色色奇譚

南 鈴紀

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第二話 運命の時

第二話 五

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 梅雨が明け、本格的な夏が訪れた。
 あの日以降、人外化生が真昼に出ることは度々あり、気を抜ける時間はどんどん減っていった。それでも天音は笑みを絶やさないし、黎夜も弱音は吐かない。ほとんど緊張状態にあるため疲れていないといえば噓になるが、二人一緒なら頑張れると思えた。
 離れの庭。夏のきつい日差しによって照らされる日なたは焼けつくような眩しさで、対照的に日陰はくっきりと暗く、じめじめしている。
 今日もそこから人外化生が湧き出していた。
 黎夜は相手の懐に素早く入り込むと刀を薙ぎ払った。耳障りな断末魔の叫びもすっかり聞きなれて、黎夜は眉ひとつ動かさず次の一体に斬りかかる。別の靄が黎夜を取り込むように背後から襲いかかるが、黎夜は前後に迫った人外化生を自身を中点に、円を描くようにしてまとめて斬り伏せた。靄が消滅していき、その後ろにあった景色がはっきりと見えるようになる前に、さらなる人外化生が呻き声をあげながら前進してくる。狙いは黎夜の後ろに控えている天音だろう。黎夜は小さく舌打ちすると容赦ない刺突を繰り出した。刀を勢いよく引き抜くと人外化生は霧散していく。黎夜は冷たい目でそれが完全に消滅するのを睨んでいた。
「……黎夜」
 天音がそっと呼びかけると、黎夜はすっと振り返った。天音を見る目にはもう冷たさの欠片も残っておらず、凪いだ穏やかさの奥に優しさを隠した天音のよく知るいつもの彼の瞳をしていた。
「ありがとう、守ってくれて」
 天音が微笑むと、黎夜は「当然」と答えた。口ぶりこそ素っ気なかったものの、形の良い唇は小さな弧を描いていた。
 真夏の晴天の中、いつまでも外に立ち尽くしているのも良くないと、どちらからともなく室内に戻ろうと歩き出す。
 その一歩目を踏み出したのと同時に、天音は妙な浮遊感を覚えた。例えるなら硬いと思っていた地面が実は羽のように柔らかく軽かったと知った瞬間のような足元の覚束なさに似ている。それに視界がふわふわちかちかする。
「あ、れ……?」
「天音。天音、大丈夫?」
 一瞬、意識が曖昧になったが、いつになく真剣な黎夜の呼びかけに天音は意識を引き戻すとぱちぱちと目を瞬かせた。気づいたときには天音は黎夜に抱きとめられていた。
「天音?」
「え、あ。うん……?」
 天音のぼんやりとした返事に不安を覚えたのか、黎夜は天音の顔を覗き込む。いつものように憎まれ口を叩くでもなく、呆れた顔をするでもなく、このときの黎夜はありありと心配そうな表情を浮かべていた。
「本当に大丈夫なの?」
「……日に当てられちゃったかな? うん、もう大丈夫だよ」
 不意の立ち眩みを夏の暑さのせいにして、天音は誤魔化すように笑った。
 本当はそれだけが理由ではないと自覚はある。
 人外化生はこの頃動きを活発にしていて、昼間に天音を襲うだけでは飽き足らず、町にもよく出現するようになり、真白ノ国の民をも標的にし始めたと聞いていた。加えて以前よりの流行り病は収まるどころか蔓延する一方で、町の治安も悪化しているらしい。そして町ではそう遠くない未来に真白ノ国は崩壊するのではという噂が囁かれているという。
 だから天音は今まで以上に身を削って、祈りノ儀式を執り行っていた。真白ノ国の民に安らぎと幸せがもたらされるようにと、天音の身命を代償に女神に祈念する。
 しかし、天音がいくら力を尽くしても完全には崩壊を止められていないのが現状だ。力及ばないことに悔しさを覚えながら、天音はそれでも腐らずに祈り続ける。今の彼女にできるのは、祈りノ儀式によって真白ノ国の崩壊を遅らせることだけだった。
 心身を蝕む疲労を押しやって、天音は気丈に振る舞う。黎夜の腕の中から抜け出ようとしたとき、右手首を掴まれ、思いの外強めの力で引き戻された。
「黎夜……?」
 天音はきょとんと小首を傾げて黎夜を見上げた。
「天音は、どうして……」
 黒い瞳は左右に揺れて切なげな色を浮かべていたが、天音には黎夜が何を言いたいのか、なぜそんな苦しそうな顔をするのかわからなかった。
 二人はしばらくの間見つめ合っていたが、黎夜はいよいよ諦めたように力なく天音の手首を放した。
「ごめん。今の、忘れていいから」
「え?」
「室内に戻って涼もう。休めるときに休んでおいた方がいいよ」
 身を翻し、さっさと歩き出す黎夜の背を、天音はひたすら不思議そうに見つめていた。
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