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笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、異国のパンで世界を繋ぎます! ~路地裏から広がる平和のレシピ~
第49話 凍える都と温もりの歌
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ザルバードの赤茶けた大地は、旅を続けるうちに、いつしか灰色がかった凍土へとその姿を変えていった。馬車の窓から見える景色から色彩が失われ、やがて地平線のすべてが真っ白な雪に覆われた時、一行は目的地である「雪原の都」シウラへと到着した。
「うわあ……本当に、全部が真っ白……。それに、すごく寒い……!」
エリィが吐いた息が、目の前で真っ白な結晶になる。石で造られたシウラの家々は、分厚い雪と氷に閉ざされ、まるで大きな墓石のように静まり返っていた。家々の煙突から立ち上る煙も、あまりに細く、か弱い。道を行き交う人々は皆、使い古した厚着で体を固め、俯きがちに足早に通り過ぎていく。街全体が、深い悲しみの中で凍り付いてしまったかのようだった。
「こりゃあ、ひでえな。生きている人間の匂いが、まるでしねえ」
ルーカスの呟きが、馬車の中の重い空気を代弁していた。
街の中心にあるはずの市場は、閑散としていた。わずかに開いている店先の棚には、凍ったカブか、干からびた肉が申し訳程度に並んでいるだけ。そのささやかな食料を巡って、人々が小さな、しかし刺々しい声で言い争っている。隅の方では、幼い子供たちが地面に積もった雪をかき分け、荷車からこぼれたかもしれない穀物の一粒を探していた。ザルバードで見た子供たちの笑顔は、ここにはどこにもなかった。
マルセルは早速、街の役場へと向かい、深刻な顔で戻ってきた。
「グレイグ殿の話の通りです。備蓄食料は、ほぼ底をついています。さらに悪いことに、街で一番大きかった第三食料庫が、数週間前に素性の知れぬ商人に、法外な高値で根こそぎ買い占められたそうです。その商人は、もちろん今はもう姿を消したと」
「買い占め? こんな、街が死にかけてる時にかよ。どう考えたってきな臭え」
ルーカスの言葉に、フィオナはあの傲慢な男――美食家同盟の支部長の顔を思い出していた。
その夜、一行がとった宿屋の一室は、暖炉に火がくべられていても、隙間風が容赦なく吹き込んできた。
「温かいものを……」
フィオナが、かじかむ手をこすり合わせながら言った。
「今、この街の人たちに必要なのは、ただお腹を満たすだけの食料じゃない。冷え切った心まで温めてくれる、熱い食事のはずです」
「シチューとか!? 熱々のシチュー、いいなあ!」
エリィが少しだけ元気な声を出した。
「はい」とフィオナは頷く。「パンそのものを器にした、熱々のシチューパンを作りましょう。チーズをたっぷり溶かして、体の芯から温まる香りの良いハーブを入れて。これなら、器まで残さず全部食べられますから」
翌日、一行はなけなしの銅貨をかき集め、食材の調達に走った。店主たちは誰もがぶっきらぼうで、よそ者への警戒心を隠そうともしない。だが、フィオナがパン職人だと分かると、一人の老婆が黙って、店で一番上等な乾燥ハーブを一掴み、袋に足してくれた。それは、この凍てついた街に残された、ほんの小さな良心のかけらのようだった。
街の中央広場。フィオナが大きな鉄鍋でシチューを煮込み、隣の簡易窯で丸いパンを焼き始めると、その温かくて優しい匂いが、凍てついた空気にゆっくりと広がっていった。
それは、希望の匂いだった。
匂いに誘われ、最初は遠巻きに見ていた人々が、一人、また一人と集まってくる。しかし、その目に宿っているのは好奇心ではない。飢えと、他人を信じられないという猜疑心にギラついた、獣のような光だった。
「できました! 皆さん、どうぞ!」
フィオナが声を張り上げた、その瞬間だった。
「待ってられるか!」
誰かの叫び声が引き金になった。人々が、獲物に群がる狼のように鍋へと殺到する。押し合い、へし合い、怒声が飛び交う。そして――ガシャン、という絶望的な音と共に、大きな鉄鍋が雪の上へとひっくり返った。
湯気の立つ黄金色のシチューと、ふっくらと焼きあがったパンが、汚れた雪の上に無残にぶちまけられる。
フィオナは、その光景に呆然と立ち尽くした。人々のために心を込めて作った温かい食事が、人々の醜い争いによって、一口も味わわれることなく失われてしまった。
(私のパンは……また……無力だった……)
彼女の心に、張り詰めていた糸がぷつりと切れる音がした。
だが、醜い奪い合いが雪の上で始まろうとした、その時だった。
エリィが、人垣を抜けて、輪の中心で震える一人の少女に駆け寄った。そして、何も言わずにその小さな体を、自分のマントで優しく包み込むように、ぎゅっと抱きしめたのだ。
そして、エリィは歌い始めた。
それは王国で誰もが知っている、春の訪れを待ちわびる子供の歌。
澄んだ、しかし力強い歌声が、雪が降るように静かに、けれど確かに広場に響き渡った。
争っていた人々が、はっとしたように動きを止める。そして、まるで忘れていた大切な何かを思い出すかのように、その歌声に耳を澄まし始めた。パンでも、金でもない。ただ、凍える一人の子供に寄り添い、温もりを分け与えようとするエリィの姿と歌声が、彼らの凍てついた心を直接揺さぶっていた。
フィオナは、涙で滲む目でエリィを見つめていた。
(そうか……私に足りなかったのは……これだったんだ……)
やがて歌い終えたエリィは、集まった人々に向かって、にっこりと微笑んだ。
「ごめんなさい、シチューはこぼれちゃったけど、まだ窯にパンはあります。みんなで、ちゃんと並んで、一つずつ分け合いましょう?」
魔法が解けたかのように、人々は静かにお互いを見渡し、誰からともなく列を作り始めた。
フィオナは、溢れる涙を手の甲でぐいと拭うと、残ったパンを手に取った。そして、列の先頭にいる、先ほどエリィが抱きしめた少女の前に、そっと膝をついた。
「……ごめんなさい。熱いシチュー、食べさせてあげられなくて」
少女にパンを手渡しながら、フィオナは自分でも気づかないうちに、ほんの少しだけ、ぎこちないながらも優しい笑みを浮かべていた。
少女は、その温かいパンを、小さな両手で大切そうに受け取った。
「うわあ……本当に、全部が真っ白……。それに、すごく寒い……!」
エリィが吐いた息が、目の前で真っ白な結晶になる。石で造られたシウラの家々は、分厚い雪と氷に閉ざされ、まるで大きな墓石のように静まり返っていた。家々の煙突から立ち上る煙も、あまりに細く、か弱い。道を行き交う人々は皆、使い古した厚着で体を固め、俯きがちに足早に通り過ぎていく。街全体が、深い悲しみの中で凍り付いてしまったかのようだった。
「こりゃあ、ひでえな。生きている人間の匂いが、まるでしねえ」
ルーカスの呟きが、馬車の中の重い空気を代弁していた。
街の中心にあるはずの市場は、閑散としていた。わずかに開いている店先の棚には、凍ったカブか、干からびた肉が申し訳程度に並んでいるだけ。そのささやかな食料を巡って、人々が小さな、しかし刺々しい声で言い争っている。隅の方では、幼い子供たちが地面に積もった雪をかき分け、荷車からこぼれたかもしれない穀物の一粒を探していた。ザルバードで見た子供たちの笑顔は、ここにはどこにもなかった。
マルセルは早速、街の役場へと向かい、深刻な顔で戻ってきた。
「グレイグ殿の話の通りです。備蓄食料は、ほぼ底をついています。さらに悪いことに、街で一番大きかった第三食料庫が、数週間前に素性の知れぬ商人に、法外な高値で根こそぎ買い占められたそうです。その商人は、もちろん今はもう姿を消したと」
「買い占め? こんな、街が死にかけてる時にかよ。どう考えたってきな臭え」
ルーカスの言葉に、フィオナはあの傲慢な男――美食家同盟の支部長の顔を思い出していた。
その夜、一行がとった宿屋の一室は、暖炉に火がくべられていても、隙間風が容赦なく吹き込んできた。
「温かいものを……」
フィオナが、かじかむ手をこすり合わせながら言った。
「今、この街の人たちに必要なのは、ただお腹を満たすだけの食料じゃない。冷え切った心まで温めてくれる、熱い食事のはずです」
「シチューとか!? 熱々のシチュー、いいなあ!」
エリィが少しだけ元気な声を出した。
「はい」とフィオナは頷く。「パンそのものを器にした、熱々のシチューパンを作りましょう。チーズをたっぷり溶かして、体の芯から温まる香りの良いハーブを入れて。これなら、器まで残さず全部食べられますから」
翌日、一行はなけなしの銅貨をかき集め、食材の調達に走った。店主たちは誰もがぶっきらぼうで、よそ者への警戒心を隠そうともしない。だが、フィオナがパン職人だと分かると、一人の老婆が黙って、店で一番上等な乾燥ハーブを一掴み、袋に足してくれた。それは、この凍てついた街に残された、ほんの小さな良心のかけらのようだった。
街の中央広場。フィオナが大きな鉄鍋でシチューを煮込み、隣の簡易窯で丸いパンを焼き始めると、その温かくて優しい匂いが、凍てついた空気にゆっくりと広がっていった。
それは、希望の匂いだった。
匂いに誘われ、最初は遠巻きに見ていた人々が、一人、また一人と集まってくる。しかし、その目に宿っているのは好奇心ではない。飢えと、他人を信じられないという猜疑心にギラついた、獣のような光だった。
「できました! 皆さん、どうぞ!」
フィオナが声を張り上げた、その瞬間だった。
「待ってられるか!」
誰かの叫び声が引き金になった。人々が、獲物に群がる狼のように鍋へと殺到する。押し合い、へし合い、怒声が飛び交う。そして――ガシャン、という絶望的な音と共に、大きな鉄鍋が雪の上へとひっくり返った。
湯気の立つ黄金色のシチューと、ふっくらと焼きあがったパンが、汚れた雪の上に無残にぶちまけられる。
フィオナは、その光景に呆然と立ち尽くした。人々のために心を込めて作った温かい食事が、人々の醜い争いによって、一口も味わわれることなく失われてしまった。
(私のパンは……また……無力だった……)
彼女の心に、張り詰めていた糸がぷつりと切れる音がした。
だが、醜い奪い合いが雪の上で始まろうとした、その時だった。
エリィが、人垣を抜けて、輪の中心で震える一人の少女に駆け寄った。そして、何も言わずにその小さな体を、自分のマントで優しく包み込むように、ぎゅっと抱きしめたのだ。
そして、エリィは歌い始めた。
それは王国で誰もが知っている、春の訪れを待ちわびる子供の歌。
澄んだ、しかし力強い歌声が、雪が降るように静かに、けれど確かに広場に響き渡った。
争っていた人々が、はっとしたように動きを止める。そして、まるで忘れていた大切な何かを思い出すかのように、その歌声に耳を澄まし始めた。パンでも、金でもない。ただ、凍える一人の子供に寄り添い、温もりを分け与えようとするエリィの姿と歌声が、彼らの凍てついた心を直接揺さぶっていた。
フィオナは、涙で滲む目でエリィを見つめていた。
(そうか……私に足りなかったのは……これだったんだ……)
やがて歌い終えたエリィは、集まった人々に向かって、にっこりと微笑んだ。
「ごめんなさい、シチューはこぼれちゃったけど、まだ窯にパンはあります。みんなで、ちゃんと並んで、一つずつ分け合いましょう?」
魔法が解けたかのように、人々は静かにお互いを見渡し、誰からともなく列を作り始めた。
フィオナは、溢れる涙を手の甲でぐいと拭うと、残ったパンを手に取った。そして、列の先頭にいる、先ほどエリィが抱きしめた少女の前に、そっと膝をついた。
「……ごめんなさい。熱いシチュー、食べさせてあげられなくて」
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少女は、その温かいパンを、小さな両手で大切そうに受け取った。
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