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第二話 運命の時
第二話 八
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『日常』とだけあって表面上は何も変わらないまま、まやかしの穏やかな日々を過ごす。
贄ノ儀式が二日後に迫る、如月九日。
「ここまで来たら滅多なことは起こらないだろうけど、一人の間は気を付けてよ」
「うん、わかってるよ。行ってらっしゃい!」
この日、黎夜はどうしても外せない町での用事が出来てしまったらしく、離れを出る直前まで天音のことを心配しながらも出かけていった。
それから一刻ほど読書に耽っていた天音だったが、離れに近づいてくる足音に気がつくと顔を上げた。
(お客さんなんて珍しいな)
天音が玄関に着くのと、玄関扉が叩かれるのはほぼ同時だった。
「姫様、いらっしゃいますか」
若い女性の声で油断してしまった。何の気なしに扉を引き開けた天音は訪問者の衣装を見て、激しく後悔した。
動きやすそうなつくりでありながら品もある着物は、使われている布や紐、玉飾りなど、一目見て上質なものだとわかる。こんな格好をする女性で、天音の中で真っ先に思いつくのは王妃の侍女以外にいない。
そんな天音の予想を裏付けるように、女性は言う。
「王妃様がお呼びです。ご一緒にいらしていただけませんか」
「…………はい」
天音を目の敵にしている王妃に会うなんて、悪い予感しかしなかった。
気が進まないせいか天音の足取りは重い。本邸の廊下を奥へ奥へと進み、大きな池の前で足を止めた。庭には待ち構えている王妃がいた。
彼女はゆったりとした所作で振り返り、侍女を下がらせると、射殺すような鋭い視線で天音を睨む。
「ようやく来たのね」
「あ、あの……。わたしに用があるとお聞きしたのですが、一体……っ」
天音が言い切るより早く、乾いた音が辺りに響き渡った。
「な、んで……」
押さえた左頬が熱を持ち、じんじんと痛みだす。あまりに突然、左頬を平手で張られた天音は半ば呆然としながら呟いた。王妃はというと不快感を露わに声高に叫んだ。
「あの女と同じように、お前はわたくしよりも先に死ぬのよ! わたくしを辱しめたくせに何の償いもしようとはせずにね! なら今、ここで、償いなさいよ!」
『あの女』とは天音の母親のことだろう。王妃は未だに天音の母のことを許せず、行き場のない怒りと恨みを過ちの象徴でもある天音にぶつけているのだった。
王妃は激情のまま、今度は天音を池の方へと突き飛ばした。
「……っ!」
寸でのところで池に落ちるのは避けられたが、勢いは殺すことができずに地面に尻もちをついた。その拍子に袂にしまいこんでいた白い布袋が転げ落ちる。晩年の玄が黎夜とともに作ってくれた、大事な大事なお守りだった。
咄嗟に天音が手を伸ばすと、王妃はにたりと嗤って天音の手を踏みつけて、お守りを拾い上げた。
「なあに、この襤褸の布袋は?」
「か、返してください……っ」
右手の甲の痛みを堪えながら、天音は必死に左手を伸ばした。
王妃にはさぞ無様な姿に見えたのだろう。悦に入った笑みを浮かべて、天音を見下ろした。
「いいわよ? ほら!」
「⁉」
王妃の手からお守りが放物線を描いて離れていく。王妃の足から無理矢理右手を引き抜くと、天音はばっと立ち上がり、無我夢中でそれを追いかけた。
お守りに指先が触れた直後、ばしゃんと盛大な音とともに水飛沫があがる。
「……っ」
無数の水泡に囲まれ、すぐに息が苦しくなる。遠くなる水面をぼんやりと見つめて、そういえば小さい頃もこの池で溺れかけて黎夜に助け出されたな、なんてことを考えた。
「天音……!」
くぐもった声がかろうじて聞こえたかと思えば、天音は強い力で誰かに抱き寄せられ、地上に引き上げられていた。
「ごほっ……!」
地面に膝をついたまま、天音は激しく咳き込んだ。隣には……。
贄ノ儀式が二日後に迫る、如月九日。
「ここまで来たら滅多なことは起こらないだろうけど、一人の間は気を付けてよ」
「うん、わかってるよ。行ってらっしゃい!」
この日、黎夜はどうしても外せない町での用事が出来てしまったらしく、離れを出る直前まで天音のことを心配しながらも出かけていった。
それから一刻ほど読書に耽っていた天音だったが、離れに近づいてくる足音に気がつくと顔を上げた。
(お客さんなんて珍しいな)
天音が玄関に着くのと、玄関扉が叩かれるのはほぼ同時だった。
「姫様、いらっしゃいますか」
若い女性の声で油断してしまった。何の気なしに扉を引き開けた天音は訪問者の衣装を見て、激しく後悔した。
動きやすそうなつくりでありながら品もある着物は、使われている布や紐、玉飾りなど、一目見て上質なものだとわかる。こんな格好をする女性で、天音の中で真っ先に思いつくのは王妃の侍女以外にいない。
そんな天音の予想を裏付けるように、女性は言う。
「王妃様がお呼びです。ご一緒にいらしていただけませんか」
「…………はい」
天音を目の敵にしている王妃に会うなんて、悪い予感しかしなかった。
気が進まないせいか天音の足取りは重い。本邸の廊下を奥へ奥へと進み、大きな池の前で足を止めた。庭には待ち構えている王妃がいた。
彼女はゆったりとした所作で振り返り、侍女を下がらせると、射殺すような鋭い視線で天音を睨む。
「ようやく来たのね」
「あ、あの……。わたしに用があるとお聞きしたのですが、一体……っ」
天音が言い切るより早く、乾いた音が辺りに響き渡った。
「な、んで……」
押さえた左頬が熱を持ち、じんじんと痛みだす。あまりに突然、左頬を平手で張られた天音は半ば呆然としながら呟いた。王妃はというと不快感を露わに声高に叫んだ。
「あの女と同じように、お前はわたくしよりも先に死ぬのよ! わたくしを辱しめたくせに何の償いもしようとはせずにね! なら今、ここで、償いなさいよ!」
『あの女』とは天音の母親のことだろう。王妃は未だに天音の母のことを許せず、行き場のない怒りと恨みを過ちの象徴でもある天音にぶつけているのだった。
王妃は激情のまま、今度は天音を池の方へと突き飛ばした。
「……っ!」
寸でのところで池に落ちるのは避けられたが、勢いは殺すことができずに地面に尻もちをついた。その拍子に袂にしまいこんでいた白い布袋が転げ落ちる。晩年の玄が黎夜とともに作ってくれた、大事な大事なお守りだった。
咄嗟に天音が手を伸ばすと、王妃はにたりと嗤って天音の手を踏みつけて、お守りを拾い上げた。
「なあに、この襤褸の布袋は?」
「か、返してください……っ」
右手の甲の痛みを堪えながら、天音は必死に左手を伸ばした。
王妃にはさぞ無様な姿に見えたのだろう。悦に入った笑みを浮かべて、天音を見下ろした。
「いいわよ? ほら!」
「⁉」
王妃の手からお守りが放物線を描いて離れていく。王妃の足から無理矢理右手を引き抜くと、天音はばっと立ち上がり、無我夢中でそれを追いかけた。
お守りに指先が触れた直後、ばしゃんと盛大な音とともに水飛沫があがる。
「……っ」
無数の水泡に囲まれ、すぐに息が苦しくなる。遠くなる水面をぼんやりと見つめて、そういえば小さい頃もこの池で溺れかけて黎夜に助け出されたな、なんてことを考えた。
「天音……!」
くぐもった声がかろうじて聞こえたかと思えば、天音は強い力で誰かに抱き寄せられ、地上に引き上げられていた。
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地面に膝をついたまま、天音は激しく咳き込んだ。隣には……。
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