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5章 自覚
3 甘いひととき ※
しおりを挟む次の撮影が行われる『優人の部屋』は、すでにそのときを待っていた。
中谷優人の個性や内面を表すその場所は、学生の部屋と思えないくらいものが少なかった。
しっかりとした木の本棚には、教科書やビジネス書、また教訓めいたタイトルの文庫本が並ぶ。そのとなりには整頓されたデスクがあって、ほかには小さなテレビはあるもののゲームはなく、散らかされてもいなかった。
彼の生真面目な性格が反映されているのだろうか。そんなどこか大人びた様相に、昂世は少しだけ自分の部屋と既視感を感じていた。
物足りない今を感じてそれを変えることを諦めているような、無駄のない寂しい部屋。今が過ぎ去るものだと思って決められた将来が訪れるのを――受け入れるしかない優人の無力感そのものを表しているように見えた。
そこにちらほらと置かれた須藤のものが、どこか異質で色鮮やかに見えた。まるで今のこの小さな幸せが、唯一の希望であるように。
今日のシーンは、実験終了後の優人と出張後の須藤が夜の駅で合流したあとのことだ。まるで新婚のように買い物をしたふたりが優人の部屋に向かい、お鍋とお酒を楽しみながら、幸せな雰囲気でまぐわう。
すっかり手慣れておねだりも覚えた優人と、心を完全に開いて甘い顔をする須藤は、キスをして風呂場に向かう。ふたりでどうってことのない雑談を交わしながら風呂に入るシーンがあって、そのあとがいよいよ濡れ場だった。
先に身体を拭き終え、部屋へと戻った須藤。そのあとを追うように優人がタオルを被り、脱衣所から出てきたところからスタートだった。
監督の合図があり、ついに撮影は始まった。
『――早く、須藤さんとくっつきたい。』
濡れたままの頭をタオルでわしゃわしゃと拭きながら、優人はワンルームに戻る。
須藤はすでにそこにおり、布団の上に寝そべってこちらに背を向けて何か書類を読んでいる。それは印刷された論文で、優人が以前須藤にもらったものを机の上に置いていたのだ。
『――こんなときまでこの人は。』
須藤の相変わらずなところを優人が愛しく思っていると、机の上のスマホが震える。
一回、二回、三回と振動するも、須藤はそれを気にもとめない。だが四回目、ついに須藤が起き上がろうとしたとき――。
『今日は俺だけ見てよ』
そう言って優人は須藤を正面から抱きしめる。
『……ごめんごめん』
はにかむ須藤の口を再びキスで塞ぎ、布団へとなだれ込んだ。
ひんやりとした肌の心地よさを全身で感じながら、昂世は思わず久しぶりの感覚に胸が沸き立つのを感じた。それは自分の腕の中にいる須藤が、以前よりも幸せそうに応えるのも大きかった。
――仕事だ。この人は須藤静河だ。
物語上のふたりはもう何度も身体を重ねていて、互いが互いを愛しいと求める顔をする。だから今自分に向けられている愛しい微笑みは――守りたいと思うこの笑顔は、中谷優人に向けられたものであって、宮城昂世に向けられたものではない。
そう自分に言い聞かせながら、昂世も優人として笑みを浮かべながら、何度も須藤に口付けを落とした。
その後、続けざまに覆い被さるように正常位で動くシーンがあって、次は須藤がバックで悶えるカットで終了だった。
柔らかく青白い背中に愛おしむように何度もキスをしてから、腰を両手で掴み自分の方へと引き寄せる。
昂世の下半身は、もう何かあればすぐに大きくなりそうだった。それを水上の前張りで覆われた尻に押し当てて、腰を振る演技を始めた。
水上が自分に向けて尻を突き出し、剥き出しの白い背中と腰があらわになっていた。その艶かしい光景に、昂世は自分が興奮し始めているのを感じた。
誰よりも大切で尊敬する人が、自分の身体の下で自分の与える快楽によって身を震わせているのだ。あくまでも感じている演技だが、その扇情的な光景に昂世は自分の一部が燃え上がるように熱を持っていることに気がついた。
――このシーンでカットがかかるはず……早く終われ。
そうしなければ自分の中で何かが弾けてしまう――そう思ったときだった。
――……ん?
腿の内側が湿っている気がしたので、昂世は不意に視線を落とした。すると水上の尻を覆う前張りが水分でじゅくじゅくになっていることに気付いた。
途端、ふわりと漂ったのは甘い香りだった。
――まずい。
次に見えたのは水上の剥き出しの白い首筋で。昂世がその背に覆い被さろうとしたそのとき――。
「カット!」
響いたのは監督の声だった。昂世はようやく正気に戻り、今自分が何をしようとしていたのか気付いて青ざめる。
――……危なかった。
前張りの隙間から滲んだ透明な液体は、Ωから出る愛液そのものだった。それは性行為をする前にΩが発情して出す潤滑剤であることは周知の事実だった。
思わず昂世は驚いた。
裸で肌を重ねて行為のフリをしているのはあくまで仕事だ。名だたる俳優の水上周なら、濡れ場なんて何度も経験しているはず。だから肌を合わせただけでこの人が興奮するわけがなかった。
――それなら……今この人が濡れているのは。
昂世はそう思いながら、いまだ布団に腹這いのままの水上に向かって平常を装って言う。
「水上さん、カットかかりましたよ」
「ああ。ごめん……少しめまいがして」
「……大丈夫ですか?」
思わず手を差し出すも、それはぺしりと弱々しく水上の手に弾かれてしまった。
「心配ないよ。最近……少し、忙しくてね」
そう言うと水上はふらつきながら、差し出されたバスローブを受け取りそれを羽織って控室に戻っていった。
脇からマネージャーが付き添う様子を後ろから眺めながら、昂世はひとり呆然としていた。
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