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2章 始動
5 始まり
しおりを挟む大学の撮影地は、都心からやや離れたのどかな所にあるキャンパスだった。
最近建てられたような直線的で近代的な建物や、大きな図書館が目を引いた。
また、撮影場所としてふさわしいと誰もが納得したのは、見るからに男女比の偏った学生たちの姿だった。
この大学はどうやら理系しかない専門大学らしい。道行く学生は大半が男で眼鏡をかけており、賢そうな雰囲気を醸し出していた。
『まほろばに鳥はもう来ない』の舞台はとある大学の理工学部なので、言わずもがなだった。
そういう理由もあって、衣装も髪型も仕上げて「中谷優人」になりきった宮城昂世に、気付くものは誰もいなかった。
そもそも、宮城昂世を知っている人自体が少ないのだろう――そう思いながら、昂世は後ろを歩く波多野に声をかける。
「……波多野さん、意外とこうやって歩いていても、気付かれないものなんですね」
「…………」
それに何故か反応がなかったのでもう一度声をかける。
「……波多野さん?」
「……ああ!そうだな!ははは。こうして歩いていたら、ゼミの一団みたいに見えるんだろうな。ははは」
その声はみるからに上擦っていた。
確かに、今のこの状況ではしょうがないと昂世は思った。先日アナウンスのあった通り、今日は監督ら主要スタッフと共に、大学構内を視察して回っていた。
実際、大学の雰囲気や学生の空気感を肌で感じることができて、この機会を与えてくれた加納に心の中で感謝した。
しかし、まさかこの忙しい人も付き合ってくれるなんて――そう誰もが思っただろう。
波多野の動揺の原因は、この場に須藤静河に扮した水上周もいることだった。
今日の水上は相変わらずの仕上がり具合で、くたびれた白衣を身に着けており完璧に見えた。そんな姿を前に波多野が喜びを隠せないわけだ。
監督たちスタッフが綿密な打ち合わせのため一行から抜けると、変わりに一人の学校関係者が現れ、校内を案内してくれた。
その若い女性の緊張した眼差しの中に、強い視線が込められていることに昂世は気付いた。
おそらく、宮城昂世の存在を確認したのだろう。
途端、昂世は自分の不甲斐なさにため息を付きたくなった。なぜなら、自分よりも近い距離に――女性のまさに目の前に水上周がいたのだから。
――あなたの目の前に、あのイケメン俳優がいますよ。
昂世はそう言うのを堪えて、言葉を飲み込んだ。そしてもっと努力しなければと決意した。
自分から出ているらしいこの「ギラッギラオーラ」をどうにか消して、水上のようになけれは、と。
講義棟、図書館を順に巡り、最後は研究棟だった。
スタッフによると、キャンパスが建設されたばかりでちょうど学部が引っ越しをしている最中らしい。それに合わせることで、研究室を撮影用に長期間借りることができたそうだ。
研究室は広々としていた。
ただ棚と一体化したデスクが間仕切りのように並び、圧迫感を醸し出していた。そこにはすでに専門書や試薬が乱雑に並んでおり、無秩序な印象も与えた。
昂世は思わず聞く。
「これ、本物なんですか?」
「はい、そうみたいです。スタッフさんからの希望で、研究室の一部だけでも引っ越ししてくれないかとご相談を受けまして。ここの先生が監督の大ファンということで、すぐに了承したそうです」
「……へえ」
水上のさらりとした返事を無視し、学校関係者は続ける。
「撮影では、この研究室含むこの階を自由に使って頂くことになっています。監督達スタッフの皆さんは隣りのミーティング室でまだ打ち合わせをされているので、もう少しお待ちください。それでは、失礼します」
女性はそう言うと、仰々しくお辞儀をして駆け足で出ていってしまった。
途端、部屋に沈黙が訪れた。昂世と波多野、そして水上と彼のマネージャーの四人だけが残された。無機質な部屋の中で、不意に波多野が言う。
「昂世、喉乾いただろう?俺、飲み物買ってくるよ」
「……ありがとうございます。お願いします」
波多野が部屋から出て行き、同時に水上のマネージャーもスマホを手に外へと出て行った。扉が閉まり、そして気づけば静かな部屋に水上とふたりになっていた。
昂世は今しかないと思い、口を開いた。
「……水上さん、あの……今日は本当にありがとうございました。明日からの撮影に向けて、すごくいい時間になりました」
「そうだね。僕も来れてよかった」
そう淡々と言う言葉に、負の感情は含まれていないように思えた。
昂世は気になっていたことを聞いてみる。
「水上さん、ほかのスケジュールは……」
「ああそれに関しては大丈夫。大森にこの仕事最優先で調整してもらってるから、安心して」
その言葉に昂世がほっとしていると、水上が何かに気付いたように言った。
「――そうだ。今日は視察もそうだけど、君に言っておきたいことがあって来たんだ」
「え?」
「君がこの作品に選ばれたのは何故だと思う?」
唐突に聞かれ昂世は考える。しかしそうしたところでわからなかったので、諦めて口を開く。
「……それは、俺が知りたいです」
「ははは。特別に教えてあげる。君みたいなきらきらしたものを蔑みたい人間が、この世には意外とたくさんいるっていうことだ」
「…………え?」
水上が何を言っているのか昂世は一瞬理解できなかった。呆然としていると、水上は構わず続けた。
「脚本にはもう目を通したんだろう?」
「……はい」
「主人公の大学生中谷優人が進むのは、泥にまみれた愛憎と悲恋の渦だ。君のようなきらきらした優秀そうな男が、ぐちゃぐちゃになる姿を世間は求めているっていうことさ」
そう言われ、途端昂世の中で何かが腑に落ちた気がした。
例えば、フェロモンの暴走により第二性間で突発的な暴行事件が起こった場合、原因が何であれまず叩かれるのはαなのだ。
Ωには同情的な視線が向けられ、αだけが酷いパッシングを受ける。それはまるで生まれつき与えられていたものに対する、僻みのように。
水上が言いたいのは、きっとそういうことなのだろう。言わば自分は主演の冠を被った客寄せパンダということだ。
「――そういう姿を世間から期待されてるってこと、頭にいれておくといい。でないと君の心が持たないよ」
「……はい」
「今回、僕の双璧として選ばれたからには、こっちも容赦はしないつもりだ。そのほうが、君にとってもいいと思うから」
そう言うと、水上は厳しい表情から一変、微笑んだ。
まるで学生が先生からアドバイスを受けているような、そんな既視感のある光景に昂世は不思議に思う。
――こんなこと、どこかであった気がする。
最近だろうか、そうふと思ったところで気付いた。
いや、まだやっていない。これは映画の中のシーンのひとつだ。
それに気付いた瞬間、昂世の中でぶわりとイメージが沸き上がった。
『まほろばに鳥はもう来ない』そのストーリーの序盤。
始まりとなるささやかな気持ちは、この無機質な実験室でふたりが会話をするところから始まる。まるで芽吹くように生まれたそれは少しずつ、季節と共に育まれていく。
春にかけて、徐々に暖かくなる研究室のあの窓辺で。優人は須藤への思いの高まりを感じる。
それに気付き花が開くように夏を迎え、そして色づくように成熟を迎える秋があって。
最後はそれが散るように終わりへと近づいていく――。
その季節の変化と対象的に描かれるのは、必ずこの不変の研究室で。物語はこの場所で始まり、この場所で終わりを迎えるのだ。
昂世はまさに今、その始まりにいた。
「――じゃあ、撮影で」
そうさらりと言って席を立った水上は笑っていた。
その笑顔は、これまでの微笑みのどれとも違うものに見えた。
――気付いた?
まるでそう言いいたげな、少年のようないたずらっぽい笑顔だった。
水上はそれだけを残して、颯爽と部屋から去っていった。
昂世がひとり呆けていると、後ろから現れたのは波多野だった。
「……手厳しいな」
「わっ!…………波多野さん、いつから聞いてました?」
波多野は答えず続けた。
「それにしても、さすが水上周……ストイックだと思っていたが想像以上だな。ただ、想像以上に喋る人なんだな」
「……そうですね」
確かに、言葉だけ聞けば波多野の言う通り厳しいものなのかもしれない。けれど昂世は、どこか優しさを感じていた。まるで現実を教えた上で一緒に頑張ろうと言っているように思えた。
水上に言われた言葉を頭の中で反芻しながら気付いた。
『君みたいなきらきらしたものを蔑みたい人間が、この世には意外とたくさんいるっていうことだ』
あの口ぶりは、おそらく自分がαであることに気付いたのだろう。
ただ、水上は忌避するような嫌な顔を全くみせなかった。特にΩであれば、なぜここにαがというような恐れのこもった鋭い眼差しを向けるはずなのに。
水上は大物俳優だから慣れているのだろうか。それともいい客寄せだと内心笑っているのだろうか。
昂世はそれらの雑念を振り払った。
どう思われていたとしても、自分がやることに変わりはなかった。
求められているものに応える、昂世がすべきことはそれだけだった。
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