冷徹王子に捨てられた令嬢、今ではその兄王に溺愛されています

ゆっこ

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 王弟レオン殿下の来訪から数日後、王都には妙な噂が流れはじめた。
 ――「元婚約者の令嬢が、国王の寵愛を受けているらしい」と。

 噂は瞬く間に広がり、王城の侍女たちの間でも囁かれた。
 廊下を歩けば視線を感じる。けれど、私はそれに怯むことなく、いつも通り陛下の執務室へと向かう。

「クラリス。顔色が良くないな。無理をしているのではないか?」

 机の向こうから、心配そうに見つめる金の瞳。
 その優しさに、張り詰めていた心が少し緩んだ。

「噂のせいでしょうか。少々、皆さまの視線が……」

「気にするな。言葉など風と同じだ。だが――もし誰かが直接お前を傷つけるようなことがあれば、私は許さない」

 その言い方はあまりに穏やかで、それでいて決して冗談ではなかった。
 彼が本気でそう言っているのがわかる。
 その事実だけで、胸が熱くなる。

「ありがとうございます。ですが、陛下にご迷惑を……」

「迷惑ではない。私はお前を守りたい。それだけだ」

 真剣な眼差しに、言葉が詰まった。
 その視線を受け止めるたび、私はもう“王”としてではなく、“ひとりの男性”として彼を見てしまう。



 その夜、宮廷では大臣たちを集めた晩餐会が開かれた。
 国王自らが臨席する場で、貴族たちが競うように献上品を持参する。
 私も補佐官として陛下の隣に控え、進行を支える立場だった。

 煌びやかなシャンデリアの光の下、ふと視線を感じて顔を上げると――
 レオン殿下がこちらを見ていた。
 あの冷たい瞳の奥に、なにか歪んだ笑みを浮かべながら。

「兄上、今宵も美しいお方を隣に侍らせておいでで」

「無駄口は控えろ、レオン」

 アルトリウス陛下の声がわずかに低くなる。
 その緊張感に、周囲の空気が張り詰めた。
 けれどレオンは怯まず、さらに一歩踏み込んだ。

「兄上も人の男ですね。……“彼女”の唇を手に入れるのは、どんな気分です?」

 その瞬間、空気が凍りついた。
 私の頬が一瞬で赤く染まり、陛下の瞳が鋭く光る。

「――衛兵。王弟を退室させろ」

「ま、待て兄上! 冗談だ!」

 もみ合いの中、レオンが叫ぶ。
 だが陛下の表情は冷たいまま、決して感情を乱さない。
 それが、逆に恐ろしいほどの威厳を放っていた。

「クラリス。……気にするな」

「陛下……」

「奴は嫉妬しているだけだ。自ら手放したものが、誰かの宝になることを受け入れられぬだけ」

 その言葉は、まるで私の心の奥を見透かすようで――
 その夜、陛下の胸の中に抱かれる夢を見た。
 現実ではないのに、あまりにも甘く、切なく、目が覚めたあともしばらく鼓動が止まらなかった。



「……王弟レオン殿下が、密かに他国の使者と接触しているとの報告がありました」

 翌日、宰相の報告に、陛下は眉をひそめた。
 私は書類を整理しながら、心の奥がざわつくのを感じる。
 ――彼が、何かを仕掛けている。

「クラリス。お前の視点で見て、この件をどう思う?」

「……陛下に敵対する者が、殿下を利用しているように思われます。ですが……」

「だが?」

「殿下自身も、わざとその誘いに乗っているのではないかと」

 私の答えに、陛下の瞳がわずかに細められた。
 次の瞬間、彼は微かに笑う。

「やはり、お前の洞察は鋭いな。……いずれこの件、真実を暴くとしよう。お前には、私の傍でその証人となってほしい」

「……はい、陛下」

 “傍で”というその言葉に、胸が高鳴る。
 彼の隣で――それだけで、世界が少し優しく見える。



 夜更け。
 執務を終えた私は、陛下に呼ばれて彼の私室を訪れていた。
 豪奢すぎる扉の向こうで、彼は椅子に座り、書類に目を通している。
 金の髪に灯りが反射し、横顔が眩しく見えた。

「クラリス。今夜はもう遅い。休めばよいものを」

「陛下がご無理をなさるからです。私も、お手伝いしたくて」

 ふっと笑みが漏れる。
 彼の唇がわずかに上がり、そのまま立ち上がった。

「……お前がそう言うと、私の疲れなどすぐに消える気がする」

 そう言いながら、彼はそっと私の髪に手を伸ばした。
 指先が髪を撫で、肩へと滑る。
 その動きひとつで、全身が熱を帯びていく。

「クラリス、私は王でありながら、ひとりの男でもある。……それでも、恐れずに私を見られるか?」

「恐れてなど……いません」

 震える声で返す。
 けれど、視線を上げた先で出会った彼の瞳があまりにも優しく、心臓が跳ねた。

 次の瞬間、彼の指が私の顎を掬い、唇が触れそうな距離まで――

「……陛下」

「言葉はいらぬ」

 囁きとともに、唇がそっと重なった。
 それは短く、けれど深く。
 触れるだけの口づけなのに、胸の奥が甘く痺れた。

 ――これ以上は、いけない。
 理性が叫ぶのに、心がそれを拒む。

「……ごめんなさい、陛下。私は……」

「謝るな。私はお前に、何も強要しない。だが、これだけは知っておけ――お前が誰を愛しても、私はお前を手放さない」

 その言葉が、胸に焼き付いた。
 まるで呪いのように、甘く、美しい鎖として。



 翌朝。
 宮廷では新たな報告が上がっていた。

「東の国境付近で、反乱の動きが確認されました。……背後に、王弟派の影があるようです」

 会議室の空気が一気に重くなる。
 宰相たちが慌ただしく意見を交わす中、陛下は静かに私を見る。

「クラリス。この件を、お前と共に調査したい」

「陛下が、直々に?」

「ああ。表立ってではない。……一国の王としてではなく、一人の“男”として、真実を掴みたいのだ」

 その瞳に宿る決意に、私は息を呑んだ。
 陛下が“王として”ではなく“男として”と言った意味が、胸に深く刺さる。

 ――この人は、本当に私を想ってくれている。
 そう確信した瞬間、どうしようもなく涙がこぼれそうになった。

「わかりました。どこまでも、お供いたします」

 その言葉に、陛下の口元が柔らかく緩む。
 そして、誰にも見られないようにそっと私の指を取った。

「ありがとう、クラリス。……お前がいる限り、私は何も恐れない」

 その指先の温もりを感じながら、私は思う。
 この手を離したら、もう二度と戻れない。
 けれど――離すつもりなんて、もう最初からなかった。



 その夜、私はひとり部屋で、静かに窓の外を見つめていた。
 星々が瞬く夜空の下、遠く王都の塔が光を放っている。
 けれどその光の裏で、確かに闇が蠢いているのを感じる。

 ――レオン殿下。あなたは、いったい何を企んでいるのですか?

 胸の奥に芽生えた不安を押し殺しながら、私は決意を固めた。
 陛下を、どんな手を使ってでも守る。
 この命に代えても。

 そのとき、扉がノックされた。
 控えめな音なのに、なぜか胸騒ぎがする。

「クラリス。私だ」

 アルトリウス陛下の声。
 夜更けに、王がわざわざ私室を訪れるなど――ただ事ではない。

「どうかされましたか?」

「……いや、お前の顔が見たくなっただけだ」

 彼はそう言って、穏やかに微笑む。
 けれど、その金の瞳の奥には微かな影があった。

「レオンの動きが速すぎる。……おそらく、近いうちに何かが起こる」

「まさか、陛下を――」

「安心しろ。私はお前を一人にはしない」

 そう言って、彼は私を抱き寄せた。
 胸の奥から伝わる鼓動が、互いの熱を確かめ合うように響く。
 私は彼の胸に顔を埋め、その香りに包まれながら、そっと囁いた。

「……陛下、どうかご無事で。わたくしは、あなたのためにここにおります」

 その瞬間、彼の腕の力が強まった。

「クラリス……もう“陛下”ではなく、“アルト”と呼べ」

「え……」

「お前が呼ぶたびに、心が震えるのだ。だから……その声で、私を名で呼べ」

 耳元に落とされる囁き。
 心が蕩けていくのを感じながら、私は唇を震わせた。

「……アルト、さま」

 次の瞬間、彼の唇が再び私を奪った。
 静かな夜に、ただ二人の鼓動だけが響く。

 ――だが、この穏やかな夜が長く続くことはなかった。
 翌朝、王宮の鐘が鳴り響く。
 「反乱軍が城下に迫っている」との報が届いたのだ。

 そして私は、知らず知らずのうちに、国と愛を賭けた戦いの中心に立つことになる――。
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