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3章 映画の世界
4 好調の理由
しおりを挟む次の撮影は、夜の研究室で室島と喧嘩をするシーンだった。
脚本によると、昂世演じる優人の所属する室島ゼミは大半が大学院進学する設定だ。その中で優人は進学せずに卒業する珍しい進路を選ぶ。そこで互いに指導の在り方を巡って対立するのだ。
これまでのらりくらりと適当だった室島に対し、優人はきっちりとした指導を願う。
しかし卒業が決まっている生徒に尽力することは労力の無駄だ――そう言った室島の前で、ならば自分が指導をしようと手を挙げたのが水上演じる須藤静河だ。
このとき、始めて優人が須藤を意識する。
なぜ自ら手を挙げ、面倒な役回りを引き受けてくれたのか、と。
そんな印象に残るシーンとして演じなければならない一種のプレッシャーがあった。
ただ、心配とは裏腹に彼らはリテイクなしの一発で撮影を終えることになった。
――あっさりオーケーが出た。
波多野にもアドバイスをもらって、しっかり演技プランを練ったからだろうか。
監督からの合図にほっとする昂世に、声をかけたのは室島役の加納だった。
「座長、どうしたんだ?最近随分調子いいじゃねえか」
「え、そうですか?」
「ああ。もちろん。間も完璧だったが、特に表情がよかったぞ。よく準備して参加してると見える」
「……ありがとうございます。確かに、前より気合入ってるかもしれません」
実際、以前よりも順調に撮影が進むようになり、準備時間はしっかり取れるようになっていた。
またそうなったからこそ、キャストだけでなく現場で動くスタッフにも余裕ができたのではと昂世は思う。
最近になって、この現場に流れる特別な居心地のよさを感じていた。
これまで撮影の現場では、常に気を張っていなければならなかった。いや、張っていることが当たり前だと思っていた。
それに駄目出しをし、力の抜き方を教えてくれたのは水上周だった。
けれどそれを出来たのは、きちんとした環境が整っていたからだと思えた。特にこの現場に第二性を思い起こさせる人がいないからだと昂世は思った。
不意に、最近自分がαだと意識したことがあっただろうかと考える。
これまでの現場では、大抵キャストのΩやスタッフに絡まれ、よくわからない威嚇を受けていた。だからαである昂世はそれに気を使わなければならなかった。
しかし、今はどうだろうか。
おそらく作品テーマもあるかもしれない。第二性の存在しない世界の物語を作っている訳で、皆ひそかに気を使っていくれている可能性はあった。ただ、どちらかというと皆仕事に対する強い熱意があって、それ以外のことはどうでもいいという一体感があった。
それはΩである水上も同じだった。
あの人がこれまで、自分のことをαとして扱ったことなんてなかった。
「αなのだから出来て当たり前」そう言ったことはなかったし、どんなときも不器用だが丁寧に教えてくれた。
ひとりの宮城昂世として自分を見てくれる、そんなこのチームでこれからも仕事がしたいと思うようになっていた。
「最近、調子よさそうだね」
撮影後に声をかけてきたのは水上だった。
どうやらこの後も仕事が詰まっているらしい。手には先ほど来ていたはずの白衣を抱えていた。
「ありがとうございます。でも、すべて水上さんのおかげだと思います」
「それは言いすぎじゃないか?君が努力したからだろう」
水上の穏やかな笑みを見ていると、何故だか心が和らいだ。
――明日も、そう言ってもらえるように頑張ろう。
意気込む昂世の耳に、鋭い声が飛び込んできた。
「――周、次が控えてる。少し急いでくれ」
「……げ、そうだった」
珍しく嫌な顔をする水上に、昂世は聞く。
「次も撮影ですか?」
「いや、雑誌のインタビューなんだ。先方からどうしても、少しでもいいからって言われて。じゃあ、また」
そう言って立ち去ろうとする水上を前に、昂世の口は無意識に開いていた。
「――あの!」
それは切羽詰まっているように聞こえたのだろうか。どこか心配な表情を浮かべて水上が振り返ったので、昂世は急いで言う。
「連絡先……教えてくれませんか?」
返答は一瞬だった。
「いいよ。スマホ出して」
あまりにも唐突過ぎて、昂世は無意識のまま言われたとおりに自分のスマホを出し、連絡アプリを起動する。
「僕、あまり見ないから期待しないでね――え……なんでそんな嬉しそうな顔してるの?」
そう言われて昂世は気づいた。
どうやら、自分は嬉しそうな顔をしていたらしい。
少しも自覚がなかった、昂世は焦りながら一応確認する。
「え……俺嬉しそうでしたか?」
「うん。顔に出てる。役者失格だね」
そう笑顔で言われ、思わず恥ずかしくなる。
確かに、今はそれどころじゃなくて本当に無意識だった。
昂世がひとり焦っているのも束の間、背後から大きな声が飛んだ。
「周!」
「うわ、大森がキレはじめた。――よし、これでいいかな。じゃあ、またね」
「はい、また!」
手を振り急ぐ水上の背を眺めながら、昂世は胸に妙な達成感が生まれているのを感じた。
それは、多忙な水上と映画について共有できる時間が、少しでも得られるかもしれない嬉しさだろうか。
またこの撮影が終わったあとも、消えない繋がりができたからだろうか。
「昂世、嬉しそうだな」
後ろから声をかけた波多野に向かって昂世は満面の笑みを浮かべた。
撤収作業を続けるスタッフの中にまざり、ふたりは楽屋へと戻っていった。
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