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笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、異国のパンで世界を繋ぎます! ~路地裏から広がる平和のレシピ~
第52話 一つの食卓と二つの真実
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翌朝のポルト・マーレは、いつにも増して活気に満ちていた。フィオナは夜明けと共に市場へ向かい、まっすぐに二人の男の元を訪れた。
まずは、網の手入れをするバルトロの前に立つ。
「バルトロさん。おはようございます。お願いがあります。あなたの獲った、この港で一番の魚介を、少しだけ私に分けていただけませんか?」
老漁師は、胡散臭そうな目でフィオナを一瞥した。
「フン、パン屋の嬢ちゃんか。俺の魚は、レオーネが売ってるような安物じゃねえぞ。一体、何に使うってんだ」
「はい」とフィオナは深く頭を下げた。「この街の未来のための、パンを焼きます」
次に、開店準備中のレオーネの店を訪れた。
「レオーネさん。あなたの誇るオイルサーディンを、一つ譲っていただけますか?」
レオーネは、値踏みするような視線をフィオナに向けた。
「ほう、お目が高い。光栄ですね。ですが、俺の商品は安くないですよ。まさか、あの頭の固い漁師たちに振る舞うなんて言わないでしょうね?」
「いいえ」フィオナは静かに答えた。「これもまた、この街の未来のための、パンです」
フィオナがそれぞれの誇りを譲り受け、厨房で格闘している間、仲間たちは説得のために動いていた。
ルーカスとエリィは、波止場で黙々と網を繕うバルトロに近づいた。
「よう、頑固ジジイ。いつまで意地張ってんだよ。ちっと俺たちに顔を貸せや」
ルーカスがわざと挑発するように言う。
「まさかとは思うが、パン屋の嬢ちゃんの誘いを断るほど、肝っ玉が小せえわけじゃねえだろうな?」
「なんだと、この口の利き方も知らん若造が!」
バルトロが怒鳴り返した、その時だった。
「バルトロさん……」
エリィが、心から悲しそうな顔で、彼の袖を引いた。
「奥さんたち、みんな泣いてましたよ。『主人の誇りは痛いほど分かるけど、このままじゃ子供たちに満足にご飯も食べさせてあげられない』って……。『ただ、家族みんなで笑って暮らしたいだけなのに』って……」
「……っ!」
家族という言葉に、バルトロはぐっと言葉を詰まらせ、険しい顔で海の彼方を睨みつけた。
一方、マルセルはレオーネの瀟洒な事務所の扉を叩いていた。
「レオーネさん、単刀直入に申し上げます。あなたの事業を裏で支えている、あの優秀なコンサルタント……彼の本当の素性をご存知ですか?」
「何が言いたいんです。彼は俺の才能を見抜いてくれた、恩人ですよ」
レオーネが不快そうに眉をひそめる。
「彼の金の流れを追ったところ、美食家同盟の口座に行き着きました。あなたは、ご自身の才覚でこの事業を成功させたと信じているでしょう。しかし、彼らにとっては、あなたはただ利用しやすい駒に過ぎないとしたら? あなたの成功は、本当にあなたのものですか?」
「……馬鹿なことを」
レオーネの声が、わずかに揺れる。
「馬鹿なことかどうか、ご自身の目で確かめに来てはいかがです? 今夜、港の広場で。真実が、焼きたてのパンと共にお待ちしていますよ」
マルセルはそう言い残し、彼の揺れるプライドに、静かな楔を打ち込んだ。
その夜。陽が落ちた港の広場に、ぽつんと一つのテーブルが置かれていた。遠くから聞こえる潮騒と酒場の陽気な音楽が、この場の重苦しい沈黙を一層際立たせる。
テーブルの両端に座ったバルトロとレオーネは、互いに腕を組み、憎々しげな顔で睨み合ったまま、一言も発しようとしない。
「……何の真似だ、レオーネ。てめえのような若造と飯なんぞ、喉を通るか」
「それはこちらのセリフですよ、バルトロさん。はっきり言って、時間の無駄だ。俺は忙しいんでね」
「まあまあ、そう殺気立つなよ。主役の登場だぜ」
ルーカスが、楽しそうに二人の間に割って入った。
その声に合わせるように、フィオナが大きな木製の皿に乗せた、湯気の立つパンを運んできた。
それは、今まで誰も見たことのないパンだった。
ふっくらと焼きあがったフォカッチャの上には、真っ赤なブイヤベースソースが惜しげもなく塗られ、その上に、銀色に輝くオイルサーディンが美しく並べられている。散りばめられた緑鮮やかなハーブと岩塩が、まるで豊かな海そのものを凝縮した絵画のようだった。香ばしい小麦の香りと、濃厚な魚介の匂いが、二人の男の鼻腔をくすぐる。
バルトロもレオーネも、思わず言葉を忘れ、そのパンに見入っていた。
フィオナは、パンをテーブルの中央に静かに置いた。
「このパンには、お二人の誇りが乗っています」
その声に、二人ははっと我に返る。
「バルトロさん、この赤いソースは、あなたが命懸けで獲った魚介で作った、伝統のブイヤベースを丁寧に煮詰めたものです。そしてレオーネさん、この輝くイワシは、あなたの未来を拓くオイルサーディンです」
フィオナは、二人の目を真っ直ぐに見つめた。
「伝統も、革新も、どちらもこのポルト・マーレの海を愛する心から生まれた、大切な宝物のはずです。争うのではなく、一つのパンの上でなら、手を取り合えるのではないかと、私は思いました」
その時、マルセルが静かに一歩前に出た。
「そして、その宝を丸ごと奪い去ろうとしている者たちがいます。レオーネさん、あなたに資金を提供した例のコンサルタントこそが、美食家同盟の手先です。彼らの真の目的は、あなた方漁師と商人たちを徹底的に対立させ、疲弊しきったこの港の利権を、根こそぎ乗っ取ることにあるのです」
「そうだぜ、バルトロのジジイ」とルーカスが続く。「あんたの仲間の漁師も言ってたぜ。『最近のレオーネは、どこの馬の骨とも知れねえ胡散臭い奴にそそのかされてる』ってな!」
突きつけられた真実に、レオーネの顔から自信の色が急速に消えていく。
「……なんだと……? 俺は……俺の成功は、ただ利用されていただけだとでも言うのか……?」
バルトロも、驚きに目を見開いたまま、レオーネとパンを交互に見ていた。
「……どういうことだ……。俺たちの喧嘩は、全部……」
自分たちの誇りが乗せられたパン。
そして、自分たちの対立が、仕組まれたものであったという、あまりに衝撃的な事実。
二人の視線が、目の前のパンの上で交錯する。
フィオナは、そのパンを指し示した。
「さあ、どうぞ。冷めないうちに。これが、この街の本当の味です」
バルトロとレオーネが、まるで引き寄せられるかのように、ためらいがちにパンへと手を伸ばそうとする。その指先が、パンに触れるか触れないかという、張り詰めた静寂の中で、港に長い汽笛が鳴り響いた。
まずは、網の手入れをするバルトロの前に立つ。
「バルトロさん。おはようございます。お願いがあります。あなたの獲った、この港で一番の魚介を、少しだけ私に分けていただけませんか?」
老漁師は、胡散臭そうな目でフィオナを一瞥した。
「フン、パン屋の嬢ちゃんか。俺の魚は、レオーネが売ってるような安物じゃねえぞ。一体、何に使うってんだ」
「はい」とフィオナは深く頭を下げた。「この街の未来のための、パンを焼きます」
次に、開店準備中のレオーネの店を訪れた。
「レオーネさん。あなたの誇るオイルサーディンを、一つ譲っていただけますか?」
レオーネは、値踏みするような視線をフィオナに向けた。
「ほう、お目が高い。光栄ですね。ですが、俺の商品は安くないですよ。まさか、あの頭の固い漁師たちに振る舞うなんて言わないでしょうね?」
「いいえ」フィオナは静かに答えた。「これもまた、この街の未来のための、パンです」
フィオナがそれぞれの誇りを譲り受け、厨房で格闘している間、仲間たちは説得のために動いていた。
ルーカスとエリィは、波止場で黙々と網を繕うバルトロに近づいた。
「よう、頑固ジジイ。いつまで意地張ってんだよ。ちっと俺たちに顔を貸せや」
ルーカスがわざと挑発するように言う。
「まさかとは思うが、パン屋の嬢ちゃんの誘いを断るほど、肝っ玉が小せえわけじゃねえだろうな?」
「なんだと、この口の利き方も知らん若造が!」
バルトロが怒鳴り返した、その時だった。
「バルトロさん……」
エリィが、心から悲しそうな顔で、彼の袖を引いた。
「奥さんたち、みんな泣いてましたよ。『主人の誇りは痛いほど分かるけど、このままじゃ子供たちに満足にご飯も食べさせてあげられない』って……。『ただ、家族みんなで笑って暮らしたいだけなのに』って……」
「……っ!」
家族という言葉に、バルトロはぐっと言葉を詰まらせ、険しい顔で海の彼方を睨みつけた。
一方、マルセルはレオーネの瀟洒な事務所の扉を叩いていた。
「レオーネさん、単刀直入に申し上げます。あなたの事業を裏で支えている、あの優秀なコンサルタント……彼の本当の素性をご存知ですか?」
「何が言いたいんです。彼は俺の才能を見抜いてくれた、恩人ですよ」
レオーネが不快そうに眉をひそめる。
「彼の金の流れを追ったところ、美食家同盟の口座に行き着きました。あなたは、ご自身の才覚でこの事業を成功させたと信じているでしょう。しかし、彼らにとっては、あなたはただ利用しやすい駒に過ぎないとしたら? あなたの成功は、本当にあなたのものですか?」
「……馬鹿なことを」
レオーネの声が、わずかに揺れる。
「馬鹿なことかどうか、ご自身の目で確かめに来てはいかがです? 今夜、港の広場で。真実が、焼きたてのパンと共にお待ちしていますよ」
マルセルはそう言い残し、彼の揺れるプライドに、静かな楔を打ち込んだ。
その夜。陽が落ちた港の広場に、ぽつんと一つのテーブルが置かれていた。遠くから聞こえる潮騒と酒場の陽気な音楽が、この場の重苦しい沈黙を一層際立たせる。
テーブルの両端に座ったバルトロとレオーネは、互いに腕を組み、憎々しげな顔で睨み合ったまま、一言も発しようとしない。
「……何の真似だ、レオーネ。てめえのような若造と飯なんぞ、喉を通るか」
「それはこちらのセリフですよ、バルトロさん。はっきり言って、時間の無駄だ。俺は忙しいんでね」
「まあまあ、そう殺気立つなよ。主役の登場だぜ」
ルーカスが、楽しそうに二人の間に割って入った。
その声に合わせるように、フィオナが大きな木製の皿に乗せた、湯気の立つパンを運んできた。
それは、今まで誰も見たことのないパンだった。
ふっくらと焼きあがったフォカッチャの上には、真っ赤なブイヤベースソースが惜しげもなく塗られ、その上に、銀色に輝くオイルサーディンが美しく並べられている。散りばめられた緑鮮やかなハーブと岩塩が、まるで豊かな海そのものを凝縮した絵画のようだった。香ばしい小麦の香りと、濃厚な魚介の匂いが、二人の男の鼻腔をくすぐる。
バルトロもレオーネも、思わず言葉を忘れ、そのパンに見入っていた。
フィオナは、パンをテーブルの中央に静かに置いた。
「このパンには、お二人の誇りが乗っています」
その声に、二人ははっと我に返る。
「バルトロさん、この赤いソースは、あなたが命懸けで獲った魚介で作った、伝統のブイヤベースを丁寧に煮詰めたものです。そしてレオーネさん、この輝くイワシは、あなたの未来を拓くオイルサーディンです」
フィオナは、二人の目を真っ直ぐに見つめた。
「伝統も、革新も、どちらもこのポルト・マーレの海を愛する心から生まれた、大切な宝物のはずです。争うのではなく、一つのパンの上でなら、手を取り合えるのではないかと、私は思いました」
その時、マルセルが静かに一歩前に出た。
「そして、その宝を丸ごと奪い去ろうとしている者たちがいます。レオーネさん、あなたに資金を提供した例のコンサルタントこそが、美食家同盟の手先です。彼らの真の目的は、あなた方漁師と商人たちを徹底的に対立させ、疲弊しきったこの港の利権を、根こそぎ乗っ取ることにあるのです」
「そうだぜ、バルトロのジジイ」とルーカスが続く。「あんたの仲間の漁師も言ってたぜ。『最近のレオーネは、どこの馬の骨とも知れねえ胡散臭い奴にそそのかされてる』ってな!」
突きつけられた真実に、レオーネの顔から自信の色が急速に消えていく。
「……なんだと……? 俺は……俺の成功は、ただ利用されていただけだとでも言うのか……?」
バルトロも、驚きに目を見開いたまま、レオーネとパンを交互に見ていた。
「……どういうことだ……。俺たちの喧嘩は、全部……」
自分たちの誇りが乗せられたパン。
そして、自分たちの対立が、仕組まれたものであったという、あまりに衝撃的な事実。
二人の視線が、目の前のパンの上で交錯する。
フィオナは、そのパンを指し示した。
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