Sランク冒険者の受付嬢

色のない受付嬢

第5話

　シルヴィアが王都に着く頃には街灯は殆ど消えており、騒がしかった商店街も今では静かになっている。
　王都に着くと、シルヴィアは荷馬車を王国聖騎士団の本部へと進めた。そこで知り合いに話をつけ、2人と女性の遺体を引き渡した。

「じゃあ、後はこっちでやっとくから。ありがとね」

「…いいえ」

　シルヴィアは聖騎士に一礼し、ギルドへと帰った。



　静まり返った街の大通りを、グレイは行きつけの酒場からギルドへとフラフラしながら歩いていた。仕事が終わったのが遅かったせいで、飲み始めたのも遅くなってしまっていたのだ。

「ゔぇ…気持ちわる…」

　危うく胃の中身を戻しそうになるが、なんとか我慢してギルドの扉に手をかける。そのままトイレに直行しようとしたのだが、一歩進んだ所で固まってしまった。いつのまにか吐き気も消え失せている。

「シルヴィア…」

　彼の視線の先には、真っ暗なギルドの真ん中の受付で、1人静かに座るシルヴィアがいた。少し俯いてる上に外からの月明かりしかないので、その表情はわかりづらい。
　グレイは一瞬躊躇ったが、入り口のランプに明かりを灯してから、シルヴィアの元へと真っ直ぐにに向かった。彼女の制服は、所々赤いシミが出来ており、少し血の匂いがした。

「…おかえり」

　グレイが短い言葉をかけると、シルヴィアはハッとなり顔を上げた。その表情は、色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざったようなもので、今にも泣きだしそうな少女の様な印象を受ける。
　沈黙が続く中、シルヴィアは鞄からタオルの塊を机の上に置いた。結び目を解けば、2枚の冒険者カードが現れる。2枚とも持ち主のものと思われる血が付着しており、グレイは持ち主に起きた事を察した。

「救う事が、出来ませんでした」

　静かなギルドに、水面に小石を投げ入れるように彼女の綺麗な声が響く。

「…そうか。他の2人は？」

「男性は足を負傷、女性は魔物に襲われていました。2人とも聖騎士団の所へ既にー」

「シルヴィア、お疲れ様」

　グレイがそう言って頭を撫でてやると、シルヴィアは立ち上がって何かを言いかけた。だが口元が震えるだけで、何も言葉が出てこない。今胸に感じているモノを、どう言い表せばいいのかわからないのだ。

「…マスター」

「うん」

「マスター」

「うん」

　子供のように名前を呼ばれ、小さく頷く。グレイは決して急かす様な事はせず、静かに彼女の言葉を待った。

「…前にマスターは仰いました。『受付嬢は冒険者の方々を笑顔で送り出し、笑顔で迎える人の事だ』と」

「そうだね」

「ですが…」

　シルヴィアは胸の前で手を握り、俯いて苦しそうにしながら声を絞り出して続ける。彼女の蔦で出来た右手が、ギチギチと軋む音を立てた。

「…私は感情がなく笑顔など作れません。送り出さず、冒険者の方を無理にでも引き止めておくべきでした。私には…私には、受付嬢が務まるとは思えません」

「そんなに自分を責めなくても…」

　グレイが慰めの言葉をかけようとするよりも早く、シルヴィアは顔を上げる。その顔を見て、グレイは小さく息を呑んだ。


「ですが…！もう、あの方達が受付ここに来る事は、無いのですよね…？」



　そう言われて、グレイは何も言う事がが出来なかった。彼女があの日目覚めて以来、ここまで感情を露わにしたのは初めての事だった。もしかしたら今まで何かを感じても、それを表現する術がわからなかったのかもしれない。

「マスターは何故、こんな私に受付嬢になる様に言ったのですか？何も…わからないのです」

　今にも自分を殺してしまいそうなシルヴィアを見て、グレイは彼女の両手をそっと自分の手で包む。どちらの手も氷のように冷たいが、少しでも自分の体温で溶かせるように。

「…冒険者稼業っていうのは命がけだ。どんな冒険者も足元をすくわれる事はあるし、明日無事かなんてわからない。だからそこまで自分を責めないでくれ」

「…はい」

「君にこの仕事を薦めたのは、今の君に受付嬢という仕事はピッタリだと思ったからだ。もちろん笑顔を見せられないのは少し減点かもだけど、今すぐにとは言わない。作り物の笑顔ではなく、心から笑って冒険者を送り出せる様な受付嬢に君もいつかなればいい」

　その言葉に、シルヴィアは黙ってかぶりを振る。

「私にはその様な事、不可能です」

「世の中に絶対という事はない。それに、君はさっき感情が無いと言っていたよね？」

「はい」

「じゃあなんで君は、そんなに泣いているような顔をしているんだ？」

　そう言われて、シルヴィアは自分の頰をさっと触った。触れた所は全く濡れておらず冷たいだけで、少しだけ首をかしげる。

「…涙は流れていませんが」

「君は傷ついて血を流している。その痛みに、今の君は泣きそうになっているよ」

「血も流れていません。私の身体は問題ありません」

「いや、君の心は傷ついて大怪我をしてる。見てるこっちが苦しいくらいだ」

「私に心など…ありません」

　わからないという表情で呟くシルヴィアを、グレイはそっと抱きしめた。どんなに強かったとしても、抱きしめたその体は力を込めたら折れてしまいそうなくらい細い。

「…疲れた時は、疲れたと言っていい。苦しくなったら助けを求めていい。何もかも1人で背負う必要はないんだよ、シルヴィア」

「私は…」

　グレイは少しして離れると、脱衣所からバスタオルを持ってきてシルヴィアに渡した。

「とりあえず、今日はもうゆっくり休むんだ。お風呂沸かしておくから、沸いたら入ってな」

　シルヴィアが頷いたのを確認し、グレイは自室へと戻っていった。



　部屋に戻ったグレイは、椅子に腰掛けてタバコを咥えながらボーッとしていた。昼間ならシルヴィアかユキノに、『禁煙してください』と言われて取り上げられるので、寝る前のこの時間は彼の息抜きタイムになっている。
　煙を宙に吐いて少し視線を下げると、机の上にある1枚の念写された写真に目が留まった。そこにはいつも通りの笑みを浮かべる自分と、その隣でジャンプをして満面の笑みを浮かべているシルヴィアが写っている。もちろん、写真の彼女の腕は蔦などではなく肌色の人間のもので、髪は銀色とは正反対の黄金の様な金色で。

「もう2年か…」

　今では絶対に見られない彼女のその顔を見て、グレイは写真をそっと撫でた。


　ギルドを彩る美しい受付嬢シルヴィア・ルナセイアッド。輝く銀髪に透き通るようなオッドアイ、その美しい容姿に誰もが羨み憧れた。
　だがそんな彼女の心には、色が無かったー。