虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん

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天井まで届く書棚には、何百冊もの蔵書が並んでいる。その多くは、百年以上前の貴重な医学書だ。机の上には、ガラスケースに入った乾燥薬草の標本。壁には、薬草園の古い見取り図が額に入れて飾られている。

「入ってきなさい」

低い声に促され、セラフィーナは扉を開けた。

五十代半ばの侯爵は、黒い髪に白いものが混じり、鋭い目つきをしている。厳格で近寄りがたい印象だが、娘を見る目には僅かな優しさが宿っていた。

「セラフィーナ。体調は?」
「はい、お父様。お話ししたいことが……」
「婚約破棄のことか」

ロデリックは直截に切り出した。遠回しに話すような性格ではない。

「公爵家からは正式な文書が届いた。理由も添えられている」

セラフィーナは唇を噛んだ。父は続ける。

「お前を責めているわけではない。これは……仕方のないことだ」

その声には、僅かな悲しみが込められていた。娘の幸せを願っていた父親として。

「お父様」
「ん?」
「私、自分の身体を治したいのです」

ロデリックの眉が上がった。驚きと、そして――興味の色。

「どういうことだ?」
「私の『虚弱体質』は、生まれつきではないと思います」
「何?」

侯爵の声が鋭くなる。

「幼い頃から飲まされている薬草茶。あれには、トリカブトやベラドンナが含まれています。どちらも適量を超えれば毒になる植物です」
「だが、代々の……」
「民間療法が必ずしも正しいとは限りません」

セラフィーナは、前世の知識を総動員して説明した。できるだけ、この世界の言葉で、理解してもらえるように。

「トリカブトとベラドンナ。どちらも少量なら薬になりますが、長期間の摂取は身体に蓄積します。慢性的な倦怠感、筋力低下、動悸……これらはすべて、毒物の蓄積による症状です」

ロデリックは黙って娘を見つめていた。その目は真剣だった。

「加えて、私は運動を禁じられ、栄養バランスの偏った食事をしてきました。『病人には消化の良いものを』と、柔らかいパンと薄いスープばかり。これでは、健康な身体が病弱になってしまいます」

セラフィーナは、机の上にあった医学書を手に取った。百年前の古典だが、薬草の毒性について記されている。

「この本にも書いてあります。『トリカブトの長期服用は避けるべし』と」
「……それは確かに」

ロデリックは本を覗き込んだ。そして、深く溜息をついた。

「我々は……善意で、お前を害していたのか」

その言葉には、深い後悔が滲んでいた。

「誰も悪くありません」

セラフィーナは優しく言った。

「皆、私の健康を願ってくれていた。ただ、方法が間違っていただけです」

侯爵は窓の外を見つめた。庭園が見える。その向こうに、薬草園がある。

「母上様は、薬草の専門家でした」

セラフィーナは続けた。

「母上様の日記を読みました。そこには、正しい薬草の使い方が書かれています。トリカブトやベラドンナを、どう使うべきか。そして、どう使ってはいけないか」

ロデリックは娘を見た。その目には、驚きと、そして誇りのような感情が浮かんでいた。

「お前は……強い子だな。母親似だ」

セラフィーナの母は、彼女が十歳の時に病で亡くなった。優しく、聡明で、薬草の知識に長けていた女性だったという。

「私、健康になりたいんです。お父様、薬草園を使わせてください。そして、適切な食事と運動の計画を立てさせてください」
「セラフィーナ……」
「これは、アレクシス様への当てつけではありません」

セラフィーナは真剣な目で父を見た。

「私は、私自身の人生を取り戻したいんです。健康になって、自分の足で歩いて、自分の目で世界を見たい」

長い沈黙。

やがて、ロデリックは深く溜息をついた。そして――

「分かった。好きにするがいい」
「お父様!」
「だが、無理はするな。医師の診察も定期的に受けること。そして、何か異変があれば、すぐに報告すること」
「はい!」

セラフィーナは笑顔を見せた。それは、婚約破棄以来初めての本当の笑顔だった。希望に満ちた、明るい笑顔。

ロデリックの表情が僅かに和らぐ。

「薬草園は、母が愛した場所だ。荒れ果ててしまったが……お前が再生させてくれるなら、母も喜ぶだろう」

侯爵は立ち上がり、書棚から一冊の古い日記を取り出した。

「これを」
「これは?」
「母の日記だ。薬草についての記録が詳しく書かれている。お前の助けになるだろう」

セラフィーナは、大切に日記を受け取った。革装丁の古い日記。ページを開くと、丁寧な筆跡で薬草の記録が綴られている。

「ありがとうございます、お父様」

父と娘は、しばらく窓の外を一緒に見つめていた。

そこには、春の庭園が広がっている。そして、その向こうに――忘れられた薬草園が。

書斎を出ると、マリアが廊下で待っていた。

「お嬢様、お父様は?」
「許してくださったわ。さあ、薬草園に行きましょう」

二人は屋敷の奥へ向かった。

使用人たちの住居を抜け、厨房の裏を通り、やがて高い石壁に囲まれた一角に辿り着く。

セラフィーナは、この場所に来たのは初めてだった。病弱な身体では、屋敷の奥まで来ることができなかった。

錆びた鉄の門を開けると――

そこは、荒れ果てた庭だった。

かつては整然と区画されていただろう花壇は雑草に覆われ、温室のガラスは割れ、噴水は干上がっている。石畳は苔むし、木製の柵は朽ちかけている。

「ひどい状態ですわ……」

マリアが呟く。

だが、セラフィーナの目は輝いていた。

荒廃の中に、可能性を見出していた。

雑草の中に、見覚えのある葉がある。カモミール。ラベンダー。セージ。そして――

「これは……セントジョーンズワート?」

前世の知識が蘇る。抗うつ作用のあるハーブ。ヨーロッパでは古くから使われている。

「こっちはペパーミント。あっちはレモンバーム……」

野生化してしまっているが、貴重な薬草が残っている。まるで、誰かの帰りを待っていたかのように。

その時、物音がした。

温室の陰から、老人が現れた。七十代くらいの、腰の曲がった痩せた男性。土で汚れた作業着を着て、古い麦わら帽子をかぶっている。

「誰だ?」
「お嬢様です。老庭師のトマスですわ」

マリアが説明する。

トマスは目を細めてセラフィーナを見た。そして、驚いたように目を見開いた。

「侯爵令嬢様……こんな荒れた場所に何の用で?」
「この薬草園を、再生させたいのです」
「何?」
「トマスさん、お願いです。力を貸してください」

セラフィーナは深々と頭を下げた。

老人は驚いた表情を浮かべ、そして――笑った。皺だらけの顔に、温かい笑みが浮かぶ。

「ふふ……先代の奥方様に似ておられる。あの方も、こうして薬草を愛しておられた」
「母が?」
「ええ。毎日ここに来ては、薬草の世話をされていた。そして、私に色々と教えてくださった」

トマスは悲しそうに庭を見回した。

「しかし、亡くなられてからは……誰も手入れをせず、こんな有様に。私一人では、とても……」

老人の声が震えた。長年、この庭を一人で守ろうとしてきた。しかし、老いた身体では限界があった。

「もしお嬢様が本気なら、この老いぼれでよければお手伝いしましょう」
「ありがとうございます!」

セラフィーナは再び頭を下げた。

「では、まず計画を立てましょう。どの薬草を優先的に栽培するか、温室の修理は……」

彼女の目は生き生きと輝いていた。

マリアとトマスは、それを静かに見守っていた。

社交界では、人々がセラフィーナを哀れんでいる。

だが、ここでは違う。

ここには、新しい人生の始まりがあった。希望と、可能性と、そして――忘れられていた母の遺産が。
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