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7章 終わりの足音
1 終幕に向けて
しおりを挟む「室島将悟役の加納隆平さん、本日オールアップです!」
「――お疲れさまでした!」
現場で拍手が響き渡る中、加納が花束を受け取り微笑みをカメラに向ける。先日、すでに三隅役の藤波がすべての撮影を終えており、続いて今日は加納と言う訳だ。
物語はあとワンシーンを残して、すでにエンディングまでの撮影を終えている状況だった。
キャストひとりひとりが役を終えて物語を去っていく姿を前に、昂世は自分と水上に残された時間もあとわずかであることに気付く。
この撮影が終わってしまえば、こうして顔を合わせることも、隣りで演技する幸せな時間もすべてなくなってしまう。
――俺にとってもこの撮影は『まほろば』になってしまうのだろうか。
夢のような、まぼろしのように儚いひととき。ひとたび過ぎ去ってしまえば、もう二度と戻ることはない。
そうして寂しく思うも、昂世にとってあとひとつだけ残された最後の場面――それを本当に撮影できるのかという心配の方が大きかった。
「……加納さん!お世話になりました。本当にありがとうございました」
現場をあとにしようとする加納に声をかけると、彼はハンサムな笑みを浮かべて応えた。
「おう、座長。最後までありがとな。楽しい現場だったよ。……そうだ。お前、水上とはどうだ?うまくやれそうか?」
その言葉に思わずびくりとする。加納のまなざしはすべてを知っているように優しくこちらに向けられていた。
「……加納さんは、何でもお見通しですね」
「そりゃあな。お前がおかしいのはそうだが、水上があれだけぎくしゃくしてるのも、初めて見るからな」
加納の言う通り、昂世は処方された薬のおかげで以前よりもめまいや立ち眩みはずっとよくなっていた。
しかしそうして対策しているとはいえ、水上を前にすると腰がひけるのは事実だった。
水上本人の体調がまだ戻りきっていないということで、彼が主体のシーンを最後に残しほかのシーンの撮影が行われていた。そんな中、現場で水上の姿を見かけるたびどうしても避けてしまっていたのだが、そのときちらりと横目で見る水上周は、あのときのことなど何もなかったように見えた。ただ、加納の目にはどうやらぎくしゃくして見えたらしい。
「そうなんですか?」
「ああ。お前に気を使いすぎてるように見える。あいつは基本仕事意外どうでもいいやつだろ?」
「そういえば、そうでしたね」
「それがお前のことばかり気にして、何とか声をかけようとしてるから笑ったぜ。中高生の恋愛かっつうの。……でもお前もお前だよ。なんであいつを避けんだ?」
途端鋭い鷹のような目がこちらを刺すように向けられ、昂世は諦めてため息をついて言う。
「そりゃあ、もう……加納さんだから言いますけど……水上さんを前にしたら、自分が何をしでかすかわからなくて心配で」
「……前の撮影のときは大丈夫だったんだろう?」
「まあ、そうですけど……ぎりぎりでしたよ」
「ふうん。なら、普通に喋るくらいは大丈夫じゃねえか?俺はβだからそういう感覚はわかんねえが、薬も飲んでるんだろう?強いやつ」
「……はい。一応」
「なら少しくらい話した方がいいんじゃないか?最後のシーンもあるんだろう?そんな状態で心配じゃあないのか?」
加納の言葉は胸にずぶりと突き刺さった。
そのとおり、よりによって残されていたシーンは、ふたりが最後に身体を交わす濡れ場だった。
優人がこれで最後と心に決め、それを知らない須藤を愛おしく抱く最後の行為だ。
「正直……心配でたまりません。だけどこれで最後ですし、ここまで本当にいい画が撮れていると思います。スタッフの皆さんから、そんな熱を感じているんです。だからあと少しだけ俺にできることを頑張ります」
きっとこの身体は、あの人に近づいた途端反応してしまうだろう。自分のものにしたい――そんな燃えるように沸き上がる欲望と戦うのだ。
けれどあと一回。あと一回だけで終わりだった。
自分が中谷優人でいられるのも、水上との撮影も。
そしてきっと今のふたりの関係も。
「そうか。まったく……ふたりとも本当に最後まで似た者同士だな。もう少し聞いてやりたいところなんだが……俺も時間がな」
「あ……呼び止めてしまってすみませんでした!」
すると加納は少し考えた後で閃いたように言った。
「そうだ!……今日の十八時に、二十五階の西エレベーターホールに来てくれ」
「?……は、はい。わかりました」
「じゃあ、よろしくな」
そう手を振ってその場を後にする加納に対し、昂世は珍しいと思った。さっぱりとした性格で、あまり他人に関わらない性分のベテラン俳優が、なぜここまで面倒をみてくれるのだろう。
昂世は疑問に思うも波多野に事情を説明し、次の仕事をずらしてもらい指定された場所へ向かった。
二十五階の西エレベーターホールは、テレビ局内でも人の気配の少ないところだった。
エレベーターが開き、だだっぴろく誰もいないそこへ足を下ろし、昂世はなぜ加納がこの場所に来いと言ったのか疑問に思う。しかし数歩歩き、ふと柱の陰の死角にスペースが設けられていることに気付いた。
思わず足を踏み入れると、そこは大きな前面窓から東京のまばゆい街並みと夕陽が望める、小さな休憩スペースになっていた。
小さなベンチと静かに沈んでゆく太陽に、昂世は既視感を覚えた。
それは大学構内での撮影中。序盤のゼミシーンの撮影の合間に、こんな美しい風景とともに見たのが初めての水上の笑顔だった。
少年のようにやんちゃでくしゃっとした笑顔。
あのときにはもう恋に落ちていたのだろうと昂世は思う。
すべて運命だったから――そうではなく、そこにいたのが水上周だったから。あの人だから目を奪われて、あの人だから好きになって、そしてαの欲望との間でここまで葛藤することになった。
それもいよいよ明日で終わりだった。
――俺は、大丈夫なのだろうか。
心も身体もすでに水上周でいっぱいだった。
その状態で彼と離れて普通に生活できるのか、わかっていたものの心配だった。
昂世は不意に背後から人の気配を感じた。加納がやってきたと思い、振り返る。
「加納さん、こんなところよく知って――水上……さん」
そこにいたのは、昂世の愛してやまない水上周の姿だった。
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