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第四話 朧の夢
第四話 一三
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「……っ!」
「馬鹿っ!」
そう、この瞬間、確かに『痛い』と感じた。
(だけど、痛いのはわたしじゃなくて……)
怒声とともに鋭い風切り音が鳴り、断末魔の叫びがあがる。灰燼に帰す闇の向こう側に別種の黒がのぞいた。
「……黎夜」
鞘に納めた刀よりよほど鋭いのではないかと思う視線で、黎夜は天音をきっと睨みつけた。
「っ、どうして……!」
真っ直ぐに向けられる黒い瞳を捉えた途端、思いは言葉よりも先に涙に変わっていた。
「⁉」
滅多なことでは泣かない天音が、はらはらと声もなく涙を流している。黎夜は衝撃と困惑に、続けようとしていた言葉を失った。
天音が無茶をすることは珍しくなかったので、度々黎夜が𠮟責することはあった。しかし、黎夜に怒られたことを理由に天音が泣いたことなど一度としてなかった。
だからこそ、なぜあの天音が今泣いているのか、本当にわからない。
「……天音?」
黎夜は静かに天音の側に膝をつくと、心配そうに顔をのぞきこんだ。
黒の瞳が近づいたことにより先ほどよりもずっと明瞭に、精確に、いくつもの感情が奔流となって天音に押し寄せる。
怒り、悲しみ、悔しさ……。他にもあるが、黎夜の抱く思いの詳しいところまでは天音には読み解けない。ただ、これだけは間違っていないと直感する。
「……痛い……」
「え⁉ 何、怪我してるの⁉」
「ううん、怪我はしてないよ。痛いのも、わたしじゃない」
一度は大きく見開いた目を、黎夜は怪訝そうに細めた。
「なら『痛い』ってどういう……」
「痛いのは、黎夜だよ」
「……」
自分を襲った幻痛なんか比にならない、泣かずにはいられないほどの痛み。まるで共鳴したかのように、泣かない黎夜の代わりに天音は泣いていた。
「……俺も、怪我なんてしてないけど」
「うん、そうだと思う。『痛い』って言ってるのは黎夜の心の方だから」
「……なら、なんで俺が『痛い』って思ってるのかは、……わかる?」
黎夜は否定しなかったが、代わりに天音に静かに問いかける。
天音が最初に『痛い』と思ったときに聞いたのは『馬鹿っ!』という黎夜の怒声だった。
「……馬鹿って言ったよね」
「言ったね」
「……怒ってる?」
「怒ってはいるよね。それで?」
「それで……」
「……」
「……それ、で……」
理由はそこではないと黎夜が断言してこないということは全くの見当違いということではないのだろう。
(無茶するなって釘を刺されたのに言うことをきかなかったから呆れてる? それとも再生の力を無暗に使ったから心配させた?)
想像を巡らせてみるがどの理由も『痛い』には結びつかない。
答えに窮し、言葉を詰まらせる天音にとうとう痺れを切らした黎夜から「はあ……」というため息が漏れる。『どうしてそんなこともわからないの』という失望ではなく、『やっぱりわからないよね』という諦念の声が聞こえた気がした。
「確かに俺は馬鹿って言ったよ。誰彼構わず助けようとして結果として危険な目に遭ってるものだから、当然怒りもあった」
「う……」
「けど、本質はそこじゃないんだよ。……ねえ、天音」
天音をすっと射る瞳は、ぞっとするほど冷たいものだった。
「なんであの瞬間、抵抗することを諦めたの?」
まるで裏切りを糾弾するかのように凍った声は天音ですら初めて耳にするもので、それが他でもない自分に向けて発せられていることをすぐには受け入れられないでいた。何か言わないと、と思うのに言葉が思い浮かばない。それはそうだろう。否定の言葉はただの嘘、今の黎夜の前では意味を成さないとわかりきっているのだから。
それすらもきっと見透かしているだろうに、黎夜は追及の手を緩めなかった。
「自分には人外化生を斃せないから仕方ないと思った? 逃げられなかったから受け入れるしかないと思った? 助けを求めて誰かを巻き込むくらいなら死なない自分だけが犠牲になればいいと思った?」
「あ……」
ようやく気付く。冷たい瞳は、悲しさと悔しさにこぼれる涙を冷える心で固めてできた氷のようだと。
「どうして自分を蔑ろにするの? どうして諦めるよりも先に、……俺の名前を呼んでくれなかったの?」
(ああ、だから、だったんだ)
さすがの天音も痛みの正体を知った。
黎夜は、例え天音自身であっても、いままでずっと大切に守ってきたものを踏みにじられたことが許せなかったのだろう。その上、信じられていないと天音の心を疑った黎夜自身のことも許せず、追い打ちをかけた。『他の誰か』ならともかく自分なら巻き込まれても天音を守れるだけの力はあるのに、ここにきて突き放された。それらのことに傷ついた。だから『痛い』だったのだ。
冷たい瞳で睨まれて、凍った声で詰問されて。最初こそどうしてよりにもよって自分が、と受け入れられなかったが、痛みの正体を知った今なら素直に納得できた。
「……傷つけたのは、わたし、だったんだね」
黎夜にとって誰よりも大切な天音だからこそ、天音自身を蔑ろにしてほしくなかったし、一番に信頼してほしかった。それを天音にだけはどうしてもわかってほしかった。
死人が出ずして自分ひとりが痛いだけで済むなら、助けを求めたばかりに誰かを傷つけることになるなら。自分を犠牲に独りで戦う、それが天音にできる『守り方』だと思っていた。
けれど、それでは守れない人がいるようだ。それこそ天音が誰よりも失いたくないと強く願う人だった。
「ごめんね、黎夜」
天音の真摯な態度に、黎夜の溜飲は下がったようだ。小さく頷いて応えた後の黎夜の声音は、普段の静かなものに近かった。
「馬鹿っ!」
そう、この瞬間、確かに『痛い』と感じた。
(だけど、痛いのはわたしじゃなくて……)
怒声とともに鋭い風切り音が鳴り、断末魔の叫びがあがる。灰燼に帰す闇の向こう側に別種の黒がのぞいた。
「……黎夜」
鞘に納めた刀よりよほど鋭いのではないかと思う視線で、黎夜は天音をきっと睨みつけた。
「っ、どうして……!」
真っ直ぐに向けられる黒い瞳を捉えた途端、思いは言葉よりも先に涙に変わっていた。
「⁉」
滅多なことでは泣かない天音が、はらはらと声もなく涙を流している。黎夜は衝撃と困惑に、続けようとしていた言葉を失った。
天音が無茶をすることは珍しくなかったので、度々黎夜が𠮟責することはあった。しかし、黎夜に怒られたことを理由に天音が泣いたことなど一度としてなかった。
だからこそ、なぜあの天音が今泣いているのか、本当にわからない。
「……天音?」
黎夜は静かに天音の側に膝をつくと、心配そうに顔をのぞきこんだ。
黒の瞳が近づいたことにより先ほどよりもずっと明瞭に、精確に、いくつもの感情が奔流となって天音に押し寄せる。
怒り、悲しみ、悔しさ……。他にもあるが、黎夜の抱く思いの詳しいところまでは天音には読み解けない。ただ、これだけは間違っていないと直感する。
「……痛い……」
「え⁉ 何、怪我してるの⁉」
「ううん、怪我はしてないよ。痛いのも、わたしじゃない」
一度は大きく見開いた目を、黎夜は怪訝そうに細めた。
「なら『痛い』ってどういう……」
「痛いのは、黎夜だよ」
「……」
自分を襲った幻痛なんか比にならない、泣かずにはいられないほどの痛み。まるで共鳴したかのように、泣かない黎夜の代わりに天音は泣いていた。
「……俺も、怪我なんてしてないけど」
「うん、そうだと思う。『痛い』って言ってるのは黎夜の心の方だから」
「……なら、なんで俺が『痛い』って思ってるのかは、……わかる?」
黎夜は否定しなかったが、代わりに天音に静かに問いかける。
天音が最初に『痛い』と思ったときに聞いたのは『馬鹿っ!』という黎夜の怒声だった。
「……馬鹿って言ったよね」
「言ったね」
「……怒ってる?」
「怒ってはいるよね。それで?」
「それで……」
「……」
「……それ、で……」
理由はそこではないと黎夜が断言してこないということは全くの見当違いということではないのだろう。
(無茶するなって釘を刺されたのに言うことをきかなかったから呆れてる? それとも再生の力を無暗に使ったから心配させた?)
想像を巡らせてみるがどの理由も『痛い』には結びつかない。
答えに窮し、言葉を詰まらせる天音にとうとう痺れを切らした黎夜から「はあ……」というため息が漏れる。『どうしてそんなこともわからないの』という失望ではなく、『やっぱりわからないよね』という諦念の声が聞こえた気がした。
「確かに俺は馬鹿って言ったよ。誰彼構わず助けようとして結果として危険な目に遭ってるものだから、当然怒りもあった」
「う……」
「けど、本質はそこじゃないんだよ。……ねえ、天音」
天音をすっと射る瞳は、ぞっとするほど冷たいものだった。
「なんであの瞬間、抵抗することを諦めたの?」
まるで裏切りを糾弾するかのように凍った声は天音ですら初めて耳にするもので、それが他でもない自分に向けて発せられていることをすぐには受け入れられないでいた。何か言わないと、と思うのに言葉が思い浮かばない。それはそうだろう。否定の言葉はただの嘘、今の黎夜の前では意味を成さないとわかりきっているのだから。
それすらもきっと見透かしているだろうに、黎夜は追及の手を緩めなかった。
「自分には人外化生を斃せないから仕方ないと思った? 逃げられなかったから受け入れるしかないと思った? 助けを求めて誰かを巻き込むくらいなら死なない自分だけが犠牲になればいいと思った?」
「あ……」
ようやく気付く。冷たい瞳は、悲しさと悔しさにこぼれる涙を冷える心で固めてできた氷のようだと。
「どうして自分を蔑ろにするの? どうして諦めるよりも先に、……俺の名前を呼んでくれなかったの?」
(ああ、だから、だったんだ)
さすがの天音も痛みの正体を知った。
黎夜は、例え天音自身であっても、いままでずっと大切に守ってきたものを踏みにじられたことが許せなかったのだろう。その上、信じられていないと天音の心を疑った黎夜自身のことも許せず、追い打ちをかけた。『他の誰か』ならともかく自分なら巻き込まれても天音を守れるだけの力はあるのに、ここにきて突き放された。それらのことに傷ついた。だから『痛い』だったのだ。
冷たい瞳で睨まれて、凍った声で詰問されて。最初こそどうしてよりにもよって自分が、と受け入れられなかったが、痛みの正体を知った今なら素直に納得できた。
「……傷つけたのは、わたし、だったんだね」
黎夜にとって誰よりも大切な天音だからこそ、天音自身を蔑ろにしてほしくなかったし、一番に信頼してほしかった。それを天音にだけはどうしてもわかってほしかった。
死人が出ずして自分ひとりが痛いだけで済むなら、助けを求めたばかりに誰かを傷つけることになるなら。自分を犠牲に独りで戦う、それが天音にできる『守り方』だと思っていた。
けれど、それでは守れない人がいるようだ。それこそ天音が誰よりも失いたくないと強く願う人だった。
「ごめんね、黎夜」
天音の真摯な態度に、黎夜の溜飲は下がったようだ。小さく頷いて応えた後の黎夜の声音は、普段の静かなものに近かった。
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