色色奇譚

南 鈴紀

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第四話 朧の夢

第四話 六

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 そうして戻ってきた成世に野菜の入った籠を渡され、天音と黎夜は村内で買い物と挨拶まわりをしながら家路を辿った。家に到着する頃には夕方になっていた。
「逢魔が刻の前に着けて良かったね」
 橙色の大きな夕陽が眩しい。見上げた夕空は広く高く、久しぶりに清々しい気分だった。
「そうだね。とはいえ、ここのところ人外化生は現れないけど」
 腕に抱えていた米袋と籠を一度地面に下ろし、黎夜は伸びをする。そして籠の中を覗き込んだ。
「白菜に大根……。道理で重いわけか。あ、人参と牛蒡もある」
 野菜は成世が分けてくれたので、買い物では米と生もの、必要最低限の調味料を買い足した。細々したものと豆腐を持たされた天音は「ねえ、これどうするの?」と腕の中のものを抱え直す。
「ひとまず台所に運ぼうか」
「はーい」
 玄関を上がって左手に居間があり、廊下を挟んで右手には二間の和室がある。さらに廊下を進むと水回りが整えられていて、台所はその左側だった。真白ノ国の本邸に比べれば遥かに小さいが、天音が生活を主にしていた離れよりはよほど立派である。住人がいなくなってさほど日が経っていないのか、それとも人が住まなくなってからもまめに手入れがされていたのか、古くても汚い印象は受けない。
 黎夜とともに台所に入った天音は彼の指示のもと、抱えていた食材を片付けていく。もとより量はないのですぐに終わった。
「俺は今から夕飯の支度するけど、天音は……」
「見たい!」
 好奇心の赴くまま、天音は身を乗り出す。食事はいつも出来上がったものを取りに行くだけだったので、どのようにして料理が完成するのか気になっていたのだ。
「まあ、そうなるよね」
 黎夜は微苦笑を浮かべたが、拒否することはしなかった。
 玄が天音の守り人として邸に住まうようになってから、黎夜の自炊の機会はめっきり減ったが、忘れないようにと暇を見ては料理の練習をしていた。難しいものは作れないが基本的なことはできるので、ただ生活する分には困らないだろう。
 黎夜は流し台に向き合い、野菜を洗い始める。天音はその後ろ姿を輝く瞳でじっと見つめていた。
「黎夜は本当になんでもできるね」
「そう見えるならじい様のおかげだろうね」
 天音と出会う前、黎夜は玄に連れられ方々を旅していたという。そのとき、生活するにあたって必要なことを仕込まれた、というのは昔から話に聞いていた。しかしこうして実際に目にしてみると、玄の教えだけではないと思った。もし天音が料理の仕方を教えてもらってもすぐにできるようにはならないだろう。
「じゃあ、玄さんも黎夜もすごいんだね」
「話聞いてた?」
「聞いてたよ!」
 天音は思ったままを口にしただけだが、黎夜に怪しいものを見る目で見られた。天音は言い募る。
「だって教えられただけじゃ身につかないでしょ。黎夜も頑張ったからできるようになったと思うの」
 幼いころ、勉強や剣術に励んでいた黎夜を知っている。同い年なのに天音よりずっと賢く、生み出される文字は流麗で、剣を振るえばその美しい剣筋に魅了される。確かに玄の教えは素晴らしかったが、それ以上に黎夜自身の弛まぬ努力があったらこそだと天音は思っていた。
「できるようになるために頑張れることがすごいんだよ」
 虚を突かれたように黎夜は一瞬料理の手を止めた。
 多くの者が結果を望む中、天音は過程を認めてくれる。努力することが辛いときもあったが、他でもない天音がそれを知り、またそんな彼女のための力になれているのなら全て報われる気がした。
 わかるかわからないかくらいの黎夜の微かな笑みに天音は気づいたのか。誇らしげな笑顔を浮かべていた。
 そうして天音が特別な術のようだと感動しているうちに料理は出来上がっていた。居間の卓に置かれたそれを見て、天音は目を瞬かせる。
「鍋、だよね?」
 天音の知っている鍋は膳の上にも乗るような一人前の大きさの鍋だが、目の前のそれはその三、四倍の大きさはある。
 天音の困惑を正しく読み取った黎夜は訝しむでも呆れるでもなく「そうだよ」と答えながら、小皿に鍋の中身を取り分けていた。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」
 ふたりで声を揃え「いただきます」と手を合わせる。
 貰い物の白菜に大根、追加で買った豆腐などが姿を変えて取り皿に盛られている。どれも湯気を立てており、熱そうだ。火傷しないように慎重に一口食べて、天音はぱっと目を輝かせた。
「美味しい!」
「なら良かった」
 黎夜はふっと目元を和らげて、自分の食事に戻った。
 邸で供される鍋料理に比べれば丁寧さも上品さも足りないかもしれないが、これはこれでいくつもの食材の旨味が出ていて間違いなく美味しいと感じられた。
 夕食はきれいに平らげ、湯浴みも終える。天音と入れ替わるようにして黎夜も湯浴みへ向かった。
 居間には火鉢が焚かれていて、朧気ながら行燈も灯っている。夕食の名残もあり室内はあたたかいが、ひとりきりとなるとなんとなく寒々しいような気がした。浴室の方から微かに物音がするので黎夜がいることはわかるが、他に音がしないためかえって静かさが際立っている。
 ふと視界の端で影が蠢いた。
「……っ!」
 息をのみながら部屋の隅にできている小さな闇の塊を見る。
 しかしよくよく目を凝らせばそれはただの影に過ぎなかった。隙間風が行燈の火をゆらめかせ、影が動いただけのようだ。
「気の、せい……」
 嫌な動悸のする胸を押さえ、天音は小さな息を吐いた。
 動く闇を見るとどうしたって人外化生を想起させる。贄ノ儀式以降、人外化生は天音の前に現れてはいないが、それらに対する絶望的な恐怖だけは変わらず天音の心に巣くっている。
 それは繰り返される痛みの中見た終わりのない地獄のようなあの時間だけではなく、贄としてお役目が果たせなかったばかりか多くの命を奪う結果になってしまったことへの罪業感に近い恐怖も含めてだ。
 きっと贄として死ぬことが正しかった。けれど罪深いと知りながら、天音は未来を望まずにはいられなかった。黎夜は『業を負うべきは俺なんだよ』と言っていたが、天音はそうは思っていない。何があったにせよ、最終的に生きる道を選んだのは誰でもない天音自身なのだから、天音にだって業はあるはずだ。
 だからこそ生きていられるこの時間が尊く、同じくらいに苦しかった。
 本来あるはずのなかった時間で笑っていられる。そのときの楽しい、嬉しいといった感情に嘘はなく、生きることに喜びを感じている。
 しかしふとした瞬間に暗い囁きが聞こえるのだ。その時間は望んではいけなかったものだと、多くの犠牲の上に成り立っているものだと。それをわかっていて自分は笑っているのかと。
 本能のままに生命を求めようとする人外化生と、欲のままに幸せを望もうとする自分と。果たして本当の化け物はどちらだろう。
 単純に死んでしまえばよかったとは思わないが、純粋に生きていてよかったとも思えず。
 本当はどうすればよかったのだろうか。
「……わからないよ……」
 人前では決してこぼさない弱音が、静寂の空間に溶けて消えた。
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