色色奇譚

南 鈴紀

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第五話 泡沫の白昼夢

第五話 五

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 予定より長めの休憩を挟んで、天音と成世は小屋に戻った。
「実はさっき読んでた民話の続きが気になってて。結末が早く知りたくてうずうずしてたの」
「へえ、そんなものまであったんですね」
 にこにこ笑って語る天音に、成世は違和感を抱くことなく朗らかに相槌を打つ。成世は天音の体調は回復したものだと思っているようだが、天音の瞳の輝きは霞んでいた。
 文字を追う速度も並みの人よりは速いが、いまいち集中できず本調子ではない。
 それでも何かをしていないといられない焦燥感に突き動かされて、天音は黙々と字に目を走らせては頁を捲り、棚に分類して仕舞っていった。
 作業は一応進んでいるが心ここにあらずといった状態でどれくらい経っただろうか。
「天音、今日はもうおしまいにしよう」
「待って、大丈夫だからあとちょっと……」
「もう、適当に返事して……。帰るよ」
「うん……、これのきりがついたらね……」
「はい、おしまい。帰るよ」
 影にも気づかなかったが、横合いから伸びてきた手にさっと書物を取り上げられ、天音はようやく現実に引き戻された。
「えっ、あれ、黎夜?」
「一体誰と話してたの」
 呆れを滲ませ嘆息する黎夜の背後には開け放した小屋の扉があり、外がうかがえた。まだ水色の空だが、真昼の白さはなく淡く橙色に染まりかけていた。
「あと四半刻くらいは……」
「駄目。成世さんから聞いたよ、途中調子が悪そうだったって」
 天音には甘い黎夜だが、この時ばかりは鋭く天音の言葉を遮った。成世や黎夜が思うほど自分の体調は悪くはないのにと、天音はへらりと笑う。
「少し疲れただけで休んだら、ほら。もう大丈夫だから」
「どれだけ自分に対して鈍感なの。あと心外」
 しかし天音の予想に反して、黎夜の視線は刺すように痛いものになった。思わず天音から「はぇ?」と間抜けな声が漏れるが、黎夜は無視して続ける。
「そんな誤魔化し、俺には通用しないよ。読書をしてるのに集中してなかったし、笑ってるのに暗いし。そういうときの天音の『大丈夫』は信用してないからね、俺は」
「う……」
 天音としては誤魔化しているつもりはなかったのだが、読書に集中していなかったことも明るい気分でないことも図星を指していたのでぐうの音も出ない。
「そういうことだから、はい」
 すっと右手が差し出される。
「一緒に帰るよ」
「……はい」
 天音は今度こそ素直に頷くと、黎夜の手に自らの手を載せた。瞬間、黎夜が小さく震える。
「うわ、冷たっ」
「あれ、そんなに?」
 ひたりと迫る恐怖に指先は冷えたままだったようだ。長い時間その状態だったせいか、天音は自分の手が冷えていることを気にしなくなっていたが、黎夜の手の温かさに自身の異常さに気づいた。
 黎夜に手を引かれながら小屋を出ると、ちょうど成世が駆け寄ってくるところだった。今日のお礼にと採れたての苺を渡してくれる。
「今日は本当にありがとうございました。元気になったらまた来てください。書物の整理でなくとも、史料を読みに来るのでも構いませんので」
 天音と黎夜もお礼と別れを告げると、村長宅を後にした。
 村の中央から離れていく。その間も手は繋いだまま歩き続けた。
 周囲に畑仕事をする村民すら見当たらなくなったあたりで、黎夜は天音の手を軽く握り直した。
「……不安なことがあった?」
 黎夜のぬくもりを分けてもらったおかげで冷たさは大分和らいだが、それでもまだ黎夜の手の方が温かく感じられる。道中、天音はぼんやりと上の空で黎夜の後をついていて、黎夜は黎夜で核心的なことは尋ねなかった。多くは語らずとも、指先まで冷え切った天音の手から、黎夜は正確に天音の憂いを見抜いていた。
 しばらくの沈黙。ざりざりと土を蹴る音だけがあたりに響いた。
 嘘を吐くつもりはなかったが、口にすれば逃れられない現実としてはっきりと認識してしまう他ないと言葉にする勇気が持てない。なかなか言い出せずにいる天音を、黎夜は急かすことなく待っていた。
 重い口をようやく開く。小さくかすれた声は、不安定に揺れていた。
「わたしは、まだ『贄』なんだって、気づいて……」
 黎夜の手がぴくりと反応するが、彼の表情に大きな驚きはなかった。聡明な黎夜のことだから、もしかしたら最初からわかっていたのかもしれない。残酷な現実を突きつけたら天音がこうして動揺すると予見していたからあえて言わなかっただけで。
 不誠実だと詰る気はない。それが黎夜の優しさだと知っているから。
「お役目を果たせるかもしれないことに淡く期待してるの。でも同じくらい怖くて、……逃げたくて。許されないってわかってても、わたしだって、ただ穏やかに生きたいの……」
 贄としてお役目を全うしたいのも、贄として散るのではなく平穏な生活を望むのも、どちらも天音の本心だ。だからこそ余計に自分の心がわからなくなり、混乱していた。
「わたし、どうしたいのかな……」
 歩みを止めないまま俯く天音を横目でちらりと見遣ってから、黎夜は再び前を向いた。
「天音がどうしたいのかは俺にはわからないし、決められない。だけど」
 一呼吸置いて、凛とした声で言い放つ。
「俺の幸せは天音の側にあるよ」
 それだけは揺るがない想いだと、手を握る力は優しくも力強いものだった。
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