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2章 始動
2 『まほろばに鳥はもう来ない』
しおりを挟むどうやら、映画の話は本当にドッキリではないらしい。
自分のスケジュールを改めて見た昂世は驚いた。初の主演映画を前に、ドラマなどほかの時間を要する仕事は完全にセーブすることになっていた。
それは映画撮影が初めての自分に対する、波多野の気遣いだろう。
映画製作は、これまでのどんな作品よりも長い時間をかけて作られる特別なものだ。
基本的な流れとして、まず衣装合わせと顔合わせ、さらに読み合わせが事前に行われる。このとき演技イメージの共有が行われ、その後すぐに撮影が始まっていくのだ。先方からは、すでに衣装合わせと顔合わせ、読み合わせの日程が通達されていた。
――この日までに、ある程度の演技プランを作っておかなければ。
周囲から全力を尽くせと全面的なサポートを受けた昂世は、ちょうどいま自室で届いたばかりの脚本を開くところだった。
映画のタイトルは「まほろばに鳥はもう来ない」。
第二性が存在しない時代を舞台にした、男同士の純恋愛作品だ。
昂世はこの作品で、酒造の跡継ぎとして大学の理工学部で学ぶ大学四年生――中谷優人を演じる。
ダブル主演ではあるものの実質彼が主人公であり、観客は彼に感情移入しながら物語を追いかけていく。そのため非常に重要な役回りだった。
物語の始まりは、すでに自分の未来が見えて人生に閉塞感を感じている優人が、モラトリアムをすごすように学生生活を淡々と送るところから始まる。
このまま何もなく、何も起こらず、地元に戻ってあの田舎で生涯を終えるのだ――そう思っていた矢先、配属された研究室で須藤静河に出会うのだ。
初めは愛想のない嫌なやつだと思い嫌っていた優人。にも関わらず、ひょんなことから須藤の優しいところに触れ、次第に彼に惹かれていく。
そうして徐々に彼の抱えた闇に触れ、助けたいと思いながら自分の何も出来なさに苦しんでいく。葛藤しながらもがき続け、そして最後は自ら別れを選び、物語は終わりを迎えるのだ。
一度脚本に目を通したあとで、昂世はそれをぱたりと閉じてベッドの上に横になる。
その頭にあったのは、底しれぬ不安だった。
――俺は……本当に中谷優人を演じられるだろうか。
心配の原因はわかりきっていた。そもそも自分に全く恋愛経験がないのだ。
ストーリー序盤は高校生レベルのささやかな恋からはじまるので、そこまではいい。ただそれは次第に愛へと変わり、思いを告げたあとは濃厚なラブシーンもある。
またそれは次第に執着となり、優人はこの人を幸せにしたいと願う一方で、憎しみに燃える表情も見せるようになる。こんなになるまで人を愛したことがなく、ましてや身体を繋げたことすらない自分に、演じられるのだろうか――。
またもうひとつ不安があった。それは昂世自身がこの作品の舞台をまだよく理解できていないことだった。
この映画の舞台では、第二性は存在しない。ということは、かつて主体であった第一性である男女の恋が一般的であるということだ。そのため男同士は普通恋をしないはずなのに、彼らは惹かれあって身体を繋げてしまう。
昂世には、それがどうも理解できなかった。
この現実世界では、ヒトは第二性の放つフェロモン、そして身体に支配され縛られている。だからβ同士やαΩ間で夫婦となるのが一般的で、当たり前のことだ。そのため監督はこの映画で、αβ間の恋とかαα間の恋とか、そういう性を越えた愛を表現したいのかと昂世には思えた。
ただそれは当事者にとって、笑えるくらい突飛で非現実的だと思えた。
性を越えた愛ということは、肉欲から始まらない純粋な愛ということだ。身体やフェロモンに関係なく、人を好きになることとも言える。
そんなことはありえないと、昂世は断言できた。
なぜなら心の中に芽生えた好きという感情は、ただの脳の動きにすぎないのだから。それは理性や思考と同じ種類のものであり、いとも容易く本能に負けることを昂世は知っていた。
――この監督は、きっとβだ。
αやΩの、あの強烈な本能に支配される感覚を知っていたら、絶対にこの話は書けない。だからこれはお伽噺のような、まるで理想の夢物語のように思えた。
その瞬間、この映画もこれまでの作品と同じようにこなせる気がした。自分と関係ない作り物の世界なら、これまでと同じようにうわべで取り繕えるに違いない。
ただ心配なのは、あの水上周の存在だった。
ダブル主演のあの男は、次の読み合わせできっと自分の隣に座るだろう。再び強い香りが漂ってきたとき、あの内なる声に支配されないよう、多めに抑制剤を飲んでいかなければならなかった。
昂世は、脚本の冊子をもう一度開いた。
不意に水上のあの白い肌が思い浮かび、甘い香りがした気がした。
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