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第九章 きみとゆく
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【瑠伊に会った? ちゃんと話せた?】
向井さんから連絡が来ていることに気づいたのは、翌日の日曜日の夜だった。
向井さんに、伝えるべきだろうか。
瑠伊は中学時代の記憶を思い出して、代わりに私のことを忘れてたって。
そうしたら彼女は喜ぶかもしれない。だって、中学生の頃、向井さんは瑠伊に告白をしているんだもの。思い出してくれたと知って、嬉しくないはずがない。
【瑠伊は……瑠伊は】
だけど、スマホで文字を打つ手は小刻みに震えて、なかなか真実を伝えることができない。「瑠伊は」と送ったメッセージに既読マークがついた。
【もしかして、瑠伊の記憶が戻った?】
察しの良い向井さんからそう送られてきたとき、ぶくぶくと海の中で息ができずに溺れそうになる感覚に陥った。
【……うん。戻ったんだって。代わりに、私のこと忘れてた……】
何もかも、もうどうにでもなれという気持ちだった。
投げやりになった気分で向井さんに真実を伝える。既読マークがついて返事が来るまでに少し間が空いた。彼女の中でも事実を受け止めるのに時間がかかっているのだろう。やがて、【それ、本当?】と真偽を問うメッセージが届いた。
【うん、本当だよ。今なら瑠伊、中学時代の向井さんのことも覚えてるだろうし、会ってみたら楽しいんじゃない?】
本心では思っていないことも、するすると勝手に指が文字としてスマホに打ち込んでいく。向井さんと瑠伊が仲良くなるのが本当は嫌だと思っている自分がいてうんざりした。
瑠伊は、誰のものでもないのに。
今も昔も、瑠伊は瑠伊であり、告白したとかされたとかによって、何かが変わるわけじゃない。たった一ヶ月、彼の隣にいて悩みを共有したぐらいで、私は彼の何者にもなれやしなかった。
それぐらい分かっていたはずなのに、いざ過酷な現実を突きつけられると、心がめげそうになった。
【……そう。じゃあ、お言葉に甘えて会ってくるわ】
向井さんはどんな気持ちでそのメッセージを送ってきたんだろう。
感じ方によっては挑発ともとれる言葉を、無感動に受け止めるだけだった。
それから一時間、就寝時間前に机に向かってぼんやりと広げたノートを見つめていた。
今日一日、何もできなかったな……。
“白ゆりを”
“黒に染めゆく”
“雨降れば”
“青が反転”
“漆黒の”
ノートに書き出した五音、七音の言葉は暗い海の中にいる自分の心を映し出しているように後ろ向きなものばかりだった。
「違う、こんなんじゃだめ」
書きつけた短歌とも呼べない言葉の断片を、黒で塗りつぶす。
瑠伊と一緒にコンクールに作品を出すって約束したのに。瑠伊はそれすらも忘れているだろう。
「もう考える意味ないじゃん……」
瑠伊がコンクールのことを忘れているならば、私が短歌を考える必要もない。このまま私は、瑠伊の人生からフェードアウトしていく存在なのかな。だとしたら、瑠伊と出会う前に戻るだけだ。事実としてはそれだけのはず。だから大丈夫。またひとりぼっちにはなるけれど、優奈が亡くなってから今まで、ずっとひとりだったじゃない。
気に病むことはない。
ひとりでも、やっていけるよ。
大丈夫、大丈夫、大丈夫——。
心の中で思い浮かべた優奈の笑顔が、ぼやぼやと滲んでいく。そこに、瑠伊の爽やかな笑顔が重なって、胸を鋭いナイフで突かれたような痛みが駆け抜けた。
「……っ……、大丈夫じゃないよ」
ぽろぽろと頬を伝い落ちる涙は、心の叫びだった。
私は瑠伊が好きだ。
好きな人に忘れ去られて、大丈夫なはずがない。
だけど、大丈夫じゃないと叫ぶ相手すらどこにもいない。
深い海の底に沈んでいく私には、水面を見上げても太陽光のゆらめきすら見えない。曇天の空の下では、海は黒く冷たいだけなのだと思い知った。
向井さんから連絡が来ていることに気づいたのは、翌日の日曜日の夜だった。
向井さんに、伝えるべきだろうか。
瑠伊は中学時代の記憶を思い出して、代わりに私のことを忘れてたって。
そうしたら彼女は喜ぶかもしれない。だって、中学生の頃、向井さんは瑠伊に告白をしているんだもの。思い出してくれたと知って、嬉しくないはずがない。
【瑠伊は……瑠伊は】
だけど、スマホで文字を打つ手は小刻みに震えて、なかなか真実を伝えることができない。「瑠伊は」と送ったメッセージに既読マークがついた。
【もしかして、瑠伊の記憶が戻った?】
察しの良い向井さんからそう送られてきたとき、ぶくぶくと海の中で息ができずに溺れそうになる感覚に陥った。
【……うん。戻ったんだって。代わりに、私のこと忘れてた……】
何もかも、もうどうにでもなれという気持ちだった。
投げやりになった気分で向井さんに真実を伝える。既読マークがついて返事が来るまでに少し間が空いた。彼女の中でも事実を受け止めるのに時間がかかっているのだろう。やがて、【それ、本当?】と真偽を問うメッセージが届いた。
【うん、本当だよ。今なら瑠伊、中学時代の向井さんのことも覚えてるだろうし、会ってみたら楽しいんじゃない?】
本心では思っていないことも、するすると勝手に指が文字としてスマホに打ち込んでいく。向井さんと瑠伊が仲良くなるのが本当は嫌だと思っている自分がいてうんざりした。
瑠伊は、誰のものでもないのに。
今も昔も、瑠伊は瑠伊であり、告白したとかされたとかによって、何かが変わるわけじゃない。たった一ヶ月、彼の隣にいて悩みを共有したぐらいで、私は彼の何者にもなれやしなかった。
それぐらい分かっていたはずなのに、いざ過酷な現実を突きつけられると、心がめげそうになった。
【……そう。じゃあ、お言葉に甘えて会ってくるわ】
向井さんはどんな気持ちでそのメッセージを送ってきたんだろう。
感じ方によっては挑発ともとれる言葉を、無感動に受け止めるだけだった。
それから一時間、就寝時間前に机に向かってぼんやりと広げたノートを見つめていた。
今日一日、何もできなかったな……。
“白ゆりを”
“黒に染めゆく”
“雨降れば”
“青が反転”
“漆黒の”
ノートに書き出した五音、七音の言葉は暗い海の中にいる自分の心を映し出しているように後ろ向きなものばかりだった。
「違う、こんなんじゃだめ」
書きつけた短歌とも呼べない言葉の断片を、黒で塗りつぶす。
瑠伊と一緒にコンクールに作品を出すって約束したのに。瑠伊はそれすらも忘れているだろう。
「もう考える意味ないじゃん……」
瑠伊がコンクールのことを忘れているならば、私が短歌を考える必要もない。このまま私は、瑠伊の人生からフェードアウトしていく存在なのかな。だとしたら、瑠伊と出会う前に戻るだけだ。事実としてはそれだけのはず。だから大丈夫。またひとりぼっちにはなるけれど、優奈が亡くなってから今まで、ずっとひとりだったじゃない。
気に病むことはない。
ひとりでも、やっていけるよ。
大丈夫、大丈夫、大丈夫——。
心の中で思い浮かべた優奈の笑顔が、ぼやぼやと滲んでいく。そこに、瑠伊の爽やかな笑顔が重なって、胸を鋭いナイフで突かれたような痛みが駆け抜けた。
「……っ……、大丈夫じゃないよ」
ぽろぽろと頬を伝い落ちる涙は、心の叫びだった。
私は瑠伊が好きだ。
好きな人に忘れ去られて、大丈夫なはずがない。
だけど、大丈夫じゃないと叫ぶ相手すらどこにもいない。
深い海の底に沈んでいく私には、水面を見上げても太陽光のゆらめきすら見えない。曇天の空の下では、海は黒く冷たいだけなのだと思い知った。
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