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1章 きらめく世界
4 搾取される存在
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自分がαであることを自認したのは、中学二年の時だった。
この頃――いわば第二次性徴の頃、学校で特殊健康診断が実施され、自分の第二性が明らかにされるのが一般的だ。
基本的には大抵がβであるので、検査の前後で何も変わることはない。
ただそれ以外――希少な第二性の持ち主であった場合、世界は大きく変わってしまう。
そのときも、教室の一角で友人と放課後他愛もない話をしていたときだった。
突然、脳を揺さぶるような甘い香りがした瞬間――気付いたときには身体中に痛みがあって、はっとしたときには先生四人がかりで羽交い締めにされていた。
目の前には服を破られ胸をはだけさせた友人が呆然としていた。
『お前が……αじゃなければ俺は……』
そう涙ぐみ非難の目を向けるあいつの顔を思い出すたび、胸の奥に怒りがこみ上げた。
事件の翌日、判定結果が送られてきて昂世は思った。
こんなものがなければ、ずっと友だちでいられたのに。
すべてが変わってしまったあとではもう、あの頃に戻ることはできなかった。
そんなどうしようもない理不尽さと、当時への怒りがないまぜになって燃え上がる中。
昂世は沸き上がるそれを抑え、自分に言い聞かせた。
――昂世、落ち着け。いつものことだ。
怒ることに価値はない。
自分がαであることを、変えることはできない。
そうして大きく息を吐くと、胸の奥は少し鎮まった気がした。
昂世はふっと笑みを浮かべて、男の目を見つめてこう告げた。
「……人の性を口外するのはあまりいいことではないと思うけど、俺がαってよくわかったな」
「っ……」
男は言葉を失うと同時に身体が瞬時に強張ったので、昂世はこの男がΩであることを悟った。
公表していない第二性に気付くということは、そういうことだった。
ふたりの間に緊迫した空気が流れた瞬間、現場に響いたのは監督の声だった。
「OK!問題なしだ。少し休憩とるよ」
「はい!」
すっかり硬直してしまった男をその場に残し、昂世は足取り軽くセットから降りた。
すると脇から波多野がさっと現れ、耳元でぼそりと言う。
「昂世!絡まれてただろう?大丈夫か?」
「まあ、いつもの感じです」
「そうか。どこも今はタレントのコンプライアンス教育に力を入れているはずなんだけどな……」
その通り、タレントであれ誰であれ、第二性はオープンにしないのがこの世界では一般的だった。
それはこの世の大多数がβであり、αもΩも極めて数が少ない少数弱者であることが理由だろう。
実際、公表することもある。大半は、名前を売ることが目当てのαの起業家や投資家や、Ωであることを売りにしたタレントだ。ただ世間ではあまり歓迎されていなかった。
世界で活躍するスポーツ選手も圧倒的にαが多いらしい。しかし多くが第二性を公表しておらず、噂が出回るくらいだ。
そんな訳で、この芸能の世界にαはいそうでいないのが現実だった。 実際、昂世がこれまで共演した人の中にもスタッフの中にも、αはいなかった。
ただΩは一定数存在していて、彼らは本能的にαの醸し出すものに気付くのだろう。さっきのようにテリトリーを侵された、と敵対心を露わにされ、威嚇されることも常だった。
波多野はふっと顔を緩ませると、昂世の肩をぽんと叩いて言った。
「ちょっと行ってくるから、楽屋で休んでて」
「え?」
「匂いがするんだろう?顔でわかるよ。すぐに戻るから」
そうして手を振り波多野は小走りに走っていった。
そんな後ろ姿を見、昂世はのろのろとひとり楽屋に戻る。
座敷に転がり天井を見上げ、ふうっと息を吐いた。
かすかに漂っていたΩの香りが消え、ようやく胸のざわめきも落ち着いたようだ。
――もう少し濃かったら、まずかった気がする。
αやΩといったふたつの性は、互いに抑制剤を飲むことで、社会生活を円満に送れるよう努力している。
しかし、その日の体調によりフェロモンが漏れ出てしまうこともあり、あのように匂いが漂う場合もしばしばあった。
今回、比較的匂いが強かったことから、スタッフの中に発情期を隠したΩが混ざっていた可能性があった。波多野が確認しに行ってくれたのはそういうことだった。
この世界では肉体的性差があるにも関わらず、平等に配慮配慮と言い多様性を守れと言う。だからその中で、誰もが自分を守らなければならなかった。
第二性において、αは圧倒的優位とか強者とか好き放題言われている。しかし実際はご覧のとおり――スキャンダルに気をつけろと言われ、このようにびくびくしながら生きている日々だった。
昂世は天井を眺めながらぼんやりと思う。
生まれついた身体は変えられない。その事実はみな等しく同じだ。
互いに人生を壊される可能性があるなかで、気を使い合って生きていかなければならない。
ただ、なぜこんなにもびくびくしながら生きなければならないのだろう。
本当は誰しも自由であるはずなのに。頂点と言われるαでさえ、実際は搾取される存在で、遺伝子に翻弄され縛られ続けている。
自分が演じる役の中の彼らのように、身体に左右されず生きることができたら――。
きっとその人生は、どれだけ幸せなのだろうか。
この頃――いわば第二次性徴の頃、学校で特殊健康診断が実施され、自分の第二性が明らかにされるのが一般的だ。
基本的には大抵がβであるので、検査の前後で何も変わることはない。
ただそれ以外――希少な第二性の持ち主であった場合、世界は大きく変わってしまう。
そのときも、教室の一角で友人と放課後他愛もない話をしていたときだった。
突然、脳を揺さぶるような甘い香りがした瞬間――気付いたときには身体中に痛みがあって、はっとしたときには先生四人がかりで羽交い締めにされていた。
目の前には服を破られ胸をはだけさせた友人が呆然としていた。
『お前が……αじゃなければ俺は……』
そう涙ぐみ非難の目を向けるあいつの顔を思い出すたび、胸の奥に怒りがこみ上げた。
事件の翌日、判定結果が送られてきて昂世は思った。
こんなものがなければ、ずっと友だちでいられたのに。
すべてが変わってしまったあとではもう、あの頃に戻ることはできなかった。
そんなどうしようもない理不尽さと、当時への怒りがないまぜになって燃え上がる中。
昂世は沸き上がるそれを抑え、自分に言い聞かせた。
――昂世、落ち着け。いつものことだ。
怒ることに価値はない。
自分がαであることを、変えることはできない。
そうして大きく息を吐くと、胸の奥は少し鎮まった気がした。
昂世はふっと笑みを浮かべて、男の目を見つめてこう告げた。
「……人の性を口外するのはあまりいいことではないと思うけど、俺がαってよくわかったな」
「っ……」
男は言葉を失うと同時に身体が瞬時に強張ったので、昂世はこの男がΩであることを悟った。
公表していない第二性に気付くということは、そういうことだった。
ふたりの間に緊迫した空気が流れた瞬間、現場に響いたのは監督の声だった。
「OK!問題なしだ。少し休憩とるよ」
「はい!」
すっかり硬直してしまった男をその場に残し、昂世は足取り軽くセットから降りた。
すると脇から波多野がさっと現れ、耳元でぼそりと言う。
「昂世!絡まれてただろう?大丈夫か?」
「まあ、いつもの感じです」
「そうか。どこも今はタレントのコンプライアンス教育に力を入れているはずなんだけどな……」
その通り、タレントであれ誰であれ、第二性はオープンにしないのがこの世界では一般的だった。
それはこの世の大多数がβであり、αもΩも極めて数が少ない少数弱者であることが理由だろう。
実際、公表することもある。大半は、名前を売ることが目当てのαの起業家や投資家や、Ωであることを売りにしたタレントだ。ただ世間ではあまり歓迎されていなかった。
世界で活躍するスポーツ選手も圧倒的にαが多いらしい。しかし多くが第二性を公表しておらず、噂が出回るくらいだ。
そんな訳で、この芸能の世界にαはいそうでいないのが現実だった。 実際、昂世がこれまで共演した人の中にもスタッフの中にも、αはいなかった。
ただΩは一定数存在していて、彼らは本能的にαの醸し出すものに気付くのだろう。さっきのようにテリトリーを侵された、と敵対心を露わにされ、威嚇されることも常だった。
波多野はふっと顔を緩ませると、昂世の肩をぽんと叩いて言った。
「ちょっと行ってくるから、楽屋で休んでて」
「え?」
「匂いがするんだろう?顔でわかるよ。すぐに戻るから」
そうして手を振り波多野は小走りに走っていった。
そんな後ろ姿を見、昂世はのろのろとひとり楽屋に戻る。
座敷に転がり天井を見上げ、ふうっと息を吐いた。
かすかに漂っていたΩの香りが消え、ようやく胸のざわめきも落ち着いたようだ。
――もう少し濃かったら、まずかった気がする。
αやΩといったふたつの性は、互いに抑制剤を飲むことで、社会生活を円満に送れるよう努力している。
しかし、その日の体調によりフェロモンが漏れ出てしまうこともあり、あのように匂いが漂う場合もしばしばあった。
今回、比較的匂いが強かったことから、スタッフの中に発情期を隠したΩが混ざっていた可能性があった。波多野が確認しに行ってくれたのはそういうことだった。
この世界では肉体的性差があるにも関わらず、平等に配慮配慮と言い多様性を守れと言う。だからその中で、誰もが自分を守らなければならなかった。
第二性において、αは圧倒的優位とか強者とか好き放題言われている。しかし実際はご覧のとおり――スキャンダルに気をつけろと言われ、このようにびくびくしながら生きている日々だった。
昂世は天井を眺めながらぼんやりと思う。
生まれついた身体は変えられない。その事実はみな等しく同じだ。
互いに人生を壊される可能性があるなかで、気を使い合って生きていかなければならない。
ただ、なぜこんなにもびくびくしながら生きなければならないのだろう。
本当は誰しも自由であるはずなのに。頂点と言われるαでさえ、実際は搾取される存在で、遺伝子に翻弄され縛られ続けている。
自分が演じる役の中の彼らのように、身体に左右されず生きることができたら――。
きっとその人生は、どれだけ幸せなのだろうか。
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