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14夜目のためのお話:祝福と羨望
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フリートヘルムが部屋を出てから少し間を置き、エーファは祈りの間に戻った。
ふと誰かの視線を感じた気がするが、周囲にいる人たちはみな歌うたいたちに注目している。
「あ、ロシュフォール団長だ」
漆黒の騎士服を着ているから、今日もまた任務でここに来ているのだろう。遠目からもわかるほど眉間に皺を寄せており、顔を顰めている。
「あんな顔をしていたら、いつか皺が残ってしまいそうだね」
たとえ眉間に皺が残ろうと、ランベルトの美貌は損なわれないだろう。むしろ新たな魅力となって令嬢たちを騒がせそうだ。
「まあ、ロシュフォール団長の顔に皺がつくかどうかが判明する頃には、もう顔を合わさないんだろなぁ」
降星祭を過ぎると、ランベルトとの関係性は一変するだろう。
騒ぎを起こしたエーファは捕らえられるかもしれないし、万が一上手く行ったところで、今のような非日常が続くとは思えない。
ランベルトはエーファを見張るために毎日店に来るのだから、エーファに不審な点がなくなると、もう来なくなるだろう。
そんな未来を想像すると、胸にぽっかりと穴が開いてしまったような心地がした。
「――それでは、今年の聖女を発表します!」
大神官の厳めしい声にハッとして顔を上げると、歌うたいたいはみな椅子に座っており、代わりに大神官がオルガンの前に立っていた。
「此度の選考会には実に優秀な歌うたいが集まってくれました。喜ばしい半面、その中から一人を選ばなければならない苦悩がありました」
どうやら、これから結果発表らしい。エーファは壁に寄りかかり、大神官の言葉に耳を傾け始めた。
「クゥ~ン」
「え? フリートヘルム殿下の忠告を忘れたのかって? ううん。忘れたんじゃなくて、無視するの」
「クゥ~ン」
シリウスが窘めるように鳴いても、エーファの決意は変わらない。せっかくここまで来たのだから、結末を見届けるつもりだ。
それに今のエーファは、店に戻る気分ではなかった。
静かな店の中で黙々とケーキを作っていると、先ほどから胸の奥で燻っている虚しさに蝕まれそうな気がしたのだ。
「しかし――その中でも抜きんでて心を揺さぶるような歌声の持ち主がいました。歌声に込められた温かく優しい想いや切実な願いが、私たち審査員の心に深く残りました」
大神官は歴代の聖女たちが降星祭の日に見につける白雪のようなケープを手に取ると、歌うたいたちに歩み寄る。
各々が固唾を飲んで見守る中、彼はピタリと足を止めた。
「ヒルデ・シュライヒ――今年はあなたを聖女に任命します」
名を呼ばれたヒルデは、瞠目して口元に両手をあてた。
驚きと戸惑いに揺れた目が、じわじわと喜びの色に染まる。
そんな彼女を、マクダレーナは微笑みと拍手で祝福し、ユリアは密かに睨みつけていた。
「わあっ! ヒルデさんが聖女になった!」
エーファは嬉しさのあまりその場で飛び跳ねる。すると、クスリと笑う声が耳元に届いた。
声の主は――エーファの隣にいる女性だ。
異国から来たようで、見慣れない服を着ている。
知的な雰囲気があり、切れ長の橄欖石の目は意志の強さを感じさせる。
その美しい目は、どことなくメヒティルデを思い出させる。
「すみません。あなたが自分のことのように喜んでいる姿が微笑ましかったんです。もしかして、ご友人ですか?」
「いいえ、店の常連さんなんです」
「そう……でしたか。それでも、自分のことのように喜べる間柄なんですね」
じっと見つめるエーファに、女性は悠然と微笑む。
「素敵な光景を見られて幸せな気持ちになりました。――それでは、用事があるので失礼します」
異国から来た女性は、リーツェル王国の貴族風の礼をとると立ち去ってしまった。
「さっきの人……お嬢様に似ていた……」
容姿は目の色と眼差ししか似ていなかったが、纏う雰囲気がメヒティルデそのもののように思えた。
品があり、しかし圧倒的な力強さと威厳を感じさせる。それがエーファの大切なお嬢様だ。
「お嬢様……」
エーファの足が、一歩また一歩と動き、出入口へと向かう。
もう一度、先ほどの女性の顔を見たかった。彼女を通して、自分の命よりも大切な人に想いを馳せたい。
エーファとメヒティルデの別れは突然だった。なんせ魔物討伐に向かっている間に、王太子によって国外追放されてしまったのだ。
守れなかった悔しさと、覚悟する間もなく訪れた別れのせいで、消化しきれない思いが耐えずエーファの胸の中を渦巻いている。
「ま、待って――待ってください!」
込み上げる切なさに耐えられず駆け出す。
神殿の外に出て辺りを見回すが、どこを見ても先ほどの女性の姿はなかった。
「クゥーン」
「シリウス……心配してくれてありがとう」
モフモフとしたシリウスの頬に自分の頬をすり寄せると、温かく柔らかな感覚に少しだけ心が落ち着く。
「――さて、店に戻ろうかな。そろそろ開店の準備に取り掛からなきゃいけないもんね。もしヒルデさんが来てくれたら、お祝いしよう!」
「ワフッ!」
もしかすると、自分は一生、お嬢様に会えないのかもしれない。
そのような不安に呑まれそうになるのを、エーファは日々耐えている。
それはまだ起こっていないことなのだと自分に言い聞かせ、別の未来が訪れる可能性に賭けている。
歩みを止めさせようとする悪い予想を、いつも振り切ってきた。
気持ちを切り替えて帰路に着こうとしたその時、不意に差すような視線を感じた。おまけに、首元では襟巻に扮しているシリウスが唸り声を上げている。
エーファは慎重に足を進める。しかし相手も同じ歩幅と速度でついて来ている。
(……相手は五人……嫌な奴もいる)
魔力の気配を感じ取ったエーファは、アンゼルムの魔力を察知して顔を顰めた。
何を企てているのかわからないが、捕まると厄介だ。
アンゼルムは昔も今も、エーファを追っている。彼がなぜ自分に執着をしているのか、エーファにはわからない。
そしてある日、彼から主人を変えないかと提案された。自分の専属護衛になってほしいと言われたのだ。
もちろんメヒティルデ以外の人間に仕えるつもりは毛頭ないエーファはすぐさま断ったのだが――その日以来、アンゼルムはエーファが不快に思うような行動をとり始めるのだった。
初めは、メヒティルデがいるのにわざと彼女を無視してエーファにだけ話しかけるようになった。そこから発展し、魔法兵団に入っているエーファに命令して自分の警護につかせるようになったのだ。
幸にも魔法兵団の団長がエーファの希望を聞いてくれて魔物討伐以外の仕事を断ってくれるようになったのだが、悪夢はそれだけでは終わらなかった。
穏やかで優しい王子の仮面を被った、横暴で強欲な悪魔。
それが、エーファから見たアンゼルムだ。
「さて、どうしよう?」
追手がいるままでは店に行けない。彼らにだけは居場所を特定されたくないのだ。
(転移魔法を使いたいけど、発動するのに時間がかかるから追いつかれると困る)
じりじりと神経を尖らせつつ、歩みを進める。
まずは平民区画に逃げ込もうと急ぎ足になると、相手も足を速めた。
次第に近づいて来る気配に不安を拭いきれない。
今にも心臓が飛び出しそうなほど大きく脈を打ち鳴らしている。
絶対に捕まらない。
こんなところで邪魔をされてたまるものか。
その一心で逃げ回っているエーファの目の前に、息を切らしてかけてくるランベルトの姿が映った。
「エーファさん、大丈夫ですか?!」
「ロシュフォール団長……」
ランベルトの顔を見た途端、エーファの張り詰めていた心が、少し和らいだ。
ふと誰かの視線を感じた気がするが、周囲にいる人たちはみな歌うたいたちに注目している。
「あ、ロシュフォール団長だ」
漆黒の騎士服を着ているから、今日もまた任務でここに来ているのだろう。遠目からもわかるほど眉間に皺を寄せており、顔を顰めている。
「あんな顔をしていたら、いつか皺が残ってしまいそうだね」
たとえ眉間に皺が残ろうと、ランベルトの美貌は損なわれないだろう。むしろ新たな魅力となって令嬢たちを騒がせそうだ。
「まあ、ロシュフォール団長の顔に皺がつくかどうかが判明する頃には、もう顔を合わさないんだろなぁ」
降星祭を過ぎると、ランベルトとの関係性は一変するだろう。
騒ぎを起こしたエーファは捕らえられるかもしれないし、万が一上手く行ったところで、今のような非日常が続くとは思えない。
ランベルトはエーファを見張るために毎日店に来るのだから、エーファに不審な点がなくなると、もう来なくなるだろう。
そんな未来を想像すると、胸にぽっかりと穴が開いてしまったような心地がした。
「――それでは、今年の聖女を発表します!」
大神官の厳めしい声にハッとして顔を上げると、歌うたいたいはみな椅子に座っており、代わりに大神官がオルガンの前に立っていた。
「此度の選考会には実に優秀な歌うたいが集まってくれました。喜ばしい半面、その中から一人を選ばなければならない苦悩がありました」
どうやら、これから結果発表らしい。エーファは壁に寄りかかり、大神官の言葉に耳を傾け始めた。
「クゥ~ン」
「え? フリートヘルム殿下の忠告を忘れたのかって? ううん。忘れたんじゃなくて、無視するの」
「クゥ~ン」
シリウスが窘めるように鳴いても、エーファの決意は変わらない。せっかくここまで来たのだから、結末を見届けるつもりだ。
それに今のエーファは、店に戻る気分ではなかった。
静かな店の中で黙々とケーキを作っていると、先ほどから胸の奥で燻っている虚しさに蝕まれそうな気がしたのだ。
「しかし――その中でも抜きんでて心を揺さぶるような歌声の持ち主がいました。歌声に込められた温かく優しい想いや切実な願いが、私たち審査員の心に深く残りました」
大神官は歴代の聖女たちが降星祭の日に見につける白雪のようなケープを手に取ると、歌うたいたちに歩み寄る。
各々が固唾を飲んで見守る中、彼はピタリと足を止めた。
「ヒルデ・シュライヒ――今年はあなたを聖女に任命します」
名を呼ばれたヒルデは、瞠目して口元に両手をあてた。
驚きと戸惑いに揺れた目が、じわじわと喜びの色に染まる。
そんな彼女を、マクダレーナは微笑みと拍手で祝福し、ユリアは密かに睨みつけていた。
「わあっ! ヒルデさんが聖女になった!」
エーファは嬉しさのあまりその場で飛び跳ねる。すると、クスリと笑う声が耳元に届いた。
声の主は――エーファの隣にいる女性だ。
異国から来たようで、見慣れない服を着ている。
知的な雰囲気があり、切れ長の橄欖石の目は意志の強さを感じさせる。
その美しい目は、どことなくメヒティルデを思い出させる。
「すみません。あなたが自分のことのように喜んでいる姿が微笑ましかったんです。もしかして、ご友人ですか?」
「いいえ、店の常連さんなんです」
「そう……でしたか。それでも、自分のことのように喜べる間柄なんですね」
じっと見つめるエーファに、女性は悠然と微笑む。
「素敵な光景を見られて幸せな気持ちになりました。――それでは、用事があるので失礼します」
異国から来た女性は、リーツェル王国の貴族風の礼をとると立ち去ってしまった。
「さっきの人……お嬢様に似ていた……」
容姿は目の色と眼差ししか似ていなかったが、纏う雰囲気がメヒティルデそのもののように思えた。
品があり、しかし圧倒的な力強さと威厳を感じさせる。それがエーファの大切なお嬢様だ。
「お嬢様……」
エーファの足が、一歩また一歩と動き、出入口へと向かう。
もう一度、先ほどの女性の顔を見たかった。彼女を通して、自分の命よりも大切な人に想いを馳せたい。
エーファとメヒティルデの別れは突然だった。なんせ魔物討伐に向かっている間に、王太子によって国外追放されてしまったのだ。
守れなかった悔しさと、覚悟する間もなく訪れた別れのせいで、消化しきれない思いが耐えずエーファの胸の中を渦巻いている。
「ま、待って――待ってください!」
込み上げる切なさに耐えられず駆け出す。
神殿の外に出て辺りを見回すが、どこを見ても先ほどの女性の姿はなかった。
「クゥーン」
「シリウス……心配してくれてありがとう」
モフモフとしたシリウスの頬に自分の頬をすり寄せると、温かく柔らかな感覚に少しだけ心が落ち着く。
「――さて、店に戻ろうかな。そろそろ開店の準備に取り掛からなきゃいけないもんね。もしヒルデさんが来てくれたら、お祝いしよう!」
「ワフッ!」
もしかすると、自分は一生、お嬢様に会えないのかもしれない。
そのような不安に呑まれそうになるのを、エーファは日々耐えている。
それはまだ起こっていないことなのだと自分に言い聞かせ、別の未来が訪れる可能性に賭けている。
歩みを止めさせようとする悪い予想を、いつも振り切ってきた。
気持ちを切り替えて帰路に着こうとしたその時、不意に差すような視線を感じた。おまけに、首元では襟巻に扮しているシリウスが唸り声を上げている。
エーファは慎重に足を進める。しかし相手も同じ歩幅と速度でついて来ている。
(……相手は五人……嫌な奴もいる)
魔力の気配を感じ取ったエーファは、アンゼルムの魔力を察知して顔を顰めた。
何を企てているのかわからないが、捕まると厄介だ。
アンゼルムは昔も今も、エーファを追っている。彼がなぜ自分に執着をしているのか、エーファにはわからない。
そしてある日、彼から主人を変えないかと提案された。自分の専属護衛になってほしいと言われたのだ。
もちろんメヒティルデ以外の人間に仕えるつもりは毛頭ないエーファはすぐさま断ったのだが――その日以来、アンゼルムはエーファが不快に思うような行動をとり始めるのだった。
初めは、メヒティルデがいるのにわざと彼女を無視してエーファにだけ話しかけるようになった。そこから発展し、魔法兵団に入っているエーファに命令して自分の警護につかせるようになったのだ。
幸にも魔法兵団の団長がエーファの希望を聞いてくれて魔物討伐以外の仕事を断ってくれるようになったのだが、悪夢はそれだけでは終わらなかった。
穏やかで優しい王子の仮面を被った、横暴で強欲な悪魔。
それが、エーファから見たアンゼルムだ。
「さて、どうしよう?」
追手がいるままでは店に行けない。彼らにだけは居場所を特定されたくないのだ。
(転移魔法を使いたいけど、発動するのに時間がかかるから追いつかれると困る)
じりじりと神経を尖らせつつ、歩みを進める。
まずは平民区画に逃げ込もうと急ぎ足になると、相手も足を速めた。
次第に近づいて来る気配に不安を拭いきれない。
今にも心臓が飛び出しそうなほど大きく脈を打ち鳴らしている。
絶対に捕まらない。
こんなところで邪魔をされてたまるものか。
その一心で逃げ回っているエーファの目の前に、息を切らしてかけてくるランベルトの姿が映った。
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