色色奇譚

南 鈴紀

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第六話 微睡みから醒めて

第六話 七

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 困惑する世実は事態を飲み込めていないようだが、その間にも至るところに落ちた影から闇よりも濃い黒い靄が湧き立つ。
 あっという間に人外化生は天音だけを取り囲む。危機的な状況だが、今度こそ世実を巻き込まずに済んだことにほっとする。人外化生は普通の人間を襲うこともあるが、再生の力を持つ人間を真っ先に狙う習性がある。これならば天音しか眼中にない人外化生が世実を標的にすることはない。
「いい? 草の踏み分けられた道を辿れば村の方へ行けるから、村の人に会うまで走って!」
「え、でも、お姉ちゃんは」
「わたしなら大丈夫だから! 猫ちゃん、世実ちゃんを案内してあげて!」
 猫は返事をするようにしっかりと鳴いた。できれば世実の返事も聞きたかったが余裕はない。天音は身を翻して駆け出した。
 人外化生の包囲網に隙間はなかったが、天音は迷わず飛び込んだ。右肩に熱い痛みが走る。しかしそれも一瞬のことで、白い光がぱっと舞い、傷はもちろん破れた服や血の染みまできれいに消える。そのままひた駆けると人外化生もぞろぞろと着いてきた。
(わたしなら、大丈夫)
 自身に言い聞かせるように胸の内で唱える。
 このあとどうしようかなんて考えている暇はなかったので今になって焦りと恐怖に心臓が早鐘を打つ。世実を引き離せたまでは良かったが、天音が人外化生からうまく逃れられる術は空回った思考では浮かばなかった。
 世実を探し回っていたことで残された体力はほとんどなく、黎夜に言わせれば『遅い』人外化生との距離は徐々に縮まっていく。
(大丈夫、大丈夫だから。とにかく何か、考えないと)
 人外化生が顕れてしまった以上、今から明るい場所に出ても意味はない。人に会えても助けは求められない。人外化生を斃すことができる人間は限られているのだ。
「ひゃあ!」
 突然後ろにぐっと引っ張られる。何かと思って慌てて振り返ると、腰布の裾が不格好な枝に引っかかり、穴を開けていた。夜目は利かないが感覚だけを頼りに手を伸ばし、布を外そうと試みる。
「痛……っ」
 枝先を掠めた指先に鈍い痛みが走る。血が出るよりも早く再生の力により傷はなくなったが、安堵する暇はない。どんな方法でもいいから布を外さないと身動きがとれない。きれいに取り外す必要はないのだから破くつもりで布を引いてみるが、力がうまく入らず手が滑るだけだった。
 ちらりと周囲に目を走らせると、列をなして追いかけてきた人外化生はいつの間にか天音を中心に輪を作り、じりじりと迫ってきていた。
 焦るほどに、思うように布を引くことすら難しくなってくる。
 逃げることは叶わず、しかし諦めずに抵抗していると、ふと髪の先に違和感があることに気づいた。じたばたしているうちに今度は長い髪の毛を枝に引っかけてしまったのかとその方を見て、ひゅっと息をのんだ。
 白い髪の先に、黒い靄が絡みついていた。
(痛い、痛い痛い……‼)
 実際には痛覚の存在しない髪の毛なので痛みなど感じるはずはないのだが、恐慌状態に陥った天音にはそれが幻痛だと判じられなかった。
(痛い、怖い……嫌、嫌……っ)
 拍動は速く大きくなり、浅い呼吸は次第に荒くなっていく。震える手に布を持つ力は残されておらず、頭の中は真っ白でほとんど何も考えられなかった。
 ただ一人の姿を除いて。
 天音が真っ先に大事にしたいと思うその人を、なぜこんなときにまで思い浮かべてしまうのか。失いたくないのなら、傷つけたくないのなら、危険なことに巻き込みたくないと願うことが普通のはずなのに、『助けて』の悲痛な叫びとともに彼の顔がふっと浮かび上がったのだ。
 冷たいようであたたかく、厳しいようでいて優しい、慣れ親しんだ黒の瞳が強い光を湛えていた。その人は天音を真っ直ぐに捉えて言ってくれた。
『『助けて』って言っていい、俺の名前を呼んでほしい。必ず、守るから』と。
「助けて……っ。……黎夜っ‼」
「……やっと、呼んでくれたね」
 泣きたいほどの心の痛みを訴えると、柔らかな響きを帯びた涼やかな声が答えてくれた。
 剣の軌跡が目の前で弧を描き、鋭く空気を切り裂く音とともにぶわりと風が巻き起こる。闇の凝りを断ち割った向こう側に現れた人影はとんっと地を蹴ると一息に間合いを詰め、人外化生が反応するよりもずっと早くに剣を閃かせて天音の髪に纏わりついた黒い靄を斬り払った。
 断末魔の叫びが響き渡り、残りの人外化生が怯んだようにぴたりと動きを止める。意味のない呻き声が混ざり合い、不協和音が奏でられるが、凛とした一声は明瞭に天音の耳に届いた。
「天音、無事だよね?」
 黎夜は落ち着き払った風を装っていたが、息は軽く弾んでいた。人並み以上に体力のある黎夜が息を切らせていることはあまりない。余程急いで駆けつけてくれたのだとすぐに気がつき、返事は暗く沈んだものになった。
「うん……」
 黎夜を傷つけたくはなかったのに、やはりこうなってしまった。馬鹿な自分のせいだとわかっているだけに、罪悪感と自己嫌悪で胸がいっぱいになる。
「……ごめんなさい……」
「天音のことだから何か理由があったんでしょ。まあ、だとしても言いたいことは山ほどあるけどね」
 黎夜は手にしていた剣でびっと天音の腰布の裾を裂いた。たちまち枝の杭から解放される。
「でも、それは後。まずはこっちだよ」
 下に向けていた刀をすっと上に構え直して、黎夜は後方を除く三方を睨み据えた。
「すぐに、片を付ける。危ないから天音は動かないで」
 言うが早いか、風のような速さで人外化生の群れに飛び込んだ黎夜はそのまま舞うように剣を振るい、次々と黒い靄を霧散させていく。天音へと一歩でも近寄る素振りを見せようものなら容赦ない刺突が人外化生に飛び、その悲鳴すら掻き消さんととどめが刺された。
 鮮烈で冴え冴えとした剣捌きは、まるで剣舞のように洗練された美しさを持っている。危険だから動かないようにと念押しされたが、それがなくても動けなったに違いない。それほどまでに黎夜の剣筋は天音の目を奪い、心を魅了する。
 予告通り、人外化生はたちまち消滅した。
 刀を鞘に納めた黎夜はくるりと振り返ると、天音のもとに戻ってくる。
「ひとまずここから出るよ。彼女も心配してるだろうし」
 手を伸ばせば容易に届く距離にいるものの、さっさと先を行く黎夜がどんな顔をしているのかはわからない。なんとなく知るのも怖くて天音から隣に並ぶことはできなかった。
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