色色奇譚

南 鈴紀

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第一話 思い出語り

第一話 六

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 翌日。
 この日も早朝の祈祷を終えて、天音は勉強部屋で絵草子を読みながら玄たちがやって来るのを待っていた。
 辰の刻を半刻過ぎたころに、玄関の戸が引き開けられる音がした。
「姫様、おはようございます」
 一人分の声しか聞こえないことに少しの不安を抱きながら、天音は廊下を駆けて玄を出迎えに行った。しかし心配は杞憂に終わった。
「おはよう。玄さん、黎夜くん!」
 天音が元気いっぱいに笑いかけると、玄はいつものように「おはようございます。姫様は今日も元気ですな」と笑い返した。黎夜には天音のような溌剌とした元気もなければ玄のような朗らかさもなかったけれど、丁寧に頭を下げて「おはようございます」と返してくれた。
 そのことが天音にとっては嬉しくて思わず目を輝かせると、黎夜は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたがすぐに澄まし顔に戻ってしまった。
 その様子を見守っていた玄は苦笑いしていたが、二人を見る眼差しは慈しみに満ちたものだった。
「さて、本日の講義と参りましょうか」
 今日も楽しい一日になりそうだという予感を抱きながら、天音は大きく頷いた。

 こうして講義があるときは離れで共に学ぶようになってから一週間ほどが経過した。
この日は玄の都合がつかないということで珍しく講義がなかった。しばらくは絵草子を読んでいた天音だったが、それにもいよいよ飽きてきたので今度は庭に出ることにした。寒いが澄んだ空気が天音を出迎えた。
「つまらないなぁ……」
 天音の呟きが離れの庭にぽつんと空しげに落ちる。
 玄や黎夜といるときには全く気にならなかったが、天音の住居である離れ周辺はきれいに整えられた木々と隙間なく敷き詰められた玉砂利だけで、美しくはあるものの殺風景である。その上、人の気配も感じられないものだから余計に寂しく感じられるのだ。
 玄と出会うまでは離れに独りきりという状況は然して珍しくもなく、そういうものだと、仕方がないと諦めることができていたのに、今ではすっかり独りきりを嫌がる自分がいた。
「日向兄様は……忙しいよね」
 五歳年上の天音の異母兄である日向は、王の正妻の子で次期国王になると目されている。いつ会いに行っても日向は天音を歓迎してくれるが、教養を身につけるために日々勉学に励み、忙しくしていることは天音も知っていた。
「玄さんはいないし……。そういえば黎夜くんはどうしてるかな」
 黎夜の部屋は、守り人の役目を果たせるように本邸の、離れと近い場所に部屋を与えられている玄の部屋の隣にあるらしい。
 この一週間ほどの付き合いから、天音の訪問を黎夜が笑顔で歓迎することはないと予想はするが、それでも暇を持て余し、じっとしているよりは良いだろう。
「うん、行ってみよう!」
 意気揚々と離れを出て、本邸には上がらずに庭に回る。途中で何人かの家臣とすれ違い、白い目で見られたが、いちいち気にしてはいられないと天音は気づかないふりをしてやり過ごした。
そうして少し歩くと玄の部屋の前に出た。隣室の障子戸は換気のためか僅かに開けられている。
「黎夜くーん、いるー?」
 隙間に向かって天音は黎夜に呼びかける。しかし応答はない。
 もしかして聞こえなかったのだろうかと思い、先ほどよりも声を大きくして再度声をかけてみる。
「黎夜くん、いないのー? 天音だよー」
 やはり返事はない。
 庭でじっとして待っていると、あっという間に指先もつま先もかじかんでくる。何も考えずに行動したものだから、羽織物もない。
 羽織を着て出直そうか、その間に黎夜が出てくるかもしれないなどと考えているうちに、体が冷えたせいか天音は思わずくしゃみをしてしまった。
「うぅ……。やっぱり一回戻って……」
 天音が踵を返しかけると、背後で障子戸の開く静かな音がした。
「……何をなさっているのですか」
 天音がぱっと振り向くと、外廊下に黎夜が呆れ顔で立っていた。天音は黎夜の前に駆け寄ると無邪気な笑みを見せた。
「黎夜くん! 遊びに来たよ!」
「……はぁ。そんなことだろうと思いましたよ……」
 黎夜は深いため息を吐くが、天音は全く気にすることなく勢い込んで黎夜に尋ねる。
「黎夜くんは何してたの?」
「勉強です」
 拒絶の意味も込めて黎夜はきっぱりと答える。すると意外にも天音は「そっかぁ」と納得した様子を見せた。
「じゃあ、遊べないね」
「そうですね。ですから戻っていただけませ……」
 黎夜が言い切る前に、天音はにっこりと笑った。
「だったら一緒に勉強すればいいね!」
「……なぜ、そうなるのでしょう」
「え? だって遊べないけど、勉強はできるんだよね? それに一緒にやった方が楽しそうじゃない?」
 天音の無邪気な笑顔を前に黎夜は絶句し、小さくため息を吐くと部屋に戻った。
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