「平民とでも結婚すれば?」と捨てられた令嬢、隣国の王太子に溺愛されてますが?

ゆっこ

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「――彼を返して?」

 手紙を閉じたセレナは、微かに笑った。

 まるで、滑稽な冗談でも聞かされたかのように。

「この方……一体、何を考えているのかしら」

 捨てられたのは私。そして、彼を選んだのは彼女自身。

 それなのに今になって「返して」だなんて。いったい、彼女にとってリカルド殿下とは、どんな存在なのだろう。

 選ぶ自由もあれば、手放す責任もある。

 それを受け止めることができないのなら――最初から関わらなければよかったのに。

「レナ、これも暖炉にくべておいてくださる?」

「……はい、セレナ様」

 もう心は、まったく揺れなかった。

 私は――今の生活を、今の人を、失いたくないと思っていたから。



「それにしても、最近ずいぶんと吹っ切れた顔をしているね、セレナ」

 午後のティータイム。レオンハルト殿下と一緒に中庭で紅茶を楽しみながら、彼は私の表情をじっと見つめてそう言った。

「そう見えますか?」

「うん。以前よりもずっと、肩の力が抜けて……柔らかい笑顔になってる。嬉しいよ」

 紅茶を口に運びながら、照れ隠しに目をそらす。

「……この国に来て、ようやく“普通”を知っただけですわ」

「普通?」

「はい。人から優しくされること、認められること……そういう当たり前を、前の国では知らなかったので」

「……そんな世界に、君を閉じ込めていたのか。許せないな」

 レオンハルト殿下の声が低くなる。

 怒っているわけではない。でも、胸の奥から湧き上がる感情がその言葉に滲んでいた。

「君のような女性が、“優しくされる”ことすら知らなかったなんて……本当に悔しい」

 私は、ふっと笑った。

「でも、今は知ってます。誰かと過ごす時間が、こんなにも温かいってことを」

「……僕と?」

「はい。レオンハルト殿下のおかげで」

 彼の瞳が、驚きと喜びに揺れる。

 そして次の瞬間、彼はそっと私の手を取った。

「セレナ。君はまだ『婚約』という言葉に戸惑っているかもしれない。でも、僕は――君と未来を過ごしたいと、本気で思ってる」

 真摯な声。

 温かい手のひら。

 ドクン、と心臓が鳴った。

「私も……もっと、殿下のことを知っていきたいと思っています」

 その言葉に、彼の顔がゆるやかにほころんだ。

「……嬉しいな」

 頬を染めて笑うその姿に、また胸が熱くなる。

(この人の隣にいたい……)

 そう、心から思った。






 それから数日後。

 王宮で開催される舞踏会に、セレナは特別招待客として招かれた。

 レオンハルト殿下が「ぜひセレナに紹介したい」と希望したためである。

「わ、私が……このような大舞踏会に?」

「当然だよ。君はこの国の大切な賓客であり、僕が想いを寄せる女性だ。堂々とその場に立ってほしい」

 そう言って彼が選んでくれたドレスは、深いブルーのシルクに銀の刺繍があしらわれた一着だった。

「これは……まさか、私のために?」

「もちろん。君の瞳と髪を引き立てる色を選んだんだ。……着てくれる?」

 視線を逸らして微笑むその表情に、思わず胸がきゅっとなる。

「……はい。ありがとうございます、殿下」

 そして舞踏会の当日。

 ドレスを身にまとったセレナが舞踏会の会場に現れると、場の空気が一瞬止まったように静まった。

「――あれが……」

「噂の、ヴァルディア王太子殿下が心を寄せる令嬢か」

「確かに……ただ美しいだけではない。気品がある」

 さまざまな視線が注がれる中、セレナのもとにレオンハルト殿下が歩み寄った。

 彼は躊躇なく、手を差し出す。

「踊ってくれるかい?」

「……喜んで」

 二人が手を取り合い、フロアの中央へと歩み出る。

 舞踏が始まると、優雅な旋律とともに二人の息は驚くほどぴたりと合っていた。

 くるりと一回転して、目が合った瞬間。

 レオンハルト殿下は微笑んだまま、そっと口を開いた。

「……ねえ、セレナ」

「はい?」

「……今夜、キスをしてもいい?」

 唐突な言葉に、息が止まる。

 頬が熱を帯び、心臓が喉元まで跳ね上がる。

「……あの、ここで……ですか?」

「だめかな?」

「……誰かに見られてしまいますわ」

 そう言うと、彼はおどけたように首をかしげた。

「じゃあ、終わったら中庭で。君が嫌じゃなければ、だけど」

「…………」

 俯いて、そっと頷いた。





 舞踏会が終わった後。

 月の光が注ぐ静かな中庭で、二人は並んで腰をかけていた。

 夜風はやや冷たかったが、肩に羽織らされた上着の温もりが心地よい。

「今日は、ありがとう。君が隣にいてくれて嬉しかった」

「私の方こそ、こんな素敵な場に招いていただいて……」

「いや、それじゃあ足りない」

「……?」

 彼は真剣な顔でセレナの手を取った。

「本当に、ありがとう。僕に、また恋をさせてくれて」

 その一言が、心の奥深くまで染み渡った。

 そして――

 そっと顔を近づけられる。

 目を閉じると、やさしい唇の感触が頬に触れた。

 それはたった数秒のことだったけれど、まるで永遠のように感じられた。

「セレナ、君を、もっと知っていきたい。もっと君のことを大切にしていきたいんだ」

「……はい」

 静かに、でもしっかりと答える。

(私は、もう“誰かに捨てられた令嬢”じゃない)

(私は、今――“誰かに大切にされている女性”なんだ)

 夜の庭に、夏の星が瞬いていた。





 だがその幸せな時間の影で。

 ある者たちが、嫉妬と未練に焼かれていた。

「彼女が……このままヴァルディアの王妃になるというのか」

 焦燥に満ちた声。

 それはリカルドだった。

 届かぬ場所に行ってしまったセレナの背を見つめ、彼は――

(俺にはもう……彼女の隣に立つ資格が、ないのか)

 手の中で砕けたガラス細工のように、後悔と執着が散らばっていた。

 そして――

「私が、彼女の座を奪ったのよ? どうして彼女ばかり……!」

 アリシア・ローレンスの目にも、狂気の光が宿り始めていた。

 セレナの知らぬところで、彼女の幸せは静かに嫉妬に包囲されていく。

 けれど、セレナはもう振り返らない。

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