザヒドの頑なな表情が、ほんの少しだけ和らいだ。それは力でねじ伏せられた者の顔ではなく、全力を尽くした末に、相手を認めた戦士の顔だった。

 夜。ザヒドの家に、一行は招かれていた。壁には色褪せたタペストリーが飾られ、床には幾何学模様の絨毯が敷かれている。ランプの灯りが、テーブルを囲む人々の硬い表情を照らし出していた。空気はまだ重く、定住民の長老たちと商人側の代表者は、互いに視線を合わせようともしない。出された飾り気のないハーブティーの湯気だけが、気まずい沈黙の中を揺れていた。

(私の番……。でも、何を言えばいい? またパンの話をしても、拒絶されるだけかもしれない……)
 フィオナの胸を、冷たい不安が締め付ける。

 その重い空気を破ったのは、マルセルの穏やかな声だった。
「本題に入る前に、皆さんにご紹介したい人物がいます」
 マルセルが合図すると、グレイグが腕を掴んだ一人の男を部屋の中央へと引きずり出した。門前での騒ぎの際、ことさらに定住民の怒りを煽っていた男だった。

「この男、アジズと言います。彼はザヒド殿にこう囁いていました。『王国商人はオアシスの貴重な水を独占し、我らを干上がらせる気だ』と。そして商人殿には、『定住民は王国人を奴隷のように見下している。奴らの伝統など踏み潰してしまえ』と。実に巧みに、双方の最も触れられたくない部分を刺激していました」
 マルセルは一呼吸置き、静かに続けた。
「両者の対立を煽ることで、一体、誰が得をするのか……。私はそれが不思議でした。アジズ、あなたの懐にあるものを、皆さんに見せていただけますか?」

 観念したアジズの懐から、マルセルが一つの紋章を取り出して見せる。黄金に輝く、天秤とフォークをあしらったその紋章を、フィオナは見知っていた。
「美食家同盟……!」

 部屋が、蜂の巣をつついたようにざわめき立った。ザヒドと商人の代表が、初めて互いの顔を見合わせる。自分たちの誇りをかけた怒りが、見えない誰かの掌の上で踊らされていたのだという、あまりに屈辱的な事実に気づき始めたのだ。

「どういうことか、洗いざらい吐いてもらおうか」
 ルーカスの地を這うような低い声に、アジズは崩れるようにその場にへたり込んだ。

 敵の存在が明らかになったことで、定住民と商人の間にあった氷の壁に、小さな亀裂が入った。その、わずかな隙間を、フィオナは見逃さなかった。彼女は静かに立ち上がった。

「……皆さんの話を、聞かせてください」
 その声は震えていなかった。
「あなた方が、命をかけて守りたい伝統の味を。そして、あなた方が、未来をかけてもたらしたい、新しい豊かさの味を」

 フィオナは、両者から食材を分けてもらうよう願い出た。ザヒドは、ためらいながらも、彼らの主食である固くて風味の強い赤粟の粉を。商人は、王国から運んできた甘い砂糖と、パンをふっくらと膨らませる魔法の粉、酵母を。

 ザヒドの家の、年季の入った石窯。フィオナはその前で、二つの文化を一つの鉢に合わせた。ザラザラとした手触りの伝統の粉に、生き物のようにかすかな音を立てる王国の酵母が混ざり合っていく。それは、決して交わらないと思われた二つの川が、一つの大きな流れへと合流していく瞬間のようだった。

 やがて、今まで誰も嗅いだことのない、素朴で、それでいてどこか華やかな香ばしい匂いが部屋に満ちていく。焼きあがったのは、不格好だが、力強い生命力に満ちた一つの大きなパンだった。

 フィオナはそのパンを自らの手でちぎり、まず、ザヒドと商人の代表の前に、そっと差し出した。

「私のパンだけでは、何も解決できませんでした。それは、この街に来てよく分かりました」
 彼女の瞳は、ランプの光を映して真っ直ぐに輝いていた。
「でも、皆さんがこうして一つのテーブルにつき、同じパンを分け合う……。そのための、最初のひとかけらには、なれるかもしれません」

 ザヒドと商人は、戸惑いながらも、その温かいパンのかけらを受け取った。そして、まるで示し合わせたかのように、ゆっくりと、それを口に運んだ。

 部屋にいる誰もが、息を止めてその瞬間を見守っていた。
 固い沈黙。
 そして――。
 ザヒドの眉間の深い皺が、かすかに、ほんのかすかに、緩んだ。
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