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第一章 廃病院からの誘い
◾️八月二十二日金曜日Ⅱ
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***
「ただいま」
八月二十二日金曜日。
誰もいない一人暮らしの家に帰ってくるのに、つい「ただいま」と口にしてしまう。ちょっと前まで、この家にはもう一人、恋人だった花岡慎二が住んでいた。私と同じ二十五歳で、学生時代から交際して五年目を迎えていた。私はてっきり、このまま慎二と結婚までするのだろうなと当たり前のように考えていたのだけれど。
振られた。
一週間前に部屋で何気なくコーヒーを飲んでいた朝、慎二から「俺たち別れよう」と告げられたのだ。私は驚きと、「まあそうだよね」と納得する気持ちが半々だった。なぜなら、別れを告げられる前日の夜に、慎二の浮気が発覚したからだ。
相手は慎二の職場の新入社員だった。
年齢でいうと二つ下である。初々しい新卒の女の子に、彼がうつつを抜かしていたことがとてもショックだった。私たちが築いてきた五年間はなんだったの? そりゃ若い女の子が可愛いのは分かるけれど、浮気なんてあんまりだ。とことん謝ってほしい——ぐちゃぐちゃの感情のまま、彼を詰ろうとした。正直このときは、彼が自ら謝り、「もう二度と同じ過ちは犯さない」と反省してくれると思っていた。だけど……。
慎二は謝らなかった。
冷めた目で私を見つめて「バレちまったか」と言わんばかりに、尊大な態度をとる。どうして? 悪いのはあなたのほうなのに、私が見下された気分にならなくちゃいけないんだろう。
その日、私たちは一言も口を利かずに翌日の朝を迎えた。
そこで慎二から別れを告げられる。
昨日の夜、浮気が発覚しても何の弁解もしなかった慎二のことだから、もともと私と別れたいと思っていたことは自明だった。だから、驚きは半分だけ。でもだからと言って、傷が小さいわけじゃない。抉られるような胸の痛みと共に、実際に頭痛や腹痛が頻発するようになったのは慎二と別れた直後のことだ。一週間が経った今も、心身ともに状態は悪くなる一方。おまけに、勤務先の小学校では今年から赴任してきたオジサン教師が学年主任となり、絶対王政のように権力を振るい始めた。彼は特に、私を執拗に責め立て、他の教師の前でがなり立てた。たぶん、私をターゲットにすると決めたのだろう。性格もおとなしく、抵抗をしなさそうなやつだと思われているに違いない。仕事をして失恋の痛みが紛れるならまだしも、逆に職場に行くと余計にお腹が痛くなる——そんな鬱々とした日々を過ごしていた。
身体の痛みも心の痛みもすべて忘れるように、無心で夕飯をつくる。
メニューは親子丼。簡単にできて、お腹も満たされる。優しい出汁の味が胃袋に沁みる、得意料理だ。
ご飯は朝、予約で炊いていたので具の部分をつくるだけ。ものの十五分程度で夕飯が完成した。
「いただきます」
いつもの日常を繰り返して、感じる痛みを鈍くしていく。
そうすることでしか、身も心も守ることができない。
静寂に包まれる一人部屋は余計に気が滅入るので、テレビをつけた。ちょうどニュース番組をやっていて、なんとなくそのままニュースを眺める。
『続いてのニュースです。都内で相次いでいる失踪事件についてお伝えします。二週間ほど前から増えている都内での失踪事件ですが、大学生が五人、二十代社会人が三人と、比較的若い年齢の方が失踪しています。失踪者は全員女性。何かの事件に巻き込まれた可能性が高いとして、警察は調査を急いでいます』
「失踪事件か……」
大人の失踪なんて、基本は家出だと扱われることが多いと聞くのに、事件性があるとみなされているのは、失踪の仕方が普通じゃなかったのだろうか。被害者が全員女性だというところで少し怖くなり、後ろを振り返る。もちろん、誰かがこの家に潜んでいるはずもないのに、どういうわけか、薄ら寒さを覚えた。
「ただいま」
八月二十二日金曜日。
誰もいない一人暮らしの家に帰ってくるのに、つい「ただいま」と口にしてしまう。ちょっと前まで、この家にはもう一人、恋人だった花岡慎二が住んでいた。私と同じ二十五歳で、学生時代から交際して五年目を迎えていた。私はてっきり、このまま慎二と結婚までするのだろうなと当たり前のように考えていたのだけれど。
振られた。
一週間前に部屋で何気なくコーヒーを飲んでいた朝、慎二から「俺たち別れよう」と告げられたのだ。私は驚きと、「まあそうだよね」と納得する気持ちが半々だった。なぜなら、別れを告げられる前日の夜に、慎二の浮気が発覚したからだ。
相手は慎二の職場の新入社員だった。
年齢でいうと二つ下である。初々しい新卒の女の子に、彼がうつつを抜かしていたことがとてもショックだった。私たちが築いてきた五年間はなんだったの? そりゃ若い女の子が可愛いのは分かるけれど、浮気なんてあんまりだ。とことん謝ってほしい——ぐちゃぐちゃの感情のまま、彼を詰ろうとした。正直このときは、彼が自ら謝り、「もう二度と同じ過ちは犯さない」と反省してくれると思っていた。だけど……。
慎二は謝らなかった。
冷めた目で私を見つめて「バレちまったか」と言わんばかりに、尊大な態度をとる。どうして? 悪いのはあなたのほうなのに、私が見下された気分にならなくちゃいけないんだろう。
その日、私たちは一言も口を利かずに翌日の朝を迎えた。
そこで慎二から別れを告げられる。
昨日の夜、浮気が発覚しても何の弁解もしなかった慎二のことだから、もともと私と別れたいと思っていたことは自明だった。だから、驚きは半分だけ。でもだからと言って、傷が小さいわけじゃない。抉られるような胸の痛みと共に、実際に頭痛や腹痛が頻発するようになったのは慎二と別れた直後のことだ。一週間が経った今も、心身ともに状態は悪くなる一方。おまけに、勤務先の小学校では今年から赴任してきたオジサン教師が学年主任となり、絶対王政のように権力を振るい始めた。彼は特に、私を執拗に責め立て、他の教師の前でがなり立てた。たぶん、私をターゲットにすると決めたのだろう。性格もおとなしく、抵抗をしなさそうなやつだと思われているに違いない。仕事をして失恋の痛みが紛れるならまだしも、逆に職場に行くと余計にお腹が痛くなる——そんな鬱々とした日々を過ごしていた。
身体の痛みも心の痛みもすべて忘れるように、無心で夕飯をつくる。
メニューは親子丼。簡単にできて、お腹も満たされる。優しい出汁の味が胃袋に沁みる、得意料理だ。
ご飯は朝、予約で炊いていたので具の部分をつくるだけ。ものの十五分程度で夕飯が完成した。
「いただきます」
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そうすることでしか、身も心も守ることができない。
静寂に包まれる一人部屋は余計に気が滅入るので、テレビをつけた。ちょうどニュース番組をやっていて、なんとなくそのままニュースを眺める。
『続いてのニュースです。都内で相次いでいる失踪事件についてお伝えします。二週間ほど前から増えている都内での失踪事件ですが、大学生が五人、二十代社会人が三人と、比較的若い年齢の方が失踪しています。失踪者は全員女性。何かの事件に巻き込まれた可能性が高いとして、警察は調査を急いでいます』
「失踪事件か……」
大人の失踪なんて、基本は家出だと扱われることが多いと聞くのに、事件性があるとみなされているのは、失踪の仕方が普通じゃなかったのだろうか。被害者が全員女性だというところで少し怖くなり、後ろを振り返る。もちろん、誰かがこの家に潜んでいるはずもないのに、どういうわけか、薄ら寒さを覚えた。
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