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第三話 幸せの在処
第三話 九
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「……ぅ……」
ふるりと長い睫毛を揺らしてまぶたが開かれると、真白の瞳が現れる。ぼんやりとした眼差しで最初に見たのは空に重く垂れこめた灰色の分厚い雲だった。
地を打ちつける雨と暴れ狂う風はいつしか止み、視界を埋め尽くしていた白すぎる光はまるで夢のように消えていた。
(夢……?)
しかし、すぐに夢ではなかったと知る。
雨の匂いに混じって鉄錆に似た臭いが鼻を突き、身を浸している水たまりはほんのり赤に染まっている。視界の端には人間だったものの残骸があちこちに散らばっていた。
「あ……ぁ……」
半ば恐慌状態に陥った天音は瞳を左右に大きく揺らした。飛び起きようとしたが再生の力を酷使したせいか体にうまく力が入らない。上体を起こそうとしては無様に地に落ちることを何度か繰り返して、ようやく肘を支えに起き上がった。
「!」
そこで初めてここにいるはずのない人がすぐ側にいたことに気がついた。
「黎、夜……?」
本来なら結界に阻まれて儀式ノ間に入ることができないはずだ。その上、天音は再生の力の制御を失っていたから容易には近づけないはずだった。
再生の力が勝手に働いていた天音とは違って、黎夜はぼろぼろだった。特に右手の指先は火傷が酷く、爛れている。もしかしたら痛覚を喪失しているかもしれない。
賢い黎夜が何の理由もなしに無謀なことをするとは考えにくい。理由があるとすれば経験上、天音が関わっているときだ。
「わたしの、せい……?」
儀式の失敗を察して、黎夜は天音を救おうとしたのかもしれない。天音の良く知る黎夜ならそうするだろう。
恐る恐る手を伸ばし、躊躇いがちに黎夜の右手に触れる。
「どうか、黎夜の傷を癒して」
再生の力は底を尽いていたが、無理矢理力を引き出した。心臓を引き絞るような痛みが走り、呼吸が乱れる。こめかみから冷たい汗が伝い、手先が震えた。しかし、それらを無視して、天音は黎夜の傷を治すまで再生の力を使い続ける。
手応えがなかったら、もう手遅れだったらどうしようと怯えていた天音だったが、ゆっくりと黎夜の浅い傷は消えていき、やがて指先の爛れた火傷痕もなくなっていった。
「っぅ……!」
安堵したのも束の間、心臓がぎゅうと痛む。あまりの痛みに呼吸が止まりかけ、視界が白く弾ける。咄嗟に手をつき、傾ぐ上体を支えた。肩を上下させ、浅い呼吸を繰り返すと、肺までもがじりじりと痛んだ。
(ううん。こんなの……)
人外化生に喰われた者たちや傷だらけで倒れる黎夜を見れば、痛いなどと弱音を吐くことなどできなかった。それに永劫続くかと思われたあの痛みと絶望の時間に比べれば、ずっとましだ。
土を抉るようにして地面についた指を握りこみ、痛みをやり過ごす。
(わたしが、ここで倒れるわけにはいかない)
原形を留めない者たちは既に手の施しようがないが、黎夜だけは別だ。再生の力であらかたの傷を治したので、後は目覚めを待てばいい。だからといってこの場に残していくことは天音にはできない。
天音は黎夜を支えて気力だけで立ち上がると、重い一歩を踏み出した。
ぬかるみに足を滑らせながら竹林を進む。薄暗かったが人外化生が現れることはなく、儀式ノ間を抜けた。
それから広大な庭を横断して、天音は真っ直ぐに唯一信頼できる日向のいるであろう部屋を目指した。
真白の国の中枢を担う人物たちは皆、贄ノ儀式に参加していた。そのため主要人物の住まう邸の奥まったところはしんと静まり返っている。濡れた玉砂利に足をとられ、躓き、不安定な天音の足音が嫌というほど大きく反響した。
(あと、少し……)
体力が残っていない以上、気持ちが折れたら終わりだ。黎夜だけは助けたい、その一心で天音は鉛のように重い体を動かした。
ふるりと長い睫毛を揺らしてまぶたが開かれると、真白の瞳が現れる。ぼんやりとした眼差しで最初に見たのは空に重く垂れこめた灰色の分厚い雲だった。
地を打ちつける雨と暴れ狂う風はいつしか止み、視界を埋め尽くしていた白すぎる光はまるで夢のように消えていた。
(夢……?)
しかし、すぐに夢ではなかったと知る。
雨の匂いに混じって鉄錆に似た臭いが鼻を突き、身を浸している水たまりはほんのり赤に染まっている。視界の端には人間だったものの残骸があちこちに散らばっていた。
「あ……ぁ……」
半ば恐慌状態に陥った天音は瞳を左右に大きく揺らした。飛び起きようとしたが再生の力を酷使したせいか体にうまく力が入らない。上体を起こそうとしては無様に地に落ちることを何度か繰り返して、ようやく肘を支えに起き上がった。
「!」
そこで初めてここにいるはずのない人がすぐ側にいたことに気がついた。
「黎、夜……?」
本来なら結界に阻まれて儀式ノ間に入ることができないはずだ。その上、天音は再生の力の制御を失っていたから容易には近づけないはずだった。
再生の力が勝手に働いていた天音とは違って、黎夜はぼろぼろだった。特に右手の指先は火傷が酷く、爛れている。もしかしたら痛覚を喪失しているかもしれない。
賢い黎夜が何の理由もなしに無謀なことをするとは考えにくい。理由があるとすれば経験上、天音が関わっているときだ。
「わたしの、せい……?」
儀式の失敗を察して、黎夜は天音を救おうとしたのかもしれない。天音の良く知る黎夜ならそうするだろう。
恐る恐る手を伸ばし、躊躇いがちに黎夜の右手に触れる。
「どうか、黎夜の傷を癒して」
再生の力は底を尽いていたが、無理矢理力を引き出した。心臓を引き絞るような痛みが走り、呼吸が乱れる。こめかみから冷たい汗が伝い、手先が震えた。しかし、それらを無視して、天音は黎夜の傷を治すまで再生の力を使い続ける。
手応えがなかったら、もう手遅れだったらどうしようと怯えていた天音だったが、ゆっくりと黎夜の浅い傷は消えていき、やがて指先の爛れた火傷痕もなくなっていった。
「っぅ……!」
安堵したのも束の間、心臓がぎゅうと痛む。あまりの痛みに呼吸が止まりかけ、視界が白く弾ける。咄嗟に手をつき、傾ぐ上体を支えた。肩を上下させ、浅い呼吸を繰り返すと、肺までもがじりじりと痛んだ。
(ううん。こんなの……)
人外化生に喰われた者たちや傷だらけで倒れる黎夜を見れば、痛いなどと弱音を吐くことなどできなかった。それに永劫続くかと思われたあの痛みと絶望の時間に比べれば、ずっとましだ。
土を抉るようにして地面についた指を握りこみ、痛みをやり過ごす。
(わたしが、ここで倒れるわけにはいかない)
原形を留めない者たちは既に手の施しようがないが、黎夜だけは別だ。再生の力であらかたの傷を治したので、後は目覚めを待てばいい。だからといってこの場に残していくことは天音にはできない。
天音は黎夜を支えて気力だけで立ち上がると、重い一歩を踏み出した。
ぬかるみに足を滑らせながら竹林を進む。薄暗かったが人外化生が現れることはなく、儀式ノ間を抜けた。
それから広大な庭を横断して、天音は真っ直ぐに唯一信頼できる日向のいるであろう部屋を目指した。
真白の国の中枢を担う人物たちは皆、贄ノ儀式に参加していた。そのため主要人物の住まう邸の奥まったところはしんと静まり返っている。濡れた玉砂利に足をとられ、躓き、不安定な天音の足音が嫌というほど大きく反響した。
(あと、少し……)
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