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6章 運命を前に
2 声の主は
しおりを挟む撮影後、昂世が帰ろうと準備をしていた楽屋に駆け込んできたのは波多野だった。
「昂世!江口監督がお前と少し話したいって」
監督から直々に呼び出されたとなれば、若手はそれに従うしかない。
なんだろう、そうぼんやりと思いながら昂世は指定された控室へと向かった。
「失礼します」
ノックをして声をかけると、監督――江口みちるは目の下にくまをつくりながらも笑顔で招き入れてくれた。
「宮城くん、忙しいのに呼び出してごめんね。……最近、体調どう?」
その疲れた様子とこちらを労う言葉に、昂世は監督にも撮影の負担や心配をかけていたことに気付き、頭を下げる。
「……ご心配おかけしてすみません」
「ああ、違う、そうじゃないの。水上さんの件が気になってて。あの日……結構こっちにも流れて来てたから」
流れて来てたから――それは水上の香りを監督も感じていたということだろうか。そう思った昂世は思わず聞く。
「監督も……わかったんですか?」
「一応、私もαだからね。ただ距離が距離だったし、少し匂いがするなって程度だったけど……まさか宮城くんは違った?」
匂いがする程度だったのか――昂世がやはりと思っていると、どうやら監督はその間の沈黙を肯定とみなしたらしい。
「――それならごめん。仕事とは言え辛い目に合わせちゃって……エゼプロさんに、急いで謝りにいかないと!」
それはいますぐにでも飛んでいきそうな様子だったので、昂世は急いで訂正する。
「それは気にしないで下さい!仕事ですし、ちゃんと抑制剤も飲んでますしあのときも効いてましたから。ただ声が……」
「……声?」
監督の言葉に、思わず変な事を言ってひかれてしまったかと戸惑った。しかし目の前にいる江口は正真正銘αなのだ。
同じ感覚を知っているかもしれない――そう思った昂世は聞いてみることにした。
「…………自分の声が聞こえるんです。まるで言うことを聞けっていうみたいに……頭の内側で強く響くようになったんです」
「自分の頭の中で、勝手に声が響いてるってことだよね」
「……はい。そのとおりです」
すると監督は腕を組んで、しばらく考え込んだ後でぽつりと言った。
「性別はさ、呪いだよね」
「……え?」
「自分では変えられなくて、一生背負っていかなければならないもの。宮城くんも、水上さんも……もちろん誰もがみんな平等に与えられたものだけど、公平ではない、呪い。そう思わない?」
平等ではあるが公平ではない呪い――その言葉は、昂世の中でどこかしっくりときた。
皆、性別を選べないし、変えられない。それは皆に平等に与えられているものだ。しかし性別によって得られるものは同じではない。
昂世が頷くと、江口は微笑みながら続けた。
「――ただね、その呪縛の中でどう生きるかは自由なの。私はさ、宮城くんみたいな声は聞こえたことはない。だけどこれまで生きてきた中で、周りの人からの声はたくさん聞こえた。……もちろんいい言葉もたくさん頂いたけど、多くは私を縛り付けようとする呪いの言葉だった」
表現者として、映画監督として生きようとするαは確かに珍しいだろう。
そんな中で、この人は周りからどれだけの言葉を言われたのだろうか。ここまでの地位に上り詰めるまで、親しい人からも相当言われたに違いない。そう考えて昂世は身震いした。
「……本当はさ、この世界に縛りなんてないはずなのに。若い頃の私はそれにずっと縛られていたの。きっと宮城くんも、心の中で無意識に自分自身を縛っているんだと思う」
「…………自分で、自分を」
「この作品ではね、そんな人を縛り付ける声がどれだけ無意味か。この作品であなた達は自由だということを暗に言いたいと思っているの。だから、その声を聞いてはだめ。それは君が君自身を縛る言葉だよ」
「…………」
昂世が何も言えずにいると、扉がノックされて助監督が顔を出した。
「監督、そろそろ……」
「あ、もうこんな時間!ごめんね。長居させちゃって」
「いえ、大丈夫です。……監督」
「?」
「ありがとうございました」
監督を見送り部屋から出て、ひとり楽屋に戻る廊下を歩きながら、昂世は中学のときのことを思い出していた。
それは放課後、友人と教室で話していたときのあの嫌な記憶。突然友人が発情して、自分はそれにあてられて気付けば教師たちに羽交い締めにされていたあのときのこと。
涙を流す友人は自分に向けてこう言った。
『お前が……αじゃなければ俺は……』
あれは、本当にαの自分に対する非難の言葉だったのだろうか。今になって考えると、彼自身も自分がΩであることを受け入れられずに言ってしまったのではと思えた。
あの日以来言葉も交わすことなく、彼とは疎遠になってしまった。しかし、今となってはそもそもαとΩであっても、ずっと友だちでいられたのではと思えた。
それを無理だと拒絶して自分を縛ったのは――自分自身ではないか。
――俺は……あのときから少しも成長していない。
この現場で皆と作品を作りながら、少しは成長できたと思ってたのに――自分は昔と変わらず駄目な奴のまま。
途端、昂世を強い目眩が襲った。
あたりから徐々に色が消え、思わず壁に寄りかかる。けだるさに包まれた彼の朦朧とする視界に入ってきたのは、焦った顔をして駆け寄る波多野の姿だった。
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