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第五章 かわいい我が子です
◾️九月十日水曜日Ⅰ
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山吹先生に言われた通り、私は一週間仕事を休むことにした。
自分のクラスのことは担任を受け持っていない別の先生が引き受けてくれることになった。嫌な顔をされるかと思ったが、意外にも「そうですか。分かりました」とあっさり受け入れてくれた。
『最近の藤島先生はどうも調子がおかしくて大丈夫かなと心配していたので』
そんなふうに言われてしまい、他のひとから見て分かるほどメンタルがやられていたのだと気づいた。
休みの間、家に引きこもっているだけではさらに精神を病んでしまうと思った私は、思い切って岩手まで足を運んだ。
『ひまわりホーム』と看板の掲げられた施設にやってきたのは、約一年ぶり。母が入居を始めたとき以来だった。
「あの、お久しぶりです」
施設のスタッフに声をかける。「どなたでしょうか」と問われたが、少し遠くから「もしかして藤島さん?」と聞き覚えのある声が飛んできた。
先日、電話でDNA鑑定について話をした湯沢さんだった。
「こんにちは。先日はお電話ありがとうございました」
「いえー。藤島さん、最近調子が良いのよ。あっちの部屋にいるからどうぞ」
湯沢さんに連れられて、母のいる部屋を訪ねた。母の部屋は施設の西側に位置する個室だった。ベッドの上に腰掛けるようにして寝ていた母が、私の顔を見てさっと警戒心をあらわにする。心なしか、去年会った時よりも腕と顔の輪郭が骨張っているように感じられた。
「藤島さん、娘さんが来てくれたわ」
「娘……」
ぽつり、とそう呟く。母の中で自分が認知されるかどうか分からない。「知らない。出ていけ」と追い払われる現実も想像していた。
だが、母は思いのほか「みよ子……」と早めに私の名前を呼んでくれた。張り詰めていた気持ちがほっと和らぐ。
良かった……とりあえず、覚えていてくれたみたいだ。
「久しぶり……お母さん」
それでも、最初は私の顔を見て誰だか思い出せない様子だったので、慎重に声をかける。
「ああ、久しぶり」
湯沢さんが「ごゆっくりどうぞ」と言って部屋から出ていった。取り残された私は、ひとまず母のベッドの隣に腰かけた。
「お母さん元気してた?」
元気じゃないから施設にいるのだけれど、母は「ええ」と頷く。
「そっか。良かった。ここでの生活はどう?」
「便利だよ~。何もしなくてもご飯が出てくるし、全自動洗濯機みたいねえ」
「なにそのたとえ。変なの」
おかしなたとえをする母に、思わずくすりと笑みがこぼれる。まさか自分が母との会話で笑うなんて思ってもいなかった。ここ最近ずっと、気持ちが張り詰めていたから。
でも、施設での生活が全自動洗濯機のようだという母の言葉は、私を女手ひとりで育ててくれた母だからこそ、深みがあり、切なさが込み上げた。
「お母さん、あのね。今日はちょっと聞きたいことがあって……」
「なに?」
母の、誰のことも疑っていないようなまなざしが胸に突き刺さる。時々母はひとのことを忘れることがあるらしいのだが、きっとその時は疑い深い目で相手を見るのだろう。私も、一年前に母を施設に預けてからほとんど顔を合わせていなかったから、時々施設のスタッフさんから電話で様子を聞いて知っているだけだけど……。
「私自身のこと。あのね、実は私……この間、石川久江さんってひとに会ってきたの。覚えてる? お母さん、霜月町の清葉病院で助産師をしてたんだってね。全然知らなかった。でもそのひとがお母さんの同僚だったって教えてくれて……。それでその、お母さんが妊娠中に流産したと言ってた」
話しながら、自分の声がどんどん掠れていっていることに気づいた。母ははっと目を大きく見開き、「なんで……」とわなわなと身体を震わす。
「突然こんなこと言ってごめんなさい。きっかけは私がやってるYouTubeに寄せられたお手紙だった。私、ヤミコっていう名前で『ヨミの国チャンネル』をやっているの。主にオカルト系の動画を投稿してる。お便りで清葉病院の名前が出てきて、実際に行ってみたら、お母さんのカルテを見つけたんだ」
「カルテ……」
母の声が動揺で分かりやすく揺れた。私の目を凝視したまま固まっている。
私は構わず続けた。
「それでさ、これもたまたまなんだけど、石川さんのブログを見つけて連絡を取ってみたの。そしたら、石川さんがお母さんのことを教えてくれた。お母さんが妊娠中に流産してしまったことを。だけどおかしいの。その流産した子どもの出産予定日が、私の誕生日だった。だから私、自分がどうして今ここにいるのか分からなくなっちゃって……。石川さんは先日不幸にあって亡くなってしまった」
「亡くなって……」
母は元同僚の訃報を、どこか遠い国の話でも聞くかのように焦点の定まらない表情で聞いていた。そもそも石川さんのことを思い出せないのかもしれない。胸にチクリとした痛みを覚えつつ、続けた。
「亡くなる直前にね……電話で、その……お母さんが、院長と不倫をしていたって言ってて……。それで、もしかしたらお母さんは、院長と何か揉めて“流産”してしまったんじゃないかって思った。ねえ、教えて。お母さんの流産は本当だったの……? だとしたら、私はいったい誰なの?」
石川さんが母のことを殺人犯と疑っていたことはさすがに伏せて話した。
最初は冷静に話をしようと思っていたのに、話しているうちにどんどんヒートアップしてしまって、最終的には母を責め立てるような口調になってしまった。
母は、今まで自分の出生について何も疑問を抱かずに生きてきた娘が、突然血相を変えて根掘り葉掘り聞いてきたことにやはり驚きが隠せない様子で、ごくりと大きく唾を飲み込んだ。
自分のクラスのことは担任を受け持っていない別の先生が引き受けてくれることになった。嫌な顔をされるかと思ったが、意外にも「そうですか。分かりました」とあっさり受け入れてくれた。
『最近の藤島先生はどうも調子がおかしくて大丈夫かなと心配していたので』
そんなふうに言われてしまい、他のひとから見て分かるほどメンタルがやられていたのだと気づいた。
休みの間、家に引きこもっているだけではさらに精神を病んでしまうと思った私は、思い切って岩手まで足を運んだ。
『ひまわりホーム』と看板の掲げられた施設にやってきたのは、約一年ぶり。母が入居を始めたとき以来だった。
「あの、お久しぶりです」
施設のスタッフに声をかける。「どなたでしょうか」と問われたが、少し遠くから「もしかして藤島さん?」と聞き覚えのある声が飛んできた。
先日、電話でDNA鑑定について話をした湯沢さんだった。
「こんにちは。先日はお電話ありがとうございました」
「いえー。藤島さん、最近調子が良いのよ。あっちの部屋にいるからどうぞ」
湯沢さんに連れられて、母のいる部屋を訪ねた。母の部屋は施設の西側に位置する個室だった。ベッドの上に腰掛けるようにして寝ていた母が、私の顔を見てさっと警戒心をあらわにする。心なしか、去年会った時よりも腕と顔の輪郭が骨張っているように感じられた。
「藤島さん、娘さんが来てくれたわ」
「娘……」
ぽつり、とそう呟く。母の中で自分が認知されるかどうか分からない。「知らない。出ていけ」と追い払われる現実も想像していた。
だが、母は思いのほか「みよ子……」と早めに私の名前を呼んでくれた。張り詰めていた気持ちがほっと和らぐ。
良かった……とりあえず、覚えていてくれたみたいだ。
「久しぶり……お母さん」
それでも、最初は私の顔を見て誰だか思い出せない様子だったので、慎重に声をかける。
「ああ、久しぶり」
湯沢さんが「ごゆっくりどうぞ」と言って部屋から出ていった。取り残された私は、ひとまず母のベッドの隣に腰かけた。
「お母さん元気してた?」
元気じゃないから施設にいるのだけれど、母は「ええ」と頷く。
「そっか。良かった。ここでの生活はどう?」
「便利だよ~。何もしなくてもご飯が出てくるし、全自動洗濯機みたいねえ」
「なにそのたとえ。変なの」
おかしなたとえをする母に、思わずくすりと笑みがこぼれる。まさか自分が母との会話で笑うなんて思ってもいなかった。ここ最近ずっと、気持ちが張り詰めていたから。
でも、施設での生活が全自動洗濯機のようだという母の言葉は、私を女手ひとりで育ててくれた母だからこそ、深みがあり、切なさが込み上げた。
「お母さん、あのね。今日はちょっと聞きたいことがあって……」
「なに?」
母の、誰のことも疑っていないようなまなざしが胸に突き刺さる。時々母はひとのことを忘れることがあるらしいのだが、きっとその時は疑い深い目で相手を見るのだろう。私も、一年前に母を施設に預けてからほとんど顔を合わせていなかったから、時々施設のスタッフさんから電話で様子を聞いて知っているだけだけど……。
「私自身のこと。あのね、実は私……この間、石川久江さんってひとに会ってきたの。覚えてる? お母さん、霜月町の清葉病院で助産師をしてたんだってね。全然知らなかった。でもそのひとがお母さんの同僚だったって教えてくれて……。それでその、お母さんが妊娠中に流産したと言ってた」
話しながら、自分の声がどんどん掠れていっていることに気づいた。母ははっと目を大きく見開き、「なんで……」とわなわなと身体を震わす。
「突然こんなこと言ってごめんなさい。きっかけは私がやってるYouTubeに寄せられたお手紙だった。私、ヤミコっていう名前で『ヨミの国チャンネル』をやっているの。主にオカルト系の動画を投稿してる。お便りで清葉病院の名前が出てきて、実際に行ってみたら、お母さんのカルテを見つけたんだ」
「カルテ……」
母の声が動揺で分かりやすく揺れた。私の目を凝視したまま固まっている。
私は構わず続けた。
「それでさ、これもたまたまなんだけど、石川さんのブログを見つけて連絡を取ってみたの。そしたら、石川さんがお母さんのことを教えてくれた。お母さんが妊娠中に流産してしまったことを。だけどおかしいの。その流産した子どもの出産予定日が、私の誕生日だった。だから私、自分がどうして今ここにいるのか分からなくなっちゃって……。石川さんは先日不幸にあって亡くなってしまった」
「亡くなって……」
母は元同僚の訃報を、どこか遠い国の話でも聞くかのように焦点の定まらない表情で聞いていた。そもそも石川さんのことを思い出せないのかもしれない。胸にチクリとした痛みを覚えつつ、続けた。
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最初は冷静に話をしようと思っていたのに、話しているうちにどんどんヒートアップしてしまって、最終的には母を責め立てるような口調になってしまった。
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