消えゆく日々に、君と選んだひとつの未来

葉方萌生

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第七章 彼だけを救って

7-5

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 息苦しさの中、頭の中では例外なく未だ知らない記憶が流れ始める。

 映像は夜の繁華街だった。
 キキーッという大きな車のクラクションと、目を開けられないほどの明るすぎるヘッドライト。瞬間、目を瞑った先の暗闇で、光の残像がぼやけて、意識が飛びそうになった。
 ドンッ、と身体に何かがぶつかる衝撃音が夜の空気を引き裂く。
 悲鳴を上げようとした瞬間、映像が途切れた。

「……っ!」

 居ても立ってもいられなくなり、その場で立ち上がる。
 
「夕映?」

 ぐわんぐわんという耳鳴りに襲われながら、めぐが私を呼ぶ声も無視して大部屋から飛び出す。

「ちょっと、夕映!」

 何事かと驚いためぐが私を追いかけようとしてくれているのが分かったけれど、私は「一人にして」と叫ぶ。振り返るとめぐが、「どうしたの……?」と心配そうな顔を向けた。

「ごめん、私、優奈のことまだ思い出にできてないの」

「……」

「優奈のこと、忘れたくないの……」

「う、うん。そうだね。だから忘れないように時々こうやってみんなで思い出話をして——」

「無理なの。忘れたくないと思っても私、忘れちゃうからっ……」

 涙で視界がぐにゃりと歪む。めぐが、驚いた様子で大きく目を見開く。めぐは私の記憶障害のことを当然知らない。だから、私がどうして発狂したように泣いているのかも分からないだろう。

 呆けた様子で立ち尽くすめぐを置いて、私は一目散に駆けた。店から飛び出して、新幹線の切符を買う。本当は今日、ホテルに泊まる予定だったけれど、新幹線の中でキャンセルをした。
 一人、座席で止まらない涙を拭う。
 瑠伊と一緒に優奈の家に行ったという日、新幹線も瑠伊と一緒に乗ったのかな……。
 その時彼とどんな話をしたんだろう。彼はどんな顔をして私に笑いかけてくれたんだろう。
 分からない。思い出せない。

「ううっ……」

 大事な記憶が蝕まれてく恐怖を、今日ほど強く感じた日はなかった。
 やっぱり私、友達なんてつくるべきじゃなかったんだ……。
 瑠伊と友達にならなければ、彼と大切な思い出もできずに済んだ。そうすれば、忘れた時の悲しみを味わうこともなかったのだ。
 後悔したってもう遅い。友達どころか、私は瑠伊のことを特別な存在だと思っている。

 一時間半ほどして新幹線が駅に着いた。時刻は午後十時半前。茫然自失状態で自宅の最寄駅まで在来線に乗っていく。最寄駅で降りると、なんだ自分の足が自分のものではないような浮遊感を覚えた。

 あと一つ、信号を渡って角を曲がれば家にたどり着く。
 今日はもう眠ってしまいたい。何も考えずに、ぐちゃぐちゃの感情を閉じ込めて、今日のこの記憶も消えてしまえばいい。
 半ば自暴自棄になりながら、ふらりと青信号を歩き出した時だ。

 キキーッという大きな車の急ブレーキの音が、耳をつんざくように聞こえて心臓が止まりかけた。すぐにまぶしすぎるヘッドライトに照らされて、反射的に両目を瞑る。

「え——?」

 その刹那、さっき、レストランで見た未来の記憶を思い出して全身の毛がぞわりと立つ。
 これって、まさか。
 まさか私、あの記憶の通りに轢かれる——?

 そこまで考えるのが限界だった。一瞬のうちに思考が一回転して、身体が岩のように固くなる。
 ぶつかる——そう思った瞬間、身体が硬質な車ではなく、人の手によって突き飛ばされるのを感じた。
 ドン、と地面に身体を叩きつけられる。と同時に、もう一つ鈍い音が夜の闇の中で響き渡った。誰かが車に跳ね飛ばされて弧を描いて落ちていく光景を目の当たりにした。

「!!」

 信じられない光景だった。
 鼓膜が破れるかというほどのブレーキ音が止んだ瞬間、少し離れたところに横たわる人影を見た瞬間、ガクガクと身体が震えて止まらなかった。

「だ、大丈夫かっ!」

 車の運転席から飛び出して来た中年男性が、まず私に駆け寄る。跳ね飛ばしたのが私だと思ったんだろう。身体中が痛いけれど、せいぜい打撲程度で済んでいると思う。私が「大丈夫です……」とつぶやくと、男性はすぐに車で死角になっていたところにうつ伏せに倒れている人を発見した。

「お、おい、きみ……!」

 男性がパニックになっているのが分かる。私は呆然としたまま倒れた人にすっと視線を移した。

「瑠伊……うそでしょ」

 そこにいたのは、紛れもなく瑠伊だった。
 うつ伏せで顔はほとんど見えないけれど、ブロンズの髪の毛が彼だと主張している。黒いTシャツは暗闇に紛れているのに、彼の身体の下からじわりと滲み出てくる真っ赤な血ははっきりと目視できた。

「る、瑠伊……。ねえ、大丈夫……?」

 痛む身体を引きずるようにして彼の元へたどり着く。息はしているようだが、返事がなく意識がないことが分かった。

「きゅ、救急車っ」

 男性が慌ててスマホで119番を押した。救急車が来るまでの間、あまりの恐怖と混乱のせいで、ガタガタと震えが止まらなかった。
 やがてけたたましいサイレンを響かせてやって来た救急車に、瑠伊は乗せられる。瑠伊は頭から血を流していた。ひゅっと背筋が凍りつくような感覚に襲われる。動揺しながら車を運転していた男性と一緒に救急車に乗り込んだ。

「瑠伊、瑠伊……!」

 救急車に揺られながら彼の名前を呼びかけるけれど、相変わらず意識は戻らない。車を運転していた男性は正気を失ったかのようにわなわなと唇を震わせている。
信じたくない。信じられない光景に、ぎゅっと目を瞑った。
 神様、どうか。
 どうか、お願いします。
 瑠伊の命を救ってください。
 もうそれだけでいい。私の記憶障害なんて一生治らなくていいから。だから、瑠伊を助けてください。

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