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8章 公開へ
4 転換点
しおりを挟むイベント中、言いつけを守らず大暴れした昂世は、波多野と社長にこっぴどく怒られた。そうしてひととおり叱責の言葉が並べられたあとで、よくやったと褒められた。
昂世本人としては、あのとき口から出た言葉は自分のものではないと思っていた。あれは水上ならこの状況で何を言うだろうか――そう考えて思い浮かんだ水上の言葉だったから。
だから決して自分のおかげではないと思っていたものの、実際この一件から『まほろば』を取り巻く風向きが変わったのは事実だった。
今回の報道が映画の公開とほぼ同時だったのが幸いしたのだろうか。それとも、ジェンダーに関する社会性の大きい話題ということで、イベントがワイドショー各種で生中継されたからだろうか。
初週を終え、映画の成績とも言われる観客動員数はすでに目標を大幅に超えていた。その勢いは二週目以降も留まることを知らず、邦画として破竹の勢いで興行収入を積み上げていった。
初週は話題性で足を運んだ人も多いといわれるそんな中。それ以降も足が止まらなかったのは、実際に映画を観た観客からの感想が申し分なかったからだろう。
多くの映画ファンは、監督の編集力とカメラワーク、また照明の成す画の美しさに震えた。そしてその映像の成すストーリーテリングに熱狂した。先行公開の日本人はもちろん、海外勢からの反響もすでにあった。
しかし多くの言葉は一般人からのものだった。その多くはキャストの迫真の演技について語るものばがりで、SNSを通じて本人たちの耳にも届くことになった。
宮城昂世のフレッシュな顔が愛憎に歪み、こんな表情ができるのかと言う驚嘆の声。同時にそんなリアルな感情表現が、多くの観客の感情移入を誘ったらしい。
また水上周の生み出す須藤の不器用さやぎこちなさと、愛に必死に応えようとする姿とのギャップに悶える人が続出した。
さらに脚本が多くの人の心に刺さったのが、大きな要因とする人もいた。
江口監督が当初この映画のターゲットとして挙げていたのは、第二性に翻弄される人々だった。しかし彼らだけでなく、いわゆる第一性に違和感を覚えて生きる人たちからも同調の声が上がったのだ。
性を超えた純粋な愛、そして、別れへの悲しみ。またこの世の無常さが人々に響き渡るように広がり、ついには映画を観る前と観たあとという「まほろば前後」という造語が生まれるくらい、反響は大きなものとなっていた。
だから映画出演以降の昂世は、とんでもない量の仕事に恵まれることになった。恋愛映画はもちろん、サスペンスなど比較的硬いドラマ出演も殺到したのだ。
また大きな変化は、これまで一切なかったCMが急増したことだった。波多野曰く、あの公開イベントでの真摯な対応が企業に響いたらしい。
そうして昂世が新たな仕事にてんやわんやしていた頃だった。信じられない一報が届いたのは――。
「昂世!今から急いで事務所へ来てくれ!」
そう波多野から電話がかかってきた日は相変わらずオフだった。しかし昂世はもう何も言わずに事務所棟へ向かった。
社長室に入ると、すでにおなじみの顔ぶれが揃っていた。社長、専務、波多野の上司、そしてすでに涙ぐんでいる波多野本人だった。
「波多野さん……何があったんですか?」
すると突然彼は抱きついてきて、こう叫んだ。
「昂世!アカデミー賞にノミネートされたぞ!」
喜ぶ波多野を無視してほかの人に声をかけると、どうやら『まほろばに鳥はもう来ない』が作品賞、脚本賞、芸術賞とアカデミー賞の数々にノミネートされたらしい。
あの監督たちと制作陣なら総なめにするだろうな――そう昂世はひとり納得した。
するとそれを見ていた専務が波多野を小突きながら言った。
「ははは!宮城くん全然驚いていないじゃないか」
「……そうですね。あの人たちなら獲りそうだなと思っていましたから」
ひとつの作品を作る中で、これまで感じたことのない一体感を感じた――そんな撮影だったと昂世は思う。
皆で同じものを見つめ、それに向かって作り上げ協力していくチームワークとコミュニケーション力の高さは圧倒的だった。それは皆、自分がプロフェッショナルだという実感があって、監督の頭の中を具現化するためなら何も厭わない――そんな熱意を共有していたからだと思えた。
江口監督の凛々しい笑顔を思い浮かべていると、なぜか社長がにやりとした顔で言った。
「……じゃあもうひとつ。君はこれを聞いたらどんな反応をするだろうな」
「……え?」
これ以上のことなんてあるのだろうか――そう思った昂世に社長は続けた。
「君、宮城昂世が主演男優賞にノミネートされたんだ」
「昂世!よくやったな!」
感極まって泣きついてくる波多野を避けながら
昂世は思わず反射的に聞いてしまう。
「え、俺ですか?水上さんは?」
「水上周は助演男優賞でノミネートされたよ」
専務の言葉に昂世は思わず安堵した。そして徐々に湧き上がってきたのは、燃え上がるような喜びと嬉しさだった。
それは自分が評価されたことよりも、皆で作り上げた『まほろば』が評価されたこと。そして水上とまた肩を並べられる嬉しさだった。
水上とは、あの一件以来一度も顔を会わせていなかった。そもそも水上から連絡はひとつとしてなく、昂世も増えた仕事に忙殺されていて、それどころじゃなかった。
あの報道後、ネット上で声明を発表したらしい。
その内容は役者も人でありプライベートがあるという淡々としたもので、最後はお決まりの『本人に任せている』それだけだった。
実際そのときすでに騒動は落ち着いていて、水上の対応に騒ぎ立てるものいなかった。
社長が言っていたように出版社はというと、まほろばの制作陣に謝罪の声明を出しただけだった。むしろ今となってはそのタイミングのよさから、そういうマーケティング戦略だったのではという懐疑的な声すら上がっていた。
だからアカデミー賞の喜びを共有しようと、本当に久しぶりに水上に連絡しようと昂世がスマホを開いた時だった。
とある通知を確認すると、それが告げていたのは水上本人からのメッセージだった。
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