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笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、異国のパンで世界を繋ぎます! ~路地裏から広がる平和のレシピ~
第48話 分け合うパンと王子の影
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静寂。
ザヒドの家に集った誰もが、パンを口にした二人の指導者の表情を、息を詰めて見守っていた。やがて、ザヒドが低く、しかし驚きに満ちた声で呟いた。
「……これは……。俺たちの赤粟(あかあわ)の、土臭くも力強い味だ。だが……こんなにふわりと軽い食感は、生まれて初めてだ……」
向かいに座る商人ハキムも、目を丸くして自分の手の中にあるパンのかけらを見つめている。
「ああ……うちで扱っている王国の砂糖の甘みだが、ただ甘ったるいだけじゃない。この穀物の力強い風味を、むしろ引き立てている……。なんだ、これは……一体……」
二人が、まるで奇跡でも見たかのように顔を見合わせる。その視線が、ゆっくりとフィオナに向けられた。フィオナは静かに首を横に振る。
「それは、皆さんのパンです。ザヒド殿の伝統の粉と、ハキム殿の新しい酵母が出会って生まれた、この街の新しい味。私がしたのは、ほんの少しだけ、そのお手伝いをしただけです」
その言葉が合図だったかのように、他の長老や商人たちも、おずおずとパンに手を伸ばし始めた。そして、一口、また一口と味わううちに、部屋のあちこちから感嘆の声が漏れ始める。頑なだった人々の顔から、少しずつ険が取れていくのが分かった。
ザヒドは、捕らえられた密偵アジズの前に立つと、静かに問いかけた。
「美食家同盟とやらは、我らに何をさせようとしていたのだ。正直に話せ」
「……ザルバードを内部から混乱させ、王国との交易路を完全に支配下に置くのが目的でした……。王国への不信感を煽り続ければ、いずれ街は疲弊し、彼らの言いなりになるだろうと……」
「ふざけやがって……!」ハキムが怒りに拳を震わせた。「俺たちは、まんまとあのキザな野郎の掌の上で踊らされてたってわけか!」
ザヒドは、そのハキムに真っ直ぐ向き直った。
「……ハキム殿。どうやら我らの本当の敵は、互いではなかったようだ。この街の誇りを、得体の知れぬよそ者から守るためだ。一時休戦と行かないか」
「ああ、もちろんだ、ザヒド殿!」ハキムは差し出されたザヒドの大きな手を、力強く握り返した。「いや、こちらからお願いしたい。俺たちの新しいパンのためにもな!」
二人の手が固く結ばれた瞬間、部屋は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
その夜は、和解を祝うささやかな宴が、かつて人々を隔てていた広場で開かれた。定住民が持ち寄った素朴な焼き肉と、ハキムが振る舞う王国の葡萄酒が、同じテーブルに仲良く並んでいる。
その賑わいから少し離れた場所で、フィオナは仲間たちと砂漠の夜空を見上げていた。星々の瞬きが、まるで祝福の光のように降り注いでくる。
「やったね、フィオナ! 見て、みんな笑ってる!」
エリィがフィオナの腕に抱きつき、満面の笑みを浮かべた。
「……いいえ。私一人の力じゃ、何もできませんでした」
フィオナは静かに首を振る。
「パンを叩きつけられた時、本当に心が折れそうになったんです。ルーカスが体を張ってくれて、マルセルが真実を暴いてくれなければ、私はきっと……」
「何言ってやがる」
ルーカスが、大きな口に肉を放り込みながら、ぶっきらぼうに言った。
「お前があの……まあ、美味いパンを作らなかったら、ザヒドの石頭とハキムの欲深が、同じテーブルに着くことさえなかっただろうが。きっかけ作ったのは、間違いなくお前だろ」
「彼の言う通りだよ、フィオナ」
マルセルも、葡萄酒のグラスを片手に微笑む。
「僕は事実を提示しただけ、ルーカスは力を示しただけだ。それぞれが物理的な現象にすぎない。でも君のパンは、彼らの心という、目に見えないものに直接働きかけた。パズルのピースが、一つでも欠けていたら完成しなかった。そういうことさ」
仲間の言葉が、フィオナの心に温かく染み渡っていく。そうだ、一人ではなかった。これからも、一人じゃない。
その時、宴の輪をかき分けるようにして、豪華な装いの使者が一行の元へとやってきた。その男の纏う衣服と洗練された物腰は、彼が王宮の人間であることを示していた。
「お尋ねいたします。この中に、『砂塵をパンで鎮めた乙女』と呼ばれる方はおいででしょうか」
使者の言葉に、誰もが顔を見合わせる。
「我が主、ヴェストリア第二王子、カリム様が、その噂をお聞きになり、ぜひ一度お会いしたいと仰せです」
「王子様!?」
エリィが、瞳をキラキラさせて叫んだ。
「……王子だぁ? 何のようだ」
ルーカスは、途端に機嫌が悪くなったような顔で、骨付き肉を睨みつける。
マルセルが顎に手を当てた。
「カリム王子……なるほど。兄君である第一王子とは対照的に、民衆との対話を重んじる改革派として知られています。我々の活動に興味を持たれたとしても不思議ではないですね」
フィオナはただ、戸惑うばかりだった。
「わ、私が……王子様、と……?」
翌朝、一行はザルバードの街を立つことになった。王子との面会は、「今は旅の途中ゆえ」と丁重に、しかし今は先に進むことを選んだ。
門前には、あれほど険しい顔をしていたザヒドやハキム、そして多くの住民たちが集まっていた。罵声ではない、温かい感謝の言葉が一行に降り注ぐ。
「フィオナさん、ありがとう!」「道中、気をつけて!」「またあんたのパンが食いたいぜ!」
一人の少年が、フィオナに駆け寄ってきた。その手には、彼女のレシピを真似て作ったのだろう、少し焦げた、不格好な平焼きパンが握られていた。
「お姉ちゃん、これ! 俺たちのパン!」
フィオナはそれを受け取ると、今度こそ、心からの自然な微笑みで応えた。
ヴェストリアの広大な大地を、一行の馬車が進んでいく。
「あーあ、王子様とのご対面、お預けになっちゃったあ。きっと、物語に出てくるみたいに、キラキラした素敵な人だったんだろうなあ!」
エリィが名残惜しそうに溜め息をつく。
「フン、どうせ気に食わねえスカした野郎に決まってる。それより腹減ったぜ」
ルーカスは、子供にもらったパンを大きな口で頬張りながらそっぽを向いた。
和やかな空気の中、案内役のグレイグが、神妙な面持ちで口を開いた。
「皆さん、次の目的地は『雪原の都』、シウラです。この砂漠とは比べ物にならないほど、厳しい場所です。飢えと寒さが、人々の心からあらゆる温もりを奪い尽くしていると聞いております」
マルセルが、手元の資料に目を落とす。
「記録によれば、数年に一度の大寒波がシウラを直撃し、備蓄食料も尽きかけているとか。……ザルバード以上に、困難な状況が予想されますね」
馬車の窓の外を、赤茶けた大地がどこまでも流れていく。フィオナはそれを見つめながら、ザルバードの少年がくれたパンの温もりを、胸の中で確かめていた。
(どんなに寒い場所でも、焼きたてのパンがあれば……)
(きっと、温もりを届けられるはず)
新たな決意を胸に、一行は北へ、白く凍てついた世界へと向かうのだった。
ザヒドの家に集った誰もが、パンを口にした二人の指導者の表情を、息を詰めて見守っていた。やがて、ザヒドが低く、しかし驚きに満ちた声で呟いた。
「……これは……。俺たちの赤粟(あかあわ)の、土臭くも力強い味だ。だが……こんなにふわりと軽い食感は、生まれて初めてだ……」
向かいに座る商人ハキムも、目を丸くして自分の手の中にあるパンのかけらを見つめている。
「ああ……うちで扱っている王国の砂糖の甘みだが、ただ甘ったるいだけじゃない。この穀物の力強い風味を、むしろ引き立てている……。なんだ、これは……一体……」
二人が、まるで奇跡でも見たかのように顔を見合わせる。その視線が、ゆっくりとフィオナに向けられた。フィオナは静かに首を横に振る。
「それは、皆さんのパンです。ザヒド殿の伝統の粉と、ハキム殿の新しい酵母が出会って生まれた、この街の新しい味。私がしたのは、ほんの少しだけ、そのお手伝いをしただけです」
その言葉が合図だったかのように、他の長老や商人たちも、おずおずとパンに手を伸ばし始めた。そして、一口、また一口と味わううちに、部屋のあちこちから感嘆の声が漏れ始める。頑なだった人々の顔から、少しずつ険が取れていくのが分かった。
ザヒドは、捕らえられた密偵アジズの前に立つと、静かに問いかけた。
「美食家同盟とやらは、我らに何をさせようとしていたのだ。正直に話せ」
「……ザルバードを内部から混乱させ、王国との交易路を完全に支配下に置くのが目的でした……。王国への不信感を煽り続ければ、いずれ街は疲弊し、彼らの言いなりになるだろうと……」
「ふざけやがって……!」ハキムが怒りに拳を震わせた。「俺たちは、まんまとあのキザな野郎の掌の上で踊らされてたってわけか!」
ザヒドは、そのハキムに真っ直ぐ向き直った。
「……ハキム殿。どうやら我らの本当の敵は、互いではなかったようだ。この街の誇りを、得体の知れぬよそ者から守るためだ。一時休戦と行かないか」
「ああ、もちろんだ、ザヒド殿!」ハキムは差し出されたザヒドの大きな手を、力強く握り返した。「いや、こちらからお願いしたい。俺たちの新しいパンのためにもな!」
二人の手が固く結ばれた瞬間、部屋は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
その夜は、和解を祝うささやかな宴が、かつて人々を隔てていた広場で開かれた。定住民が持ち寄った素朴な焼き肉と、ハキムが振る舞う王国の葡萄酒が、同じテーブルに仲良く並んでいる。
その賑わいから少し離れた場所で、フィオナは仲間たちと砂漠の夜空を見上げていた。星々の瞬きが、まるで祝福の光のように降り注いでくる。
「やったね、フィオナ! 見て、みんな笑ってる!」
エリィがフィオナの腕に抱きつき、満面の笑みを浮かべた。
「……いいえ。私一人の力じゃ、何もできませんでした」
フィオナは静かに首を振る。
「パンを叩きつけられた時、本当に心が折れそうになったんです。ルーカスが体を張ってくれて、マルセルが真実を暴いてくれなければ、私はきっと……」
「何言ってやがる」
ルーカスが、大きな口に肉を放り込みながら、ぶっきらぼうに言った。
「お前があの……まあ、美味いパンを作らなかったら、ザヒドの石頭とハキムの欲深が、同じテーブルに着くことさえなかっただろうが。きっかけ作ったのは、間違いなくお前だろ」
「彼の言う通りだよ、フィオナ」
マルセルも、葡萄酒のグラスを片手に微笑む。
「僕は事実を提示しただけ、ルーカスは力を示しただけだ。それぞれが物理的な現象にすぎない。でも君のパンは、彼らの心という、目に見えないものに直接働きかけた。パズルのピースが、一つでも欠けていたら完成しなかった。そういうことさ」
仲間の言葉が、フィオナの心に温かく染み渡っていく。そうだ、一人ではなかった。これからも、一人じゃない。
その時、宴の輪をかき分けるようにして、豪華な装いの使者が一行の元へとやってきた。その男の纏う衣服と洗練された物腰は、彼が王宮の人間であることを示していた。
「お尋ねいたします。この中に、『砂塵をパンで鎮めた乙女』と呼ばれる方はおいででしょうか」
使者の言葉に、誰もが顔を見合わせる。
「我が主、ヴェストリア第二王子、カリム様が、その噂をお聞きになり、ぜひ一度お会いしたいと仰せです」
「王子様!?」
エリィが、瞳をキラキラさせて叫んだ。
「……王子だぁ? 何のようだ」
ルーカスは、途端に機嫌が悪くなったような顔で、骨付き肉を睨みつける。
マルセルが顎に手を当てた。
「カリム王子……なるほど。兄君である第一王子とは対照的に、民衆との対話を重んじる改革派として知られています。我々の活動に興味を持たれたとしても不思議ではないですね」
フィオナはただ、戸惑うばかりだった。
「わ、私が……王子様、と……?」
翌朝、一行はザルバードの街を立つことになった。王子との面会は、「今は旅の途中ゆえ」と丁重に、しかし今は先に進むことを選んだ。
門前には、あれほど険しい顔をしていたザヒドやハキム、そして多くの住民たちが集まっていた。罵声ではない、温かい感謝の言葉が一行に降り注ぐ。
「フィオナさん、ありがとう!」「道中、気をつけて!」「またあんたのパンが食いたいぜ!」
一人の少年が、フィオナに駆け寄ってきた。その手には、彼女のレシピを真似て作ったのだろう、少し焦げた、不格好な平焼きパンが握られていた。
「お姉ちゃん、これ! 俺たちのパン!」
フィオナはそれを受け取ると、今度こそ、心からの自然な微笑みで応えた。
ヴェストリアの広大な大地を、一行の馬車が進んでいく。
「あーあ、王子様とのご対面、お預けになっちゃったあ。きっと、物語に出てくるみたいに、キラキラした素敵な人だったんだろうなあ!」
エリィが名残惜しそうに溜め息をつく。
「フン、どうせ気に食わねえスカした野郎に決まってる。それより腹減ったぜ」
ルーカスは、子供にもらったパンを大きな口で頬張りながらそっぽを向いた。
和やかな空気の中、案内役のグレイグが、神妙な面持ちで口を開いた。
「皆さん、次の目的地は『雪原の都』、シウラです。この砂漠とは比べ物にならないほど、厳しい場所です。飢えと寒さが、人々の心からあらゆる温もりを奪い尽くしていると聞いております」
マルセルが、手元の資料に目を落とす。
「記録によれば、数年に一度の大寒波がシウラを直撃し、備蓄食料も尽きかけているとか。……ザルバード以上に、困難な状況が予想されますね」
馬車の窓の外を、赤茶けた大地がどこまでも流れていく。フィオナはそれを見つめながら、ザルバードの少年がくれたパンの温もりを、胸の中で確かめていた。
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