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第二話 運命の時
第二話 六
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盛夏が過ぎ、残暑を乗り越え、涼やかな風が秋の訪れを告げる。その秋も深まっていき、晩秋を迎え、あっという間に年末になった。
そして年始の挨拶や祭祀が落ち着いてきた頃。
天音の努力の甲斐あって、真白ノ国の崩壊はまだ免れていた。それでも徐々に現状は悪化している。町に出現した人外化生が人を食い殺したり、流行り病により多数の民が命を落としたりしているという話を天音も耳にしていた。王命により国を挙げて対策を講じているらしいが、追い付いていないのだろう。被害は拡大する一方だという。
贄として生かされている天音にとって、この状況を他人事だと看過することはできなかった。
思いつめた表情で部屋の中央に置かれた火鉢に手をかざす。以前から考えていたことがある。開いていた手をぎゅっと握って、天音はとうとう覚悟を決めた。
天音の向かい側で温かいお茶を淹れていた黎夜はふと手を止めて、天音の顔を見た。彼女の硬い表情に嫌な予感を覚える。
「黎夜。わたし、これから儀式ノ間に行こうと思うんだけど……」
「何をしに? まさかとは思うけど、祈りノ儀式をやるとか言い出さないよね? 今朝だけでもふらふらだったのに?」
「え、わたし、まだ何も言ってないよね?」
目を丸くする天音を見て、やはりそうかと、黎夜は盛大なため息を吐いた。
「俺は反対だよ。仮に今回だけやったところで現状が劇的に良くなるとは思えないし、だからといって毎日継続するなんて天音の身がもつはずないことくらい容易に想像がつくんだから」
「でも……っ。それが贄であるわたしのお役目なんだよ? 無理でもなんでも、わたしがやらないと……」
「……天音はさ、本当にそれでいいと思ってるの?」
天音をひたと見つめ返す黒い瞳からは正確な感情がうかがえない。今にも泣きだしそうな、静かな怒りを燃やしているような、そんな瞳だった。
思わずたじろぐ天音を前にして、黎夜は淡々と言い募る。
「天音がお役目に忠実で、誇りをもってることは知ってるよ。それを否定はしない。だけど、それはあくまで『贄としての天音』でしょ。じゃあ、『ただの天音』はどう思ってるの?」
「それ、は……」
天音はすぐに答えることができなかった。生まれ落ちた瞬間から生き方を決められていた。贄であることは避けようのない運命で、ならばその中で生きていくのしかないのだと思い込んでいた。初めから考えることをしなかったのだ。
黎夜もそれはわかっているだろうに、敢えて指摘してきた。切迫した現状に追い立てられたのかもしれないし、積もり積もった不満がいよいよ抑えきれなくなったのかもしれない。
「……」
「……」
答えを待ち続ける黎夜と、答えに窮する天音。両者の間に耳に痛いほどの沈黙が落ちる。
そうしていると本邸から届く音も聞こえるような気がした。否、本当に聞こえてきた。滅多に客の訪れない離れに近づく焦りに駆られた足音が。
「失礼いたします、姫様はおられますか!」
今しがたまでとは別の意味で、天音と黎夜は顔を見合わせた。立ち上がり、玄関に向かう天音のすぐ後に黎夜も続く。
玄関扉を開けると、そこには家臣である年若い男性が緊張した面持ちで佇んでいた。
「姫様、急なことで恐縮ですが、今すぐ広間に来ていただけませんでしょうか。守り人殿も、共に」
「……えっと、何かあったの?」
広間といえば会議が行われる場所だが、姫である天音が招かれたことは一度もなく、黎夜は守り人として時々呼びつけられる程度だった。天音は戸惑いを隠せず、背後の黎夜も訝しむように眉を寄せる。
「王命です。それ以上は私からは申し上げられません」
お伺いを立てておきながら、天音たちに拒否権はないらしい。天音と黎夜は黙って家臣の案内に従った。
そして年始の挨拶や祭祀が落ち着いてきた頃。
天音の努力の甲斐あって、真白ノ国の崩壊はまだ免れていた。それでも徐々に現状は悪化している。町に出現した人外化生が人を食い殺したり、流行り病により多数の民が命を落としたりしているという話を天音も耳にしていた。王命により国を挙げて対策を講じているらしいが、追い付いていないのだろう。被害は拡大する一方だという。
贄として生かされている天音にとって、この状況を他人事だと看過することはできなかった。
思いつめた表情で部屋の中央に置かれた火鉢に手をかざす。以前から考えていたことがある。開いていた手をぎゅっと握って、天音はとうとう覚悟を決めた。
天音の向かい側で温かいお茶を淹れていた黎夜はふと手を止めて、天音の顔を見た。彼女の硬い表情に嫌な予感を覚える。
「黎夜。わたし、これから儀式ノ間に行こうと思うんだけど……」
「何をしに? まさかとは思うけど、祈りノ儀式をやるとか言い出さないよね? 今朝だけでもふらふらだったのに?」
「え、わたし、まだ何も言ってないよね?」
目を丸くする天音を見て、やはりそうかと、黎夜は盛大なため息を吐いた。
「俺は反対だよ。仮に今回だけやったところで現状が劇的に良くなるとは思えないし、だからといって毎日継続するなんて天音の身がもつはずないことくらい容易に想像がつくんだから」
「でも……っ。それが贄であるわたしのお役目なんだよ? 無理でもなんでも、わたしがやらないと……」
「……天音はさ、本当にそれでいいと思ってるの?」
天音をひたと見つめ返す黒い瞳からは正確な感情がうかがえない。今にも泣きだしそうな、静かな怒りを燃やしているような、そんな瞳だった。
思わずたじろぐ天音を前にして、黎夜は淡々と言い募る。
「天音がお役目に忠実で、誇りをもってることは知ってるよ。それを否定はしない。だけど、それはあくまで『贄としての天音』でしょ。じゃあ、『ただの天音』はどう思ってるの?」
「それ、は……」
天音はすぐに答えることができなかった。生まれ落ちた瞬間から生き方を決められていた。贄であることは避けようのない運命で、ならばその中で生きていくのしかないのだと思い込んでいた。初めから考えることをしなかったのだ。
黎夜もそれはわかっているだろうに、敢えて指摘してきた。切迫した現状に追い立てられたのかもしれないし、積もり積もった不満がいよいよ抑えきれなくなったのかもしれない。
「……」
「……」
答えを待ち続ける黎夜と、答えに窮する天音。両者の間に耳に痛いほどの沈黙が落ちる。
そうしていると本邸から届く音も聞こえるような気がした。否、本当に聞こえてきた。滅多に客の訪れない離れに近づく焦りに駆られた足音が。
「失礼いたします、姫様はおられますか!」
今しがたまでとは別の意味で、天音と黎夜は顔を見合わせた。立ち上がり、玄関に向かう天音のすぐ後に黎夜も続く。
玄関扉を開けると、そこには家臣である年若い男性が緊張した面持ちで佇んでいた。
「姫様、急なことで恐縮ですが、今すぐ広間に来ていただけませんでしょうか。守り人殿も、共に」
「……えっと、何かあったの?」
広間といえば会議が行われる場所だが、姫である天音が招かれたことは一度もなく、黎夜は守り人として時々呼びつけられる程度だった。天音は戸惑いを隠せず、背後の黎夜も訝しむように眉を寄せる。
「王命です。それ以上は私からは申し上げられません」
お伺いを立てておきながら、天音たちに拒否権はないらしい。天音と黎夜は黙って家臣の案内に従った。
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