色色奇譚

南 鈴紀

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第七話 菜の花色の光

第七話 四

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「すっかり仲良くなったんだね」
 黎夜の静かな声に、一刻が経過していたことを知る。顔を上げて意識して見た空はまだ明るいものの、空気は橙色を帯び始めていた。
「黎夜、おかえり」
「仲良く見えるなら邪魔しないでもらいたいです」
 小春は黎夜をじっとり睨む。天音が戸惑ったところで仕方ないのだが、それでも苦笑いくらいは漏れてしまう。黎夜も小春に歓迎されていないことには気づいているだろうに素知らぬ顔のまま対応する。
「日が長いとはいえ夕刻ですので。天音にむやみに夜に出歩かれるのは私としては困るのです。貴女も邸の者が心配するのではないですか。表通りで貴女を探す者を見かけましたよ」
「小うるさい人ですね、あなたは」
 小春は顔を顰め、それから悩ましそうにはあっとため息を吐いた。
「それにしてもせっかく夜まで遊ぼうと思っていたのに、もう探しているなんて……」
「一応釘を刺させていただきますが、それに天音まで巻きこむのはおやめくださいね?」
「あなたに言われると腹が立ちますね。事情は天音に教えてもらいました。あなたにわざわざ言われずともそれくらい弁えていますよ」
 すっくと長椅子から立ち上がった小春の顔色は良く、体にふらつきもない。すっかり元気になった彼女は天音ににこりと微笑みかけた。
「そういうわけなので私はもう少し街を歩き回ってきます」
「えっ、大丈夫なの?」
「はい、天音のおかげでとっても調子がいいんです。邸の者の目を掻い潜るのも慣れているので、すぐには見つからない自信もあります」
 この展望台から伸びる道は表通りへつながる一本しかない。ここからどうやって邸の者を撒こうとしているのかはわからないが、やはり小春は生き生きとした顔をしている。ぱたぱたと駆け出した小春は思い出したようにぱっと振り返った。
「私、明日もここへ来るつもりだったんです。良かったら天音も遊びに来てください」
 小春は大きく手を振ると、今度こそ本当に表通りへ姿を消した。
 彼女がいなくなっただけで展望台は一気に静かになった。遮るもののない崖に爽やかで、けれど一抹の寂しさを含んだ風が勢いよく吹き抜ける。びゅうという風音に黎夜の呟きが混じる。
「事情、話したんだ」
 黎夜は広い空に顔を向けていた。青かった空は橙色と桃色で塗り替えられている。
「まずかったかな……?」
 小春に天音の身分を言い当てられたとき、黎夜は否定しなかった。だから小春になら話してもいいものだと考えていたのだが、今の黎夜の態度を見ていると不安がこみ上げてくる。
 おそるおそる黎夜を見上げていると、彼と一瞬だけ目が合った。しかしすぐにふいっと目を逸らされてしまう。
「彼女になら大丈夫だと思うよ」
 大丈夫という割には黎夜の表情は明るいとはいえない。
 怒ってはいないと思う。不安や心配とも違う。不機嫌ではないようだが、では何なのかと問われるとその正体まではわからない。
 かける言葉に迷って天音がようやく言えたのは凡庸な問いかけだった。
「黎夜、どうしたの」
 黎夜の前には天音がいるはずなのに、彼はぽつんとひとりぼっちで佇んでいるように見える。黎夜に寄り添いたい、自分ならここにいると伝えたくて、天音は長椅子から立ち上がって黎夜の正面に立った。
「小春ちゃんに嫌われてても、わたしは黎夜を嫌いにはならないから大丈夫だよ」
 視界に入ってきた天音を無視することはできず、黎夜ははあっと深いため息を吐くと視線を僅かに下げて天音を見た。
「彼女に嫌われてるのはどうでもいいよ」
「でも、なんていうか……黎夜、寂しそうだから」
「……寂しそう、ね。そんなかわいいものじゃないよ」
 冷笑をこぼした黎夜はくるりと身を翻した。
「暗くなる前に行くよ」
「行くってどこに?」
「宿。さっき探してて見つけたから」
 慌てて後を追いかける天音と視線は合わせないままだったが、黎夜は天音の歩調に合わせてゆっくりと歩いていた。



 宿は外観こそ町並みに合わせた瀟洒な石造りだったが、中は馴染みのある和式づくりだった。朧ノ村の小さな家よりも真白ノ国の邸の離れを思い出すような最低限の調度品しかない簡素な部屋だ。それでも宿としては申し分なく、清潔で大きな不便もしなかった。
 初めての外つ国に、初めての女友達。天音はずいぶんとはしゃいでいた。楽しんでいたようだが慣れないことだらけで疲れていたのも事実だろう、宿に着いて寝支度を整えてすぐに眠りについていた。
 すやすやと穏やかな寝息を立てている天音を見ると、邸を出た後のように夢に魘されてはいないようで良かったと安堵する反面、悔しくて小憎らしい気持ちにもなった。
 日記に走る字が微かに乱れている。それはそのまま今の黎夜の心境でもあった。
(寂しいなんてかわいいものじゃないんだよ。……これは、嫉妬だ)
 天音の境遇を理解できるのも、その上で彼女に寄り添えるのも自分だけだった……今日までは。
 天音が小春に向けていた笑顔は、成世や陽太たちといたときとは違う、無邪気な明るいものだった。そんな笑顔を向けてくれるのは自分だけだと思っていたのに、あっさりと小春に奪われた。
 姫であり、生贄であることは黎夜に成り代われることではない。同性だからこその気安さもあると頭ではわかっている。
 天音に女友達ができることはきっといいことだ。でもそのせいで天音の興味が黎夜から逸れていったらと思うと、苦しくなる。
(嫌だな)
 それが狭量な自分に対してか、天音にとっての新しい友人に対してかははっきりしない。
 はっきりしないのは自身の身の振り方もだと思うと嘲笑が漏れた。
 天音の価値は贄姫にあるのではない、自分は守り人ではなくても天音を守りたいと再三口にしておきながら、その関係に囚われているのは自分の方ではないかと思う。
 姫と従者という線引きがなくなったなら、自分の気持ちに気づいてほしいと願う瞬間があるのなら、ただ一言『好き』だと伝えればいい。
 そうしないのは過去の関係に流されるまま、小春にさえ奪われない『天音を守る』という役目で、誰よりも天音の側にいられる理由を手放したくないからだ。今の曖昧な関係に居心地の良さを覚えて、変わることを恐れている。
 天音に『どうしたの』と訊かれても正直に答えられるはずがない。こんなにも浅はかで醜い、自分勝手な理由で嫉妬していると言えば、優しい彼女は忌避しないだろうが、きっと困らせるに違いないから。
 日記帳を閉じる音と自身のため息がぴったりと重なった。
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