【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉

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6 見てはいけないもの

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 日が傾き始めた頃であった。
 露店が並び、町民が行き交う賑やかな通りを歩きながら、ふたりは屋敷へ向かう帰路についていた。
 おりんがほくほくと満足げな笑みを浮かべ歩いていた理由は、隣りにいる清之進の担いだ、風呂敷の包みにあった。
 中には、手に入れたばかりの新鮮な鰯や、夏のすこやかな日差しのもとで育った美しい紫色をしたなすび、そしてのびのび育ったうりが入っていた。

 ――今晩は鰯を梅で煮て、ほかは食感が残るくらいにさっと漬物にしよう。

 そう思いながらおりんは、隣にいる男を見上げた。今の状況で、こんなに穏やかな気持ちで買い物ができたのは、この人のおかげのようなものだと思えた。

「清之進さま、お付き合いいただきありがとうございます」

「はは、何を言うか。おぬしがやってくるまで、買い出しは俺の仕事みたいなものだったのだから。何の問題もないし、むしろ感謝しなければならないのは、俺のほうだ」

 清之進は豪放に笑った。相変わらず髪は後ろでまとめただけで、刀を差した浪人風の出で立ちである。
 ただ、自分という町娘の隣りを歩いているからだろうか。町並みのなかにすっと溶け込んでいるようで、変な視線を感じることはなかった。
 そんなおりんの心配など知らない清之進は、嬉しそうに続ける。

「おぬしが来てくれて本当に助かっているのだぞ。俺もあやつも食事はどうでもいいたちだから、これまで飯を炊いて終わりだったのだ。まあ、俺も料理の作り方など知らぬし、覚えようとも思わなかったからな。……だから、そなたの作る飯の旨さには驚いているし、かつ楽しみにしているという訳だ」

 そう言われ思い出せば、確かにふたりの顔がそれを物語っていたとおりんは思った。
 目の前にいる兄の清之進はもちろん、弟の惣次郎も、自分のつくった他愛もない食事を前に、少年のような瞳を見せたのである。それは、あの美しく隙のない若き同心が、他人に見せることのない、特別な表情ではないかと思えた。
 おりんは嬉しくなって、清之進に言う。

「このくらいでしたら、簡単にございます。むしろ私の方こそ、居場所を作って頂いたみたいで、ほんとうにありがたく思っているのですよ」

「そうか。なら互いにいいことずくめということじゃないか。ああ、よかったよかった」

 清之進は豪快な笑顔を見せたあとで、すっと表情を変え静かに口を開いた。

「それにしても……あれ以来、周囲には特に気を配っているが、驚くほど何もないな」

「……そうですね」

 実際その通り、いまだおりんの前に刺客の姿は現れていなかった。
 彼女が有島の屋敷に居続けることになったのは、飯の準備が上手いからというのもある。しかし清之進から、おりんが襲われたという話を子細に聞いた惣次郎が、心配であるしここのほうが安全だからと、進んで言ってくれたのである。
 またこの屋敷は、彼の勤め先である奉行所からも比較的近くに位置する。そのためうろつく同心の数も多く、昼夜を問わず人の目があるという。
 怪しい人間がいればすぐにわかるだろう――そんな惣次郎のことばを、おりんは思い出していた。
 兄、清之進は隣りで腕を組みながら言う。

「……町中はもちろん屋敷のまわりも調べているのだが、忍び込まれたような形跡や、不審な人間の姿もない。おぬしを狙う男で、思い当たる人物はいないか?」

「……わかりません。あたしは、森本さまのお屋敷に、おっかさんと一緒に働いていて。以前お話した通り、そこで突然母が亡くなってしまったのです。それで、よくしてくれた森本の姫様が、お前は花街に売られてしまうから、いますぐ逃げてってあの場から逃がして下さって。それで、言われるがまま逃げてきたんです」

「……何度聞いても災難だ」

「だからあたしは、花街の追っ手だとばかり思っていたんです。でも、あの人はあたしを殺そうとしてた。普通はそんなことするものなのでしょうか?」

「……いや、絶対にありえないだろうな。俺の目にはあの男は花街からの追っ手には見えなかったが、仮にそうだというのなら、大切な商品を殺すなどあえないだろう。そもそも殺すなど、何か理由がなければ絶対にやらない。死体を残すということは、証拠を残すことであり、さまざまな危険が伴ってしまうからな。だから、あの男はそうせざるを得なかったということだ。……例えば、、とか」

 そう言われ、おりんは考えた。自分は一体何を見たというのだろう。そもそも母の亡骸と顔を合わせることすらできなかったのに、そんな自分が何を見たというのだろう。
 おりんの中で、あの日の映像がつぶさに思い浮かぶ。そして、すぐにあることに気付いく。

「……!」

「何かわかったのか?」

 清之進のことばを無視し、おりんは勢いよく巾着の中を探った。そして見つけたものを、清之進の前に差し出した。

「これは……」

「この印籠は、森本の姫様が別れ際にあたしに渡してくださったものなのです。姫様は、母が持っていたからきっと形見だってそう言っていました。ですが、私はこんな高価そうなものを、母が持っていたとはまったく思えなくて。もしかするとこれこそが、見てはならぬものだったのでしょうか」

 おりんの問いに、清之進は答えなかった。その沈黙を不思議に思った彼女は、ふと彼を見あげる。

「……清之進さま?」

 その顔色におりんは驚いた。つい先ほどまで朗らかに笑っていたあの日に焼けた顔が、みるみる土気色に変わっているのである。
 そうしてすっかり無言になってしまった彼に、おりんは心配して声をかけた。

「せ、清之進さま、大丈夫ですか?」

「……すまん、大したことはないのだ。ただ……少し立ち眩みがしてな。少しばかり、休ませてくれぬか」
 
 彼はそう言うと、道の脇に乱雑に置かれていた木箱の上に、どすりと腰かけてしまった。
 再び顔を見れば、今度は血の気のない酷い顔をしている。

 ――この方は本当にご病気だったんだ。

 自分が連れ回したせいで、体調を崩されてしまった――そう思ったおりんはきょろきょろと辺りを見回りした。
 人通りはなかった。ただ、少しだけ道を戻り裏店を突っ切れば、惣次郎の勤める奉行所はすぐそこだった。

「清之進さま、ここで待っていてください。助けを呼んでまいります」

「!……お、おりんよ、止まれ。危険があるやもしれぬ。ひとりでいくな」

「大丈夫です!奉行所に行って、有島さまかほかの皆さまを読んできます。そこで安静にしていて下さい」

 おりんはそう言うと、勢いよく駆け出し、みるみる姿が見えなくなった。

「むう…………これは急がなければ」

 清之進は、よろめきながらも歩きはじめた。
 その頭に焼き付いていたのは、おりんの持っていた印籠に輝く、金の菊の紋だった。
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