冷徹王子に捨てられた令嬢、今ではその兄王に溺愛されています

ゆっこ

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 月の光が王宮の中庭を淡く照らしていた。静寂の中、噴水の水音だけが響く。
 その傍らに立つ私は、夜風に頬を撫でられながら、心を落ち着けようと深く息を吸い込んだ。
 ──あれから、何度も心が揺れた。

 アルトゥール王が私を救い、側に置くと宣言してから、毎日はあまりに眩しかった。
 彼は王としての威厳を保ちながらも、私の前では驚くほど穏やかで、優しい。
 会話の合間にふと微笑まれるたび、胸の奥が熱くなる。
 けれど、それを「恋」と呼んでいいのかどうか、まだ私はわからなかった。

「リリア、こんな夜更けにひとりでどうした?」

 低く、落ち着いた声が背後から届いた。振り向くと、そこには薄衣を羽織ったアルトゥール王が立っていた。
 月明かりの中で見る彼は、普段よりもずっと柔らかい表情をしている。
 金の髪が夜風に揺れ、青い瞳が私をまっすぐに見つめた。

「少し、眠れなくて……。静かな場所で考え事をしたかったんです」
「考え事?」
「ええ……。私がここにいていいのか、改めて自問していました」

 彼の眉がわずかに寄る。
 すぐに近づいてきて、私の前で立ち止まった。

「リリア、君はこの国の客人だ。それに……私にとっては、大切な存在でもある」

 その言葉に、心臓がどくりと跳ねた。
 大切な存在──あまりに優しすぎる響きだった。

「ですが、私はあなたの弟殿下に……」
「もうあの名を出すな」

 その瞬間、アルトゥール王の声が鋭く変わった。
 普段の穏やかな彼からは想像できないほどの、低く冷たい声。
 私は驚き、息を呑んだ。

 けれど、次に見上げたその瞳は、悲しみと怒りが混じっていた。

「……あいつは、愚かだった。君のような女性を手放すとはな」
「陛下……」
「王である前に、兄として恥ずかしい」

 アルトゥール王はゆっくりと手を伸ばし、私の髪をそっと撫でた。
 指先が頬を掠め、胸の奥が甘く震える。

「私は……二度と君を泣かせたくない」

 その言葉に、胸が熱くなり、思わず視線を逸らした。
 ──なぜ、こんなにも優しいのだろう。
 こんな人に出会ってしまったら、もう以前のようには戻れない。

「……ありがとうございます」
 やっとそれだけを絞り出すと、アルトゥール王は静かに微笑んだ。

 彼の指がそっと私の手を包み込む。温かい。
 まるでそのぬくもりが、過去の痛みを溶かしてくれるようだった。

「リリア、君がもし望むなら──私は君を正式にこの国の貴族として迎え入れよう」
「えっ……?」
「君がもう他国の令嬢でなく、この国の者として自由に生きられるように。……それが、私の願いだ」

 あまりに突然の提案に、言葉が出なかった。
 私を、この国の者に……? それはつまり──

「そ、そんな……。私なんかのために、国が動くようなこと……」
「“なんか”じゃない。君は、自分が思っているよりずっと価値がある」

 その言葉は、まっすぐ胸に突き刺さった。
 ──かつて、冷徹王子ルークに言われた。
 「お前には何の価値もない」
 その記憶が一瞬で蘇り、胸が痛む。
 だが、アルトゥール王の言葉が、その痛みを静かに上書きしていく。

「私は……考えさせてください」
「もちろんだ」

 彼はそれ以上強要せず、ただそっと微笑んだ。
 そして、私の肩に自らの上着をかけてくれた。

「夜は冷える。君が風邪を引いたら、私が困る」
「……陛下が困るんですか?」
「当然だ。君がいなくなれば、私は退屈で仕方なくなる」

 ふっと笑う彼の表情に、心が緩む。
 その瞬間、少しだけ、涙が出そうになった。



 翌朝。

 王妃の座が空席のままであることを理由に、宮廷では「新しい婚約の噂」が囁かれていた。
 その中心には──私の名があった。

「聞いた? 陛下があのリリア嬢を正妃候補にするらしいわ」
「まさか……あの、弟殿下に捨てられた令嬢よ?」
「でも今や、陛下のお気に入りなんでしょう?」

 廊下を歩くだけで、囁き声が耳に入る。
 居心地の悪さを感じながらも、私は俯いて歩いた。
 けれど、角を曲がった先で──足が止まった。

「……ルーク殿下」

 そこにいたのは、私をかつて“不要”と切り捨てた冷徹王子。
 相変わらず整った顔立ち。だがその目は、かつてよりずっと暗く、疲れていた。

「リリア……」
 彼は小さく私の名を呼び、そして唇を噛んだ。

「お前が兄上のもとにいると聞いた。……本当なのか」
「ええ。陛下に救っていただきました」
「救われた? 俺が──お前を……」

 その言葉に、胸が痛む。だがもう、昔のようには戻れない。
 あの時、彼が冷たく私を見下ろして言った言葉。
 「お前は俺の隣に立つ価値がない」──それだけは、忘れられない。

「殿下。あの時の私は確かに無力でした。でも今は、違います」
「……違う?」
「陛下のおそばで、自分にできることを見つけています」

 ルークの顔が歪んだ。
 それは怒りとも、悔しさともつかない複雑な表情。

「兄上が……お前に何をした?」
「何も。優しくしてくださっているだけです」

「優しく……っ」
 彼は苦しげに拳を握りしめた。

「リリア。戻ってこい」
「……はい?」
「兄上のそばでは駄目だ。あの方は、冷静に見えて情が深い。お前を本気で求めるようになれば、国が動く。そんなことになれば──」
「私はもう、あなたのものではありません」

 その一言で、ルークの瞳が大きく揺れた。

「……お前、本当に……兄上を……?」
「恋とか、愛とか、まだ自分でもよくわかりません。でも、陛下の隣にいると心が安らぐんです」

 静寂が流れた。
 ルークは何かを言いかけ、けれど言葉を飲み込んだ。
 そして背を向け、震える声でつぶやいた。

「……俺は、間違えたのかもしれない」

 その背中を見送る私は、ただそっと目を閉じた。
 ──遅すぎたのよ、ルーク。



 その日の夕刻。

 王の執務室に呼ばれた私は、緊張しながら扉を叩いた。
 中では、書類を広げていたアルトゥール王が顔を上げ、微笑んだ。

「来てくれて嬉しいよ、リリア」
「お呼びでしょうか」
「ええ。少し、相談があってね」

 そう言って、彼は机の上に一枚の封書を置いた。
 王の印章が押されている──正式な外交文書。

「隣国から、君を“返還”するよう求める書状が届いた」
「……っ!」

 息が止まった。
 まさか、ルークが──?

「だが、私は拒否するつもりだ」
 アルトゥール王はゆっくりと立ち上がり、私の前に歩み寄る。

「この国に君を残す。それが、私の決断だ」

 その瞳がまっすぐ私を射抜く。
 息を呑んだ。距離が近い。
 彼の香りと、温もりがすぐそばにある。

「リリア、君はもう誰のものでもない。だが──」
 そっと、彼の手が私の頬を包み込む。

「もし君が望むなら、私の隣で生きてほしい」

 その言葉に、世界が静まり返った。
 胸の鼓動だけが、耳に響く。

 返す言葉を探す前に、アルトゥール王の指がそっと私の唇に触れた。
 優しく、確かめるように。

「君の答えは、急がなくていい。ただ──私はもう、後戻りする気はない」

 そう囁かれた瞬間、頬が熱く染まった。

 ──この人は、本気なのだ。
 王としてではなく、一人の男として。

 月の夜に交わされた約束が、静かに心に刻まれる。
 そして私は思った。
 この胸の奥に芽生えた感情の名を、もう恐れずに見つめようと。
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