笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~

虹湖🌈

文字の大きさ
96 / 96
陽だまりのアトリエと、小さな麦の穂 〜守り神と育む、家族のレシピ〜

第96話 マルセルの歴史と、陽だまりの永遠のレシピ

しおりを挟む
 王宮での激しい戦いを終えて数週間、フィオナ・フォン・シルフィードの周りの世界は、ゆっくりと、しかし確実に、平和で温かい日常へと戻っていた。
 爵位や褒賞を辞退し、彼女が選んだ場所、路地裏の「アトリエ・フィオナ」こそが、「全ての道が帰ってくる、俺たちの永遠の居場所だ」というルーカスの言葉を体現していた。

 その頃、フィオナの最高の軍師兼執事であったマルセル・リヒトは、王立図書館の特別研究員としての新しい職場で、自らの使命を全うしようとしていた。

 彼が向き合っていたのは、豪華な王室の書物ではない。
 彼が書き上げた、分厚い革表紙の記録、「路地裏に生まれた生命の記録」の最終章だった。

 マルセルは、静かにペンを走らせた。
 その内容は、ホズネの生態とアルトの能力の検証、美食家同盟やアカデミーとの衝突の経緯、そして、フィオナのパンが人々の「最も温かい記憶」を呼び起こす非科学的な力についての考察だった。

「フィオナ師匠のパンが証明したのは、食とは『管理する資源』ではなく、『分け合い、慈しむことで力を発揮するもの』という、人類の根源的な真実である」。

 彼は、かつてグレイ・ベルモンド氏が狂気の果てに信奉した「管理された秩序(科学)」が、フィオナの「分け合う温もり(愛)」によって、いかに脆く崩壊したかを、学術的な言葉で冷静に記録した。
 そして、その温もりこそが、グレイ氏の研究(生命を救う方法)に不可欠な「最後の、そして最も尊い要素」であったと結論づけた。

 マルセルは静かに眼鏡を外し、王都の空を見上げた。
 彼の人生の知恵と知識は、これまでお嬢様とアルトの「情報収集と戦略立案」のために使われてきたが、これからは「パンと人々の絆の歴史」を未来へと繋ぐ「学術的貢献」のために尽くされる。

「私の最高の主人と家族は、あの陽だまりにいる。この記録をもって、私の執事稼業は、静かに、しかし誇りをもって終焉を迎える」

 彼は静かに筆を置いた。
 彼の知性は、「永遠の居場所」を守るという、最も温かい目的のために、これからも活動を続けるだろう。

 ---

 その日の夜明け前。「アトリエ・フィオナ」の厨房は、いつものように温かい光に包まれていた。

 フィオナは、全ての旅の経験、師匠レオンの「力で支配せず、寄り添って育む」という叡智、そして家族の愛を込めた、彼女にとっての「永遠のレシピ」となるパンの仕上げに取り掛かっていた。
 その生地は、アルトの無意識の活性化能力とホズネの「陽光の酵母」の穏やかな光に包まれ、静かに、そして力強く膨らんでいる。

「師匠から『もう教わることは何もない』と合格をいただいたのだから、私が焼くパンは、この陽だまりの全てを映すものでなければなりませんわ」

 彼女は窯の前に立つと、穏やかな笑みを浮かべた。
 その笑顔は、かつて王宮の「きらびやかなシャンデリアの光」が奪い去ろうとした、彼女自身の魂の輝きだった。

 ルーカスは、裏口で最後の仕上げをしていた。
 彼の目の前には、上質な樫の木でできた、大きく、立派なホズネの新しい寝床(家)が完成していた。
 いつかフィオナが囁いた「いつか、この家に、家族が、増えるかもしれないでしょう?」という未来への希望に応えるための、不器用で、しかし誰よりも深い愛の証だった。

 その時、窯から「永遠の陽だまりブレッド」が取り出された。
 それは素朴で不格好ながらも、生命力に満ちた、温かい黄金色の光を放っている。
 その香りは、路地裏全体を、まるで春の太陽が昇ったかのように包み込んだ。

 フィオナはそのパンを手に取り、ルーカスの傍へ向かった。

「ルーカス」

 彼女は、小麦粉で汚れた頬を赤らめながら、ルーカスの分厚く節くれだった手に、自らの柔らかな手を重ねた。

「私、あなたの作ってくださったこの家(寝床)を、本当に嬉しく思っています。
 私の『新しいレシピ』は、技術や知識ではなく、愛する家族と共に歩む永遠の日常だということが、ようやく分かりました」

 ルーカスは、顔を真っ赤にしながらも、フィオナの瞳をまっすぐ見つめた。

「あの……この家が、もう少しだけ大きくなっても……貴方は、ずっと、一緒に待っていてくれますか?」

 トン、と。

 ルーカスの金槌は、もう動かない。
 彼は、フィオナの頭を、乱暴に、しかし優しく、ガシガシと撫でた。

「……てめえは、本当に、俺様を困らせる天才だな」

 その声には、もう照れや戸惑いはない。
 そこにあるのは、「路地裏の小さなパン屋の主人」であるフィオナへの、揺るぎない「守護者の誓い」だけだった。

 フィオナは、ルーカスと、愛する息子アルト、そして温かい光を放つホズネと共に、この「永遠の陽だまりブレッド」を分け合った。

 パンの香りは王都中の人々へと広がり、彼らの日常を温かく照らし出す。
 彼女は、世界を救った伝説よりも、日々の小さなパン屋の主人である自身の居場所を深く愛していることを、静かに感じていた。

 そして、その光景を、一番暖かい陽だまりの指定席で、小さな麦畑の守り神ホズネが、幸せそうに静かに見守っていた。

 フィオナの物語は、ここから「終わり」を迎えるのではない。
 この焼きたてのパンの香りに満ちた、新しい毎日こそが、彼女の「永遠のレシピ」の、本当の幸せな始まりだったのだ。

(了)
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄された辺境伯爵令嬢、氷の皇帝に溺愛されて最強皇后になりました

きゅちゃん
ファンタジー
美貌と知性を兼ね備えた辺境伯爵令嬢エリアナは、王太子アレクサンダーとの婚約を誇りに思っていた。しかし現れた美しい聖女セレスティアに全てを奪われ、濡れ衣を着せられて婚約破棄。故郷に追放されてしまう。 そんな時、隣国の帝国が侵攻を開始。父の急死により戦場に立ったエリアナは、たった一人で帝国軍に立ち向かうことにー 辺境の令嬢がどん底から這い上がる、最強の復讐劇が今始まる!

私を追放した王子が滅びるまで、優雅にお茶を楽しみますわ

タマ マコト
ファンタジー
王国の茶会の場で、マリアンヌは婚約者である王子アレクシスから突然の婚約破棄を告げられる。 理由は「民に冷たい」という嘘。 新しい聖女リリアの策略により、マリアンヌは「偽りの聖女」として追放される。 だがマリアンヌは涙を見せず、静かに礼をしてその場を去る。 辺境の地で彼女は小さな館を構え、「静寂の館」と名づけ、紅茶と共に穏やかな日々を過ごし始める。 しかし同時に、王都では奇跡が失われ、作物が枯れ始めていた――。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます

なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。 過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。 魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。 そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。 これはシナリオなのかバグなのか? その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。 【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

【完結】勇者に折られた魔王のツノは、幼児の庇護者になりました

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
ファンタジー
旧タイトル:膨大な魔力と知識ありのチートだけど、転生先がツノはないよね? 異世界転生、胸躍らせる夢の展開のはず。しかし目の前で繰り広げられる勇者vs魔王の激戦に、僕は飽きていた。だって王の頭上で、魔力を供給するだけのツノが僕だ。魔王が強いからツノがあるのではなく、ツノである僕がいるから彼が最強だった。 ずっと動けない。声は誰にも聞こえない。膨大な魔力も知識チートも披露できぬまま、魔王の頭上で朽ちるのか。諦めかけていた。 勇者の聖剣が僕を折るまでは……!  動けなかったツノは、折れたことで新たな仲間と出会う。チート無双はできないが、ツノなりに幸せを掴めるのか!? いつか自力で動ける日を夢見て、僕は彼と手を組んだ。 ※基本ほのぼの、時々残酷表現あり(予告なし) 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2021/11/17 完結

婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします

タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。 悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。

処理中です...